「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

赤十字への寄付

2007-05-22 07:10:14 | 日記
昨日、班長さんが赤十字の寄付を集めにきました。
一軒当たり500円というのが相場のようです。
領収証を切りながら、「これって、何になるんですかねぇ・・・」と。

そういえば、先日の自治会総会でも寄付集めのことが話題になっていました。
赤十字、赤い羽根、緑の羽根など、毎年、班長さんが各家を回って集めています。
「それは寄付だから、強制ではないんでしょ?、でも班長さんが回って来られれば、断れずに仕方なくお金を出さなくてはいけないので、なんとかして欲しい」という意見が出ていました。
「強制ではないけど、そういう依頼が自治会に回ってくるので、集める方法としては班長さんにお願いして集めてもらうしかないから、どうしても嫌な人は断って構いません」という返答でした。
寄付といっても、100円~500円のことなんですけどね。
班長さんもそのことを気にして、言われたのだと思います。

でも赤十字の活動って大事なことですよね。
長男が赤ちゃんのとき、血液の病気になったのですが、そのとき、血小板輸血を何回もしてもらいました。
また、27年前、私の実家が火事で全焼したことがあったんですが、その日の夕方には、赤十字から毛布と歯ブラシなどの洗面具、下着などが、家族分届けられて、びっくりしたことがありました。
献血活動や災害救護や国際医療活動などは良く知っていたんですが、そういう細かいことまで支援しているのは知りませんでした。

寄付のときに渡されたパンフレットにも、さまざまな活動の様子が写真入で紹介されていますし、その活動には、個人や法人からの社資(寄付金)2億6500万円が必要なんだそうです。
困っている人たちのために活動している赤十字ですし、いつ自分がお世話になるかわかりません。
そういうことを思えば、500円の寄付金も安いものですよね。
ちなみに、赤十字の発祥の地は熊本なんですよ。

明治10年(1877年)の「西南の役」のことです。
西郷隆盛率いる薩摩軍と官軍が、ここ熊本で激しい戦闘を繰り広げました。
熊本城はそのときに焼け落ちてしまったのです。
特に激戦地となった田原坂一帯(熊本県植木町)では、たくさんの負傷兵が戦野に倒れました。
この様子を知った佐野常民(元老院議員)は、何とかその人たちを助けたいと、当時ヨーロッパで既に活動していた赤十字のような救護組織を創ろうと、同志とともに政府に博愛社の設立を願いでました。
しかし、政府からすれば薩摩軍は敵です。「敵味方の差別無く救護する」というこの願いは理解されず、認められませんでした。
そこで、佐野は官軍の司令官(征討総督)として熊本に派遣されていた有栖川宮熾仁親王に、直接願いでて、とうとう設立の許可を受けることができました。
これが明治10年5月3日のこと。「博愛社」の救護員は、すぐに戦地に急行し官軍・薩摩の負傷者の救護にあたりました。
つまり、博愛社(後の日本赤十字社)は、熊本で誕生の声をあげたのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする