CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館 

2019年05月08日 06時18分47秒 | 滋賀県情報
2019年3月20日、安土城考古博物館で須賀古墳群と渡来人の展示があり観覧
してきましたので写真紹介します。

本ブログはJR安土駅周辺散策記の第1回とします。

この展示は近つ飛鳥博物館(大阪府)との交換展示「でかける博物館~河内の渡来人
によるもので2019年3月1日~4月7日まで開かれていました。
両館は共に、風土記の丘(古代遺跡・史跡資料館の併設された区域)にある施設です。


上の写真が一須賀古墳群と渡来人の展示 撮影:2019-3-20
展示の左手には一須賀古墳群I-19号墳からの出土品
・ミニチュア炊飯具形土器、・釵子(さいし)=手前の逆Uの字になった装飾具
・須恵器 短頸壺(たんけいこ)=奥の壺
展示の右手は一須賀古墳群Q-9号墳からの出土品
・ミニチュア炊飯具形土器=手前
・須恵器 坏身・坏蓋・小壺・高坏・脚付長頸壺(ちょうけいこ)・(はそう)
・金銅製耳環(じかん)=手前
中央部には一須賀古墳群WA-1号墳からの出土品が展示されています。
・ミニチュア炊飯具形土器=手前
・須恵器 高坏、金銅製飾履(くつ)〈復原模造品〉
・金銅装単龍環頭大刀柄頭(つかがしら)

近つ飛鳥博物館の周辺に立地する一須賀古墳群についてWikipediaより引用紹介します。
須賀古墳群(いちすかこふんぐん)は、大阪府南河内郡河南町一須賀、東山、太子町葉室に
わたる丘陵上にある古墳群。

1)6世紀前半から7世紀中頃にかけて築かれた、23支群・総数262基からなる古墳群である。
2)高安古墳群・平尾山古墳群とともに、大阪府における三大群集墳と呼ばれる。
3)ほとんどが直径10メートルから20メートルの円墳であるが、方墳も一部見られる。
4)大半が横穴式石室であり、一部に木棺直葬、石棺式石室なども見られる。
5)最大規模のWA1号墳(直径30メートルの円墳、現存しない)には、横穴式石室に
  組合せ式家型石棺が1体埋葬され、副葬品として須恵器、土師器、ミニチュア竈、
  純金製耳環、ガラス玉(青色34、黄色70)、金銅製冠片、金銅製履片、
  金銅装単龍環頭大刀柄頭片、馬具、環状金具、鉄刀、鉄刀子などが見つかっている。
6)かなりの古墳において、ミニチュア炊飯具型土器(調査された48基中14基)や韓式系土器が
  副葬されており、また、朝鮮半島の影響を受けたと見られる玄室の床面が羨道部の床面より
  低い構造をもつ横穴式古墳があることから、渡来系氏族、特に百済・漢人系氏族との関連が
  指摘されている。


ミニチュア炊飯具型土器は5世紀前半頃に日本列島に伝わったカマドをミニチュア化したものです。
中国大陸の墳墓では、亡くなった人が死後の世界で用いるための日用品を土器や木製品で
ミニチュア化したもの「明器(めいき)」を墓の中に納める風習がみられますが、
ミニチュア炊飯具形土器には同様の意味がある可能性が指摘されています。
出土する地域は滋賀県、奈良県、和歌山県、大阪府、兵庫県と一部に限られるほか、渡来系の
遺物を伴うことが多く、渡来人との深いつながりを示す資料と考えられています。
現在でも中国の死者が葬られる際に疑似の「お札」を一緒に供える風習が残っています。


上の写真は大陸からもたらされた馬と当時の人物の模型展示です。撮影:2019-3-20
朝鮮半島に残る好太王の碑の記載によれば、404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に
侵入してきたので、これを討って大いに敗った。切り殺した倭国兵は数知れない。
好太王が率いる好太王の兵は騎兵で盾を持ち馬は馬冑(ばちゅう)で戦闘
する近代的な装備に対して馬を持たず前近代的な倭国の兵は完敗であったと思われます。
この敗退でヤマト政権が馬を使用した戦闘や鉄製品を利用した兵器、防備具の開発に目覚める
キッカケになったと思われます。
5世紀は倭の五王の時代(讃、珍、済、興、武)であり、中国の南朝である宋に対して
朝貢し宋より「安東将軍・倭国王」や「安東大将軍・倭国大王」の称号を叙授しています。
6世紀の初めに武=雄略天皇の時代には大王家(天皇家)の優位が確立され、冊封体制から
抜け出した。
約100年後の700年の遣隋使の派遣まで中国王朝との外交関係は断絶となります。


上の写真は滋賀県の南部の遺跡を示したパネル展示です。 撮影:2019-3-20

近つ飛鳥博物館には2014-12-2と2018-11-11の2回訪問しておりその時に撮った
一須賀古墳群に関する写真がありますのでそれらを添付しておきます。


上の写真は一須賀古墳群の群集墓に関する近つ飛鳥博物館の展示


上の写真は横穴式石室の出土状態を復元した展示


上の写真は石棺の種類とどこから来たかを説明するパネル


上の写真は一須賀古墳群(国史跡 H6.10.7指定)の概要説明


上の写真は一須賀古墳群B支群の概要説明板


上の写真は一須賀古墳群B支群 9号墳と石棺


上の写真は一須賀古墳群B支群7号墳の現地説明板


上の写真は一須賀古墳群I支群9号墳の現地説明板。


上の写真は一須賀古墳群J支群の現地説明板




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奈良きたまち 鍋屋町の久家... | トップ | 新天皇陛下の即位の儀式 そ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

滋賀県情報」カテゴリの最新記事