シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

謝意

2014-03-31 09:42:44 | お仕事
「あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。愛と憎しみは表裏一体です。」『シルバーバーチの霊訓5』

私の担当していたお年寄りの話です。
その方は独居老人で、軽い認知症があります。

私はその方を別段普通の人だと捉えていましたが、過去を知るヘルパーさんたちは
口を揃えてその方を怖がります。
過去の話を聞いてみると出るわ出るわ・・・

モノを投げられた・・
暴力的な口調でどなられた・・・
無理な注文をふっかけられた・・

その当時は夫婦で暮らしていたので、取っ組み合いの夫婦喧嘩もしょっちゅうで
あまりの酷さに手がつけられなかったそうです。

しかし、伴侶の認知症が酷くなって老人施設に入所して
完全に一人暮らしになりました。
しばらくはディサービスとか短期入所とか利用されていたのですが、
性格が高慢なためにうまくいかず、完全に家に引き篭もってしまいました。

私が担当したときはその方が一番落ち込んでいた時でした。
「死にたい。殺してくれ。怖い。お金がない。」
しょっちゅう泣き言を言われましたが、真理を語ることで事なきを得たように思います。

最近 伴侶や私たちヘルパーにも謝意の言葉も口にするようになりました。
伴侶のこともすごく尊敬している、愛していると・・。
昔に比べてすごい変化だそうです。
その方も認知症が進んできました。入所も間近かもしれません。
人は何歳になっても、変われば変わるものだと思います。
私も謙虚な気持ちで最高の形で霊界に戻れるといいなと思いました。

やんちゃな幼児さん

2014-03-16 13:43:58 | 日記
「最高の愛には一かけらの利己性もありません。すなわち、その欲求を満たそうとする活動に何一つ自分のためにという要素がありません。それが最高の人間的な愛です。」
『シルバーバーチの霊訓3』


スーパーでの出来事です。
とても神経質そうな3歳くらいの男の子が癇癪さんで、
店に並べている商品を片っ端から放り投げていました。
それを片付けているのは厚化粧で派手な衣装の女性。
男の子をなだめるのに手を焼いています。

私は「かわいい男の子ですね~。かわいい盛りですけど手がかかりますよね。」
と片付けのお手伝いしながら我が子の幼少期を思い出していました。

うちの子供もやんちゃくれで、知らない人におこられること数しれず。

「あ~あ。お気の毒になあ・・」

そう思いながらスーパーの外に出ると
やはり、外でもひっくり返って泣いていました。

思わずその子にお菓子を手渡して「どうしたの~」
と声かけしていました。

すると、化粧が濃い女性が
「なんか、自分で買い物をしたかったみたいで。私はこの子のばあばなんで
よくわからなくて困っているんです。」

あれ、若く見えたのに・・・お孫さんだったのですね・・・・

お菓子もポイッと捨てて、ずっと駄々っ子です。
こうなると機嫌が直るのにけっこう時間がかかるんですよね。
少しだけ、その女性と話をしました。
自分の子育てで辛かったことも、案外役に立つこともあるんだなあと思いました。

愛の程度

2014-03-10 00:13:26 | 霊的真理の普及
「家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面とがあるものです。
 家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。が、愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。その段階に至った時は紳の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。愛は人ために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表われます。」 『シルバーバーチの霊訓1』


恋愛は本能のなせることなので、相手とうまくいかなかった時は本当に辛く長い間苦しみます。
特に女性は情が細やかなので、嫉妬や執着の苦しみは相当なものです。

排他性の内向的愛は必ず苦しみを伴います。
しかし、シルバーバーチは
「家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません」
と言っています。

どのような人も地上に生まれたからは、下等とされている愛を経験することになるように思うのです。
これを経験しなくては、霊界の愛とはどのようなものかがわからないようになっているようです。

こうして、苦しみ悩むことも、カルマの浄化に必要な期間です。
カルマが切れた時、ふっと、心が軽くなり別の人に目を向けるなり
自分の間違いを受け入れたり、新しい視野で捉えることができるようになるのです。

すこしずつですが、霊界の愛について理解しているような感じです。

脳梗塞の友人

2014-03-07 13:38:37 | 日記
「いついかなる時も、あなたの身のまわりには見えざる存在がいてあなたを導き、守護し、あなたの存在価値を最大限に発揮させるべく働きかけているということです。一人ぽっちでいることは決してありません。見捨てられることは絶対にありません。いついかなる時も愛のマントに包まれております。 『シルバーバーチ 地上人類への最高の福音』

病院のボランティアをやめたので、もう、脳梗塞でリハビリしている友人に会うこともないなあ
と思っていたのですが、早速、彼女の家の前で会いました。

たまたまお家の方も留守ということで、玄関に上がり込んで一時間ほどおしゃべりしてきました。

頭の血管を覆うように膜でカバーしているのですが、そのカバー付近が半分くらい詰まっていて、ずっと経過観察だそうです。

今の医学では脳梗塞は本当に難しい病気なんだと改めて痛感しました。

彼女は、私が憑依で狂っていた時に、江原さんのビデオを見せてくれた人です。
憑依を振り切るきっかけを作ってくれたことを感謝しています。

彼女とは、ずっと友達です。

霊界からの謝罪

2014-03-02 00:49:45 | 霊界の住人
思い出したので書きます。

もう10年ほど前のことなんですが、主人が自動車事故をおこしました。

見通しの悪い細い道を のろのろと直進してしまい
横から来た左折車に当たりました。(本人は黄信号だったと主張しています^^;;)

運転していたのはかなり年配(70代)の女性で助手席に座られてたのは30歳くらいの息子さん。
事故を起こしたので警察にすぐ連絡すると、その女性のご主人が一番に飛んできました。

女性はむち打ちで全治2ヶ月。
私は年配の女性がうちのせいで怪我をしたことが気の毒で何度も謝罪して、病院に付き添いました。
しかしその病院は、皆が交通事故や労災の時によく使う、診断書がオーバーとの悪名高い病院です。

病院だけでも?でしたのに、さらに不信に思うことがありました。
修理したディーラーの話なのですが、当てられて車を修理した回数が多すぎるのです。
その度に高額な保険金が支払われたそうです。
よく修理に持ってこられると、ぼやいていました。

そして、案の定、九州の実家に介護しにいかなければならない、とかの理由で
むち打ちも完治していないのに、保険会社から多額の見舞い金をもらうことで
保険会社と示談が成立しました。

私はそのことをすっかり忘れていたのですが、
それから数年後、寝いりっぱなにその女性が何度も私に謝罪する姿が見えるのです。
もういいです、と心の中で言っても、何度でも謝られます。

女性はお亡くなりになったので、私にメッセージを送ってきたのでしょう。

これが霊界の掟なんだと思います。
人を騙したり陥れたりした経験は、針のようにつきささり、いたたまれないのでしょう。
私が許しても、次はやったことの精算が待っています。
人を陥れただけ、償いをしなくてはなりません。

事故の後、私たちは車を処分しました。
時々、あの事故がなければ車を運転していたのに、と思うこともありますが
主人にとっては、この事故もカルマだったので、仕方がないかな。