シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

飼い主さん

2017-07-19 09:39:03 | 動物関連
大霊の子である人類は、大霊の霊力を授かっているがゆえに、意識がまだ人類の進化の次元にまで達していない存在に対して、その霊力を授けることができることを知らねばなりません。それが愛であり、その愛の力によって、まだその次元に達していない存在の進化を促進してあげることができるのです。『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』

昨日、近所の人から「ハムスターを貰って欲しい人がいるけど どう?」と言われました。

凶暴ですぐに手をガブガブ噛んでしまうので、飼い主さんお手上げらしいです。
そこのお宅に伺うと、何とも可愛らしいお顔で、チョコチョコ動き回っています。
このまま誰も引き取り手がなければ、うちが貰おうかなと思います。

ハムスターくらいに噛まれるのならマシなのですが
そういえば、最近 野犬やペットの大型犬が、他の動物や人間に危害を加えることが目に付きます。

せっかく、人間の愛情がペットの進化を促しているのに、
人間の飼い方一つで進化の逆戻りをしてしまうなんて、とても残念です。

ペットと、飼い主は似たところありますよね。
是非、愛情をかけて進化の手助けをしてあげてくださいね。

↓友人宅のチョコやん お目々がウルウルで超可愛いのだ!





勿体ないお化け

2017-07-10 14:34:37 | 食について
人間がにわとりやキツネを殺してもいいというのが道理であるとしたら、あなたの同胞を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪う者はいつかはその責任を取らなくていけません」

問「オーストラリアではウサギの異常繁殖が脅威となっておりますが、これについてはどうでしょうか」

「人間は本来そこにあるべきでないところに勝手に持ってきて、それがもたらす不都合について文句を言います。」
『シルバーバーチの霊訓5』



動物は、人間に近い感情や意識を持っているので、絶対食べてはいけません。

私は、そのことを誰よりも知っているのに、お肉が食事に出されたら、食べ物を粗末にしないとか、料理してくれた人に悪いとか、そんな理由で食べていました。
食べないという選択が出来るのに、「何でも感謝して全部食べる。」という教育の洗脳から抜けきれない、
まさに勿体ないお化けに牛耳られていた世代。
この洗脳で、食べ過ぎで病気になっている人、何人いる?殆どそうじゃない?

動物の尊い命を奪ったほうが悪いのに、どうして私がお腹の中に入れて、無かったことにしなきゃいけないの?
捨てることで食べ物を粗末にはしたけど、命を粗末にしたことにはならないって思うの。
むしろ 肉が売れなくて、動物を殺すことをさっさとやめてくれたらいい。


今世界中に飢餓で人々が亡くなっていますが、その理由に一つに 食料を肉用の家畜に与えているのが原因、と言われています。

でも、豊かな先進国のあまりにも我が儘な飽食をする霊性の低さが隠れた原因ではないかと思います。

何でも捨て放題なので、家畜の食料を問題にする前に、先進国の飽食を真っ先にやめるべきです。
大地から取れた食料は、見てくれが悪いからと廃棄せず、人類全体で分け与えるべきです。

家畜も愛すべき立派な動物です。
人類の飢餓は動物のせいではないよ。
家畜用のトウモロコシ食べたことあるけど、固くて味ないよ。
食料=食事なんだから、先進国の美味しいものを捨てずに加工して届けるべきだと思うのだけど・・・ありえへん?

未熟さを食べ物で埋めない

2017-07-04 14:34:29 | 食について
理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。
地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。
これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力(パワー)の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当り前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます。
『シルバーバーチ 霊性進化の道しるべ』


幼い頃、プラスチック部品とかヤクルトの空容器とかをずっと口に入れて噛んでいる子だった。
今もその状態からちっとも変わらない。

お腹が痛いのに食べたり、頭が痛いのに食べたり、体調が悪いのに食べたり、心を落ち着けたくて食べたり、人に遠慮して食べたり、起きがけに無意識で食べたり・・・・

私にとって、自分の不安を補うのが食べ物の役目。
でも食べ物では絶対に埋まらない、霊的真理で補うしか方法がないもの。

お肉はもう食べない。
食べたくない。
罪もない動物が殺された証である肉を、せっかくよそってくれたのだからとか、勿体ないから、とかの理由で、自分の心を曲げてまで食べたくない。賄い食のお肉は、遠慮無く人にあげるか捨てさせてもらうことにする。

どうせ私が勿体ないからって全部食べたって世界は変わらない。飢餓はなくならない。
こんなの政治のせいだ。私のせいではない。
生きていることに罪悪感を感じさせるほど、日本は飽食社会で物質社会なんだ。

私にとってこの肉体は、とても不細工でみっともなくて、家族や周囲や自分に申し訳なくて、せめてもの罪滅ぼしにって気を使って何でも食べてたけど、私の魂はみっともなくないもの。

大切な霊界の道具であるこの肉体を穢したくない。
私は過食症になるほど、食べることが好きなんだと思っていたんだけど、どうやらこれは違う。
絶対違う。

好きなんかじゃない・・・・。