公園(備前島公園)に息抜きに行ったついでに石田川式土器の発掘されたところに行って来た。

2020-04-29 09:48:13 | Weblog

そこは石田川遺跡と呼ばれている場所だ。
備前島公園のすぐ近くにあった。
メインの道路道路(R354)の脇にあたる場所なのだが陰になっていて存在をしらなかった。
ここなら公園に車をおいて歩いて行ける。

この石田川遺跡は古代史上なかなか重要なポジションにあるようだ。
北関東の古墳文化の母胎として注目されるとのことだ。

尾島町との境界を流れる石田川と国道354号線が交差する地点の北側にある。
昭和27年川の護岸工事の際偶然発見された遺跡で、発掘調査の結果、台付甕・壷・坩・高坏・器台・鶏頭埴輪などが出土した。特に、台付甕は口縁部がS字状に屈曲する特徴を持ち、北関東地域における古墳時代初期の標識土器とされ、「石田川式士器」と呼ばれる。

     太田市の文化財 http://www.page.sannet.ne.jp/gooki/index.html


chimoさんは出身が愛知県。
古墳は少ない。
群馬に来て驚いたのが古墳が多いこと。それも大規模なヤツが。
不思議に思っていたのだが、最近わかり始めた^^

「卑弥呼」との戦いに敗れ、流れ流れてたどり着いてこの北関東の地に住みついいた人たちの文化だったようだ。
「卑弥呼」との対抗意識からデカイのを造ったのはうなずける。
その人たちの流れを証明するのが石田川式土器だという。
なかなかおもしろい。 勉強しよう。

「卑弥呼」と戦っていたのが「卑弥弓呼」だというのもおもしろい。
姉弟喧嘩or夫婦喧嘩との説もあるようだが・・・・。
古代史はおもしろい。








今は釣り堀になっているところが発掘地なのかな。
なかなか良い場所だ。
車で10分だ。遊びに行く場所が増えた ^^


出土した土器のパンフレットがあった。

https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/files/isidagawa.pdf




狗奴国の候補地
ごくごく少数意見らしいが北関東説というのがあるらしい。
畿内から一番遠い候補地である北関東説では、上毛野(かみつけの)、現在の群馬県あたりを推定している。
上毛野は古代の東国では最も繁栄した場所で、東海地方からの大量の人口移動によって、3世紀頃から大集落が造られ始めている。
東海地方のある集団が、東京湾から荒川水系を遡上して、水田の開発に相応しい毛野の平野にたどり着いたものらしい。

東海地方からの大量の人口移動の証拠が石田川式土器らしいが・・・・

古代史なんてなんでもありだからなぁ~~~



朝子塚古墳との関連はどうなのかな。
ここの集落のボスだったんだろうな ^^







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