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太安万侶の 墓誌に関する橿原考古学研究所 付属博物館の展示 on 2016-8-6

2019年05月05日 06時43分37秒 | 奈良情報

2016年8月6日、橿原考古学研究所付属博物館に訪問した時に太安万侶の墓誌に関する
展示が印象に残っています。

そこで今回、太安万侶の墓誌に関する橿原考古学研究所付属博物館の展示をテーマに
記事を書くことにしました。

太安万侶(?~723)は奈良時代の元明天皇の頃に活躍した国家機関で働く文官でした。
和銅4年9月18日(711年11月3日)に元明天皇の命により稗田阿礼の読む今は無き
歴史書「帝紀」「旧辞」を筆録し太安万侶が編纂してつくったのが「古事記」で
日本最古の歴史書と言われています。


上の写真は展示の遠景です。
展示では和銅5年(712)に我が国最古の歴史書『古事記』を編纂完成させたことで
知られる太安萬侶(?~723)の墓誌と墓の写真、小治田安萬呂墓の墓誌、
天理市白川の火葬墓の骨蔵器(骨壺)他の骨を収容する容器の展示が
されています。

太安萬侶墓誌



上の2枚の写真は太安万侶の墓誌の拡大版です。

太安万侶の 墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以
癸亥年七月六日卒之書養老七年十二月乙巳」と刻まれています。
太安万侶の住居が左京四條四坊であったこと位階が従四位下であったこと
勲五等の勲章を受けたこと没年が癸亥年(723)七月六日であったこと
墓誌が養老7年(723)12月に書かれたことが書かれています。

太安萬侶墓誌は、昭和56年(1981)6月9日に重要文化財(美術工芸品)に指定。

関連サイト:日経新聞電子版(2012-10-4)

太安萬侶の墓




上の2枚の写真は太安万侶の墓に関する展示です。

太安万侶の墓は奈良市此瀬(このせ)町の茶畑に囲まれた小高い南斜面にあるそうです。
昭和54年(1979)1月に発見され橿原考古学研究所が調査を行った結果、
墓は一辺約1.7mの方形土壙で、底に木炭を敷き、遺骨を納めたコウヤマキの
木櫃(もくひつ)を安置し、木櫃の周囲も木炭で覆われていた。木櫃の中には
遺骨の他に直径5ミリほどの真珠の玉が4個納められていた。この真珠は冥界に
輝く珠であり、4は冥数とされている。

発見のキッカケは1979(昭和54)年1月に田原地区に住む竹西さんという方が茶畑に
新しい品種の茶を植えるための作業している最中、掘り起こした土の中に炭の
ようなものを見つけたことが太安万侶の墓発見の始まり。

現地を紹介されているサイトがありましたのでリンクさせていただきます。
 偶然発見された太安万侶の墓ストーリー


墓は「太安萬侶墓」として昭和55年(1980)2月19日に国の史跡に指定されました。

令和4年(2022)1月26日の産経新聞電子版でも紹介記事があったのでリンクを

追加しました。発掘を担当した県立橿原考古学研究所の研究員、前園実知雄・

奈良芸術短大教授(75)の回顧録が掲載されています。

  【THE古墳】「ここに太安萬侶が」墓誌発見に大和茶の産地は騒然 - 産経ニュース (sankei.com)

以下は2023年11月14日に追記

太安万侶の墓を紹介したYoutube動画を見つけたのでGooで共有させていただきます。

太安万侶の墓所と茶畑の風景 奈良県奈良市此瀬町
太安万侶の住まい

上の写真は平城京左京四條四坊の太安万侶の住居に関する展示

火葬のはじまり



上の2枚の写真は「火葬のはじまり」に関する説明パネルと奈良県内の火葬墓に関する遺跡

「火葬のはじまり」に関しては過去に記事を書いていますのでリンクしておきます。
  火葬のはじまり


飛鳥・藤原京時代以前の埋葬の歴史については下記のブログで書いています。

 神戸市埋蔵文化財センター 平成28年度春季企画展 見学録 on 2016-4-17

コメント (2)
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