2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。
本日はその第8回として石部(いそべ)神社を写真紹介します。
石部神社は摠見寺(そうけんじ)の下にあります。
安土城の西門にあたり、百々橋口(どどばしぐち)と呼ばれていました。
過去の散策記:
第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館
第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像
第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺
第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡
第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社
第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺
第7回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡
石部神社の基本情報
住所:近江八幡市安土町下豊浦6222 TEL:0748-46-2876
御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)、 天照大神(あまてらすおおみかみ)、
高皇産靈神(たかみむすびのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)、
櫛日方命(くしみかたのみこと)
創建:第21代景行天皇21年(93)4月鎮座との伝承あり
国宝:厨子入木造薬師如来の座像
石部神社の所在地のGoo地図を添付しておきます。
名前の由来
その昔、琵琶湖は安土山近くまで来ており安土山の南麓を「磯辺の岡」と言っていた
ことから「石部(いそべ)神社」という名前になったそうです。
入口鳥居
上の写真は石部神社の入口の鳥居
安土城の百々橋口から登ってすぐの所にあります。
左手に現地説明板があり次のように記載されています。一部加筆
祭神 少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命
社記には石部神社天神高宮と有りて人皇第12代景行天皇21年(93)4月15日吾地山に
社殿を造営し勅使の参向を得、盛大なる鎮座祭を斉行す。同2年更に勅使参向の栄に浴す。
安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称す。
人皇第60代醍醐天皇延長3年(925)延喜式勅撰に依り神名帳に録載せらる式内社なり。
当社は人皇第46代孝謙天皇御宇左大臣橘諸兄右大臣藤原豊成及び大納言平時忠郷等の
崇敬最も篤く櫟杓・宝剣、宝玉、榊八枝等を奉納せられしなり。
降りて天正4年(1576)織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし
祭祀を厳修せり、その後兵乱に際し社宝・文献散逸したるも之を社伝書に記し今に伝う。
当社に国宝厨子入木造薬師如来の座像あり(厨子に明徳2年(1391)10月の銘あり、
平安時代の彫刻なり)明治44年(1911)8月国指定。
京都国立博物館に出陳す。
拝殿・本殿
絵馬殿
上の写真は絵馬殿
この中で奉納相撲が行われたと思われます。
手水舎
磐座
上の写真は磐座(いわくら)
磐座は古代より続く自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)の一つで架けられた
注連縄は神域との境界を示しています。
神殿と同一の役目を持っている。
摂社
本日はその第8回として石部(いそべ)神社を写真紹介します。
石部神社は摠見寺(そうけんじ)の下にあります。
安土城の西門にあたり、百々橋口(どどばしぐち)と呼ばれていました。
過去の散策記:
第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館
第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像
第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺
第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡
第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社
第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺
第7回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡
石部神社の基本情報
住所:近江八幡市安土町下豊浦6222 TEL:0748-46-2876
御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)、 天照大神(あまてらすおおみかみ)、
高皇産靈神(たかみむすびのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)、
櫛日方命(くしみかたのみこと)
創建:第21代景行天皇21年(93)4月鎮座との伝承あり
国宝:厨子入木造薬師如来の座像
石部神社の所在地のGoo地図を添付しておきます。
名前の由来
その昔、琵琶湖は安土山近くまで来ており安土山の南麓を「磯辺の岡」と言っていた
ことから「石部(いそべ)神社」という名前になったそうです。
入口鳥居
上の写真は石部神社の入口の鳥居
安土城の百々橋口から登ってすぐの所にあります。
左手に現地説明板があり次のように記載されています。一部加筆
祭神 少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命
社記には石部神社天神高宮と有りて人皇第12代景行天皇21年(93)4月15日吾地山に
社殿を造営し勅使の参向を得、盛大なる鎮座祭を斉行す。同2年更に勅使参向の栄に浴す。
安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称す。
人皇第60代醍醐天皇延長3年(925)延喜式勅撰に依り神名帳に録載せらる式内社なり。
当社は人皇第46代孝謙天皇御宇左大臣橘諸兄右大臣藤原豊成及び大納言平時忠郷等の
崇敬最も篤く櫟杓・宝剣、宝玉、榊八枝等を奉納せられしなり。
降りて天正4年(1576)織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし
祭祀を厳修せり、その後兵乱に際し社宝・文献散逸したるも之を社伝書に記し今に伝う。
当社に国宝厨子入木造薬師如来の座像あり(厨子に明徳2年(1391)10月の銘あり、
平安時代の彫刻なり)明治44年(1911)8月国指定。
京都国立博物館に出陳す。
拝殿・本殿
絵馬殿
上の写真は絵馬殿
この中で奉納相撲が行われたと思われます。
手水舎
磐座
上の写真は磐座(いわくら)
磐座は古代より続く自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)の一つで架けられた
注連縄は神域との境界を示しています。
神殿と同一の役目を持っている。
摂社