シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

読書会での話<宗教について>

2014-09-22 14:06:48 | シルバーバーチ読書会
「宗教とは自分を役立てる行為であり、またそうあるべきです。そうでなかったら宗教には何の意義もありません。」

「何度も申し上げていることですが、人のために役立つことをすることは気高いことです。同胞のために尽くすことによって、共通の親である大霊の役に立つということほど気高い貢献はありません。これに勝る宗教はありません。形式を守り、教義に盲従するというだけの宗教では何の価値もありません。真の宗教とはみずから世に出て、少しでも住みよい環境にするような行為を心掛けることです。」
『シルバーバーチの霊訓11』


今回の読書会は、参加者全員が体験談など自分の霊的な歩みを話すということでした。

ひとりひとりの体験は違えど、そこには共通する使命があります。
月に一度しかお会いできませんが、私にとっては大切な大切な同志。
とても楽しみな時間です。


語られる体験談で、すごく考えさせられた内容を紹介します。

「霊訓を語るのに、『神』を言わないことはできない。スピリチュアリズムは信仰であり宗教である」

スピリチュアリズムを「宗教」と言われてショックを受けました。

私にとって宗教というのは、胡散臭くご利益主義の俗悪なものです。
殆どの人は皆そう思っているはず。

しかし、神の概念がないスピリチュアリズムなど存在しません。
最初に神ありき。神が存在しないと宇宙も人間も存在しようがありません。

そういわれてみれば、宗教なのかな。信仰なのかな。
家に帰って霊訓をじっくり読みました。

「あなたは、気高い奉仕の生活を送れば立派に”宗教的”で有りうるのです」
『シルバーバーチの霊訓9』


仏教などこれまで宗教は「信じれば救われる」と説いています。
が、本当のところは「人類への奉仕こそ宗教」です。
信じるだけではご利益はありませんし、教祖や教団への帰依 でもありません。

個人での奉仕、グループでの奉仕、どのような形であれ、奉仕こそ宗教です。

スピリチュアリズムって真の宗教だなあ・・・そう思います。

宗教の概念を変えようと思いました。

自分を愛するための、神からの愛<リズ・ブルボーの本からの考察>

2014-09-17 15:20:03 | 読んだ本

前回の日記の続き・・・

先日、美輪明宏さんと中園ミホさんの対談番組(NHK)を見ました。

そこで美輪さんが
「ほんの小さいころから・・・あっちでもこっちでもかわいがられた。身内からの愛情は全く恵まれなくても、他人様の愛情はそれこそ浴びるように・・ありがたかった。」
と語っておられました。

んんん。お師匠さんも同じことを言っていたなあ・・・・
親の愛はなくとも、たくさんの愛に恵まれ、自分を愛することができる人たち。

リズ・ブルボーの言っている
「これからは、あなたに必要な愛をあなた自身が与えるようにしましょう。誰もあなたのかわりにあなたを愛せないのです。自分を愛するのはとても簡単なことです。いま、この瞬間の自分を ありのままに受け入れればいいだけなのです。」

リズ・ブルボー、間違ってるよ。
いま、この瞬間の自分を ありのままに受け入れればいいだけなのです。って言われても、自分を受け入れるのと自分が愛されることは、同じじゃないよ。


結局、人は、誰かから愛情をもらえるとで、当然のごとく自分を愛するようになるのではないでしょうか。

自分一人が自作自演で自分に愛を与えても、自分を愛することはできない・・・。
親との関わりだけで心の傷を抱えるわけじゃない・・・。
私は自分を愛せないから苦悩しているんだ!

俄然シルバーバーチの言葉が信ぴょう性を帯びてきます。

「私が理解しているかぎりで言えば、愛とは魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主たる神とのつながりを悟った時におのずから湧き出てくる魂の欲求です。最高の愛には一かけらの利己性もありません。」『シルバーバーチの霊訓3』

やっとわかりました。

私は、幼少期に「愛をいただいて自分を愛する」という機会を逃しました。
ですが、愛を何らかの形で貰えなければ、一生自分を愛することができません。
人間は気まぐれで自分にとって都合の良い人を都合良く愛しますので
私は人間の愛を信じていません。

こんな私は もはや人間ではなく、神の愛を意識することしか自分を愛せません。

愛情をたっぷり貰った人には理解できない部分かもしれませんね。

人の愛情はまちまちですが、神の愛は完璧に平等で、それこそ浴びるように全ての人に注がれています。
これが真実であり、ここに気がつけば、自分を愛することは至極 簡単になります。

なぜなら、私は神の子として存在し、愛されているから。


リズ・ブルボー 五つの傷 / <からだ>に聞いて食べなさい

2014-09-16 11:01:02 | 読んだ本
重複する内容、くどすぎる内容が多くて 斜め読みです。
読み込んでいないけど、これ以上読む気にならないということで・・・・2冊まとめて。

気になるのは矛盾が多いことです。


冒頭の一文です。

「自分をコントロールしない人は、自分の長所と短所をすべて受け入れ、自然体でいることができます。・・・ありのままの自分を受け入れて、日々、その時々を満たされて生きています」  <<からだ>に聞いて食べなさいP15>

その後、行動パターンや体型などの特徴を5つの<傷>に分類分けしています。
そして、その傷を「幼少時の親との関係との結果」と位置づけ、どうすればその傷を克服でき、なりたい自分になることができるかが書かれています。

幼少期形成時の親の不適切な扱い、これは他の心理書でも言われていますし、その通りでしょう。
傷の分類はホロスコープちっくですが構いません。OKです。
現状を受け入れることと、自分や相手を許すこと、これもオーソドックスな回復のステップです。


しかし、「なりたい自分になるエクササイズ」や「食欲を観察する」ことは、再び自分をコントロールすることです。

既にそこで失敗し、のっぴきならない状況に追い込まれたのに、なぜ、再び病気になるようなことを提唱するのか、訳分かりません。


はっきり言います。

心の傷をパターン化して自分の過去の痛みを探り理解した後は、親も先祖や社会の犠牲者だと理解し 親を許して現状の自分を受け入れ、この自分で良いと思う。
ここまでがこの本の価値であり、通常の回復のステップです。
再び自分の食欲や体重をコントロールしようとしてはいけません。
許すということは、どんな食べ方をしようと、どれだけ理想の自分を違っていても自分を許すということです。
治らなくても良いと思うことが許すことです。
そして、次はその事を捨て去るというか、忘れるということが必要です。


ブルボーは言っています。
「これからは、あなたに必要な愛をあなた自身が与えるようにしましょう。誰もあなたのかわりにあなたを愛せないのです。自分を愛するのはとても簡単なことです。いま、この瞬間の自分をありのままに受け入れればいいだけなのです。非難したり、裁いたりせず、いまの自分をありのままに受け入れればいいのです。」<<からだ>に聞いて食べなさいP216>


いいこと言ってるけど・・・・これが簡単できたら、「心の傷」なんて生まれないじゃん。

この本を読んでエクササイズして本当に心の傷が治った人がいるのかどうか・・・
私は疑問です。

日記の続き

転移なし

2014-09-12 15:12:07 | 病気の話
「身体が病むということは精神か霊かのいずれかに不自然なところがあるということです。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常であるはずです。身体に出る症状はすべて霊と精神の反映です。」
『シルバーバーチの霊訓1』



乳ガンの友人ですが、手術してリンパは切除しましたが転移は見られない、ということで
ほっとしました。良かった良かった。

彼女にとって人生最大の危機だったはずですが、
シルバーバーチの霊訓やヒーリングのおかげで、そこまで落ち込まなかったそうです。

まだ放射線治療とか、ホルモン療法とか残っていますが
ガン細胞を切除したのだから病気自体はなくなった・・とみなしてよいのかな。
身体に出る症状がなくなったのだから・・・


生きている間、人は病気して治って、を繰り返しますが
これも霊や精神を正常化しようと体が頑張っている姿なんだなあと思います。

病気はそれ自体浄化作用なので、病気を恐れずに
治療に専念することこそ人の道なのかなあ。

そんな風に思いました。

教条が違っていても

2014-09-10 13:20:52 | シルバーバーチ 批判 
(質問)・・・他の者には満足できない宗教でもその人には満足できるということなのでしょう。

「無限なる霊は無限の表現形態をとります。生命全体が段階的になっているのです。・・山頂を一つ征服してみたら、その向こうにもっと高い山頂が見えてくる、と言ってもよいでしょう。人類は異なる成長段階にある者で構成されています。したがって、すべての者にアピールする一つの教えというものは提供できないのです。」
『シルバーバーチの霊訓11』


シルバーバーチを銘打ったHPや読書会をググってみると、
色々な解釈、取り組み方の違いなどの差が結構ありますね。
(私のブログなんて本当にいい加減で恥ずかしい・・・)

シルバーバーチひとつとっても多様性を感じられるものですから
地球には、それこそ無限の多種多様な表現形態があります。


その宗教なり教条なりを信じる人は、地域や育ちの影響もありますが、
今その人にとって、これが必要なんだと思います。

私の友人にしたい人の基準は
「人のために役に立とうとしているか。」
その一点だけです。

その部分がブレていなければ、立派な人だと尊敬します。

異なる成長段階では霊的真理という人類に共通した教えだけが頼みの綱です。

ファミレス

2014-09-02 19:10:45 | 日記
「地上は学校と同じです。少しずつ勉強し、知識を身につけていくうちに、徐々に霊性が目覚めていきます。すると更に次の段階の真理を理解する力がつくわけです。それが人生の究極の目的なのです。」
『シルバーバーチの霊訓11』


子供が誕生日だということで、レストランに行ってプチお祝いしました。

バースデーケーキをお店がプレゼントしてくれて私たち大喜び^^
さらに記念写真を撮ってくれて申し訳ないほどです。

これは少しでも高いものを食べてお店に利益を出してもらわねば、と
お高めのメニューを頼みました。

今までお店の利益のこととか、店員さんへの配慮とかを考えたことなかったのですが
自分が働き出してみてわかることが色々あるのですね。

利益を出さなければ、お店は潰れてしまう、とか
時間給で精一杯働く従業員の方の負担を少しでも減らそうとか、
残さず最後まできれいに食べようとか、
客として、できるだけマナーを守ろうと心がけました。

たぶん殆どの方は当たり前のことで、何を今更!な話だとは思います。

これまで、家計をどうやり繰りするかばかりで、見方が狭かったと思います。

たとえパートだとはいえ、外で働いて良かったです。