「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

沖縄のお墓

2008-01-31 07:38:37 | 日記
沖縄旅行で驚いたことがあります。
それは、至るところにお墓があることです。
しかも、とても大きいです。

ガイドさんの説明によると、沖縄には代表的な形として亀甲墓と屋形墓があるそうです。
亀甲墓は見ませんでしたが、屋形墓にもいろんな形があり、大きさもさまざまです。
バスの中からみていると、家に比べて墓の方が多いのではないかと思うくらいです。
本土では墓地に指定されたところにしか建てられませんが、沖縄ではそういう概念がなく、自分たちの家の近くだったり、海に面した見晴らしのいいところなど、どこにでも建てていいそうです。
また沖縄では、家よりも墓への思いが強く、安くても数百万円、高いものになると数千万から億にもなるというのです。

個人のお墓ではなく、一族で使うし、墓の前が広くなっているのは、何かあると親族が集まってそこで宴会をするからです。
料理も精進料理ではなく、泡盛に魚や肉を使ったご馳走が並び、歌や踊りで盛り上がるのだそうです。

沖縄の住宅も、赤い屋根の上にシーサーがのっている家を想像していたのですが、ほとんどが白い鉄筋コンクリートの近代的な住宅ばかりでした。
毎年、台風にさらされるのだから、台風に強い家になっているのも無理はありませんけど、沖縄でも赤い屋根を見直そうという気運があるそうで、実際、鉄筋コンクリートの家に赤い屋根をつけた家もありました。

またそれぞれの家に屋上に円柱や四角のタンクが取り付けてありました。
沖縄は年間雨量は本土より多いのですが、サンゴ礁の地質のため、降った雨は一気に地下に吸い込まれ、海に流れていってしまうので、しょっちゅう給水制限が行なわれるということです。
そのために、普段から自分で貯水し、給水制限の時期をしのいでいるのだそうです。

日本各地、それぞれの風土、習慣がありますが、沖縄はまったく違っていて驚くことがたくさんありました。
実際に現地に行ってみないとわからないことがたくさんありますね。
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沖縄旅行

2008-01-30 10:07:26 | 日記
27日日曜日から2泊3日で沖縄ツアーに行ってきました。
初めての沖縄です。
熊本空港を12時過ぎに出て、1時間半で沖縄に到着。
熊本では気温9℃でしたが、南国沖縄は19℃です。
那覇空港で鹿児島からの参加者といっしょになり、総勢44名でバスはほぼ満席でした。

最初に首里城に着き、ガイドさんの説明を聞きながらの見学です。
ちょうど花祭りが始まったばかりで、観光客がいっぱいです。
建物は沖縄戦で集中砲火をうけ、壊滅状態になったものを再建しているので、特に書院部分などは新築の家と言った感じでした。

次は、極東最大の米軍基地嘉手納基地を望みました。
以前は安保の丘というところから見ていたといわれるので、小高い丘をイメージしていたのですが、基地が見える高さまで階段を作ってあるだけのものでした。
今は、道の反対側に道の駅ができ、そこの4階から眺めることができます。
かまぼこ型のシェルターが何基も並んでいるんですが、一基4億円もし、その資金を日本が出したと聞いてびっくりです。
その横に並んでいる格納庫は一基3千万円でこちらはアメリカが払ったそうです。
日曜日だったので、飛行機の発着もなく基地は静かなものでした。

最初の夜は名護のホテルでしたが、海に面した13階建てのホテルで11階の部屋でした。
ベランダからの眺めは最高で、真下にはプライベートビーチがあり、エメラルドブルーの海の色に感動しました。
その中に黒い塊りがあり、なんだろうと思っていたら、その塊りが形を変えながら移動しています。
小魚が集まっているものだったようです。
夕食はバイキング形式で、ゴーヤチャンプルや豚足、ソーキそばなど郷土料理が並び、沖縄のおいしいものを堪能して、大満足でした。

2日目は、8時にホテルを出て、まずは古宇利島です。
3年前、1300mの橋がかかって、バスで行けるようになったそうで、一周4kmの島を一回りしました。
ここは昔からのしきたりや年間16もの祭りが残っていて、民俗学者や祭りの研究をしている人たちがよく訪れるそうです。
祈りの祠もあちこちにあり、安産祈願に使われるところは、紀子さまが懐妊されたとき、秋篠宮さまもお参りされたそうです。

つぎに一番楽しみにしていた沖縄海洋博公園で美ら海水族館です。
公園内は、ベゴニア、パンジー、インパチェンス、サルビアなどで作り上げた、大きなマンタやカメ、ヤンバルクイナなどがあり、とてもきれいでした。やはり、こちらに比べて、花も大きいし、色が鮮やかですね。
正味1時間しか時間がないので、慌しい見学となりましたが、大きなジンベエザメやマンタの優雅に泳ぐ姿を見ることができました。
後で娘からのメールで気がついたのでが、マナティー館が別にあったんですね。
見損なったので、この次に行ったときの楽しみにしたいと思います。

次はタンカン狩りでしたが、小雨が降っていて、斜面になっているみかん畑は危険ということで、試食だけでした。
普通のおうちの庭先にテントを張ったようなところで、タンカンも無農薬で育てているらしく、ごつごつして見かけが悪いものでした。
たまたまかもしれませんが、私が食べたのはすっぱかったです。
それより、家の周りにある花が色鮮やかで巨大なのに驚かされました。

昼食は沖縄フルーツランドです。食事の後、園内の植物園を見学し、あとはお土産を買う時間です。
お土産は最低限しか買わないことにしているのですが、こういうところは試食ができるのがいいですね。
パイナップルも食べ放題でしたが、色がうすく、ちょっと酸味が強い感じでしたが、おいしかったです。

食事の後は、オリオンビール工場見学です。
ビールができるまでの工程を見せてもらいましたが、実際には機械が動いていなくて、大きなタンクなどを見て、説明をうけました。
そのあとは試飲会です。
主人は飲めないので、ソフトドリンクでしたが、私は生ビールをいただきました。
めったに飲まないので、味の違いはわかりませんでしたが、ツアーのメンバーの中には一箱まとめて買っていた人もいました。

ビールを飲んだ後は、お菓子御殿というところです。
中では紅芋タルトの製造工程が見えるようになっていて、こちらもメインはお土産です。
みなさん、本当によく買ってますね。

その後、やっと沖縄の海らしいところ、万座毛に向かいました。
断崖絶壁で、波の浸食をうけた像の鼻のような岩が面白いですね。
万座ビーチホテルをバックに?記念撮影です。
このホテル、娘が職場の慰安旅行で泊まったところなんですよ。
帰り際、少しはなれたところで、民族衣装をつけた二人の娘さんがいて、一人300円で写真を撮りますよ、と言っています。
私たちのカメラを渡して撮ってもらうだけなので、え~と思ったんですが、主人が600円払って撮ってもらいました。
何枚でもいいですよ、と言って、二人の写真のほかに、一人ずつの写真も撮ってくれました。
シャッターを押すだけなので、これって、いい商売ですよね。

この日最後の見学地は、座喜味城跡見学でした。
ここも世界遺産群のひとつだそうですが、建物はなく、石垣と礎石だけが残っています。
石垣の城壁に登ると東シナ海が見えるのですが、沖縄戦のときは、ここからも米軍が上陸したのかな、と思うと複雑です。

2日目のホテルは、那覇市内にあり、夕食時には沖縄舞踊を見ることができました。
その間、宴会場を回って、別の民族衣装を身につけた女性がレイをかけてくれて一緒に写真を撮ってくれます。
あとで売るんだろうな、とは思ったのですが、翌朝、一枚千円で販売していたのには驚きました。
せめて、500円だろう、と突っ込みたくなります。

3日目、朝ごはんを食べているとき、外はどしゃ降りでした。
この日はグラスボートやたくさん歩くところがあると聞いていたので、どうなるかと思っていたのですが、9時ごろグラスボート乗り場に着いたころは雨が上がっていました。
10名ずつに分かれて、小さな船に乗り、沖へでます。
しばらくして船が泊まると、グラスボートの下に、たくさんの魚が集まってきました。船頭さんがエサを与えているようです。
転々と場所を代えながら行くのですが、船が止まると同時に集まってきます。
毎回のことなので、魚たちも覚えているのでしょうね。
しばらくいくと、テーブルサンゴが群生しているところがあり、きれいな熱帯魚が泳いでいます。
浅いところ、深いところの差が激しく、船底がつきそうなところがあるかと思えば、まさに海溝といった濃いブルーのところもあり、吸い込まれそうです。
サンゴや熱帯魚は、五島列島や天草で見たときの方がカラフルな感じだったんですが、限られた部分だったからなのでしょうね。

次の平和祈念公園についたときは雨が止むどころか、青空になっていました。
今回は、熊本と鹿児島、それぞれの記念碑までいって、参拝したのですが、両方とも一番奥にあり、かなりの距離を歩くことになりました。
年配の方たちは、記念碑に刻まれた身内や知人の名前を探して確認されていました。
その後、平和の礎では、沖縄戦で亡くなった方たち、24万人余りの名前が刻まれた石碑がありました。
その半分は沖縄の方たちです。

ひめゆりの塔では、亡くなった女学生の写真が展示されていて、外科病棟として使われていた洞窟の一部が再現されていましたが、こんな穴の中の暗いところで戦火におびえながら、治療に当たっていたのかと思うと、胸が締め付けられます。
ちょうど私の母と同年齢の方たちです。
多くの沖縄の人々の犠牲の上に、この平和な日本があることを忘れてはならないと痛感しました。

最後は、ガラス工房で実際にガラス製品を作っているところを見学しました。
琉球ガラスは、戦後、アメリカ兵が使ったコーラやビールの空き瓶を溶かして作るようになったそうで、不純物が多く、気泡が入ったり、分厚くなったりと、二流品としか扱われなかったのだそうですが、それを逆手に取り、より多くの泡をいれたり、いろんな色を取り入れて、今日のすばらしい作品に仕上げていったということです。

すべての行程が終わり、那覇空港に着いたのは、出発2時間以上も前でした。
もっとゆっくり出来たのに、と思うのですが、ツアーというのは何が起こるかわからないので、余裕をもってあるんでしょうね。
今は沖縄では花祭りや桜まつりが行なわれていて、観光客でどこもごった返していましたが、人数が多く、バスの乗り降りの回数も多かった割には、みなさん時間厳守で、スムーズに移動できました。
団体行動は、時間制限があり、ゆっくり見ることはできませんが、短い日程の中で、いろんなところを無駄なく見ることができますし、ガイドさんの解説を聞くことができるので、勉強になります。
今回のガイドさんは、沖縄美人のかわいい方で、丁寧でわかり易く説明してくれて、とてもよかったです。
待ち時間にもブツブツと練習していたみたいで、主人が感心していました。

飛行機では、沖縄上空では下が見えていたのですが、すぐに厚い雲の上に出たので、まったく見えません。
やっと見え出したときは、天草上空だったようで、島がたくさん見えました。
宇土半島から空港に向かう途中では、ツアー仲間の人たちが、あれはうちのビニールハウスかもしれん、と盛り上がっていました。
熊本は気温7℃と、これまでの暖かさになれた身体にはひと際寒く感じられます。
今回の沖縄旅行は、南国のきれいな花と海、それと対照的な悲惨な歴史の両方を体験できて、とても有意義な旅でした。
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熊本のいちば~ん!!

2008-01-27 07:40:33 | 日記
新聞の生活情報誌に「熊本のいちば~ん!!」という特集がありました。
熊本にはいろんな「いちば~ん!」があるんですね。

リムジンタクシー!長さ日本一!
県北にある山鹿タクシーには、全長8m62cmもあるフォード・リンカーンのリムジンタクシーがあります。
大人8人がゆったり乗れて、主に結婚式や県外の観光客などが利用しているそうです。
料金が小型タクシーの1.5倍というリーズナブルなお値段にはびっくりです。

熊本城の長塀
熊本城には242mの長塀があり、日本一で、国の重要文化財に指定されています。
普通、直線で長い塀は構造上倒れやすく、敵から城を守る点でも弱いのですが、ここは長塀と石垣、それに前を流れる坪井川の景観の美しさを優先して造ったのではないか、と言われています。
夜、スポットライトで照らされると、黒と白のコントラストがとてもきれいです。

南阿蘇の日本一長い駅名
南阿蘇鉄道には、「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」という日本一長い名前の駅があります。
一時他の県に日本一の座を取られてしまったのですが、そこが廃線になり、昨年返り咲きました。
この沿線には他にも「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」という駅舎に温泉のある駅もあります。
夏場はトロッコ列車も走っていて、全国の乗ってみたいトロッコ列車ランキングで2位になったそうです。

交通安全のさきがけ、スクランブル交差点
日本で初めてスクランブル交差点ができたのは、熊本市の子飼交差点です。
ここは子飼商店街にある変則交差点で、歩行者も多く日常的に交通渋滞が起こっていたのを、熊本県警がヨーロッパ視察をして、この方法を導入したのだそうです。
熊本県警のアイデアが全国に広まり、いまでは全国に577箇所もあるそうです。

ふりかけのルーツ
全国ふりかけ協会が公認しているふりかけの元祖が「御飯の友」です。
子どもの頃から、御飯の友は必ず食卓にあり、他のおかずがなくても、御飯の友だけでもおいしく食べられます。
これは、大正初期、熊本の薬剤師・吉丸末吉氏が日本人のカルシウム不足を補うために魚の骨を粉にして御飯にかけようと思いつき、よりおいしく食べられるように青のりやゴマを入れて作られたものだそうです。
戦時中は軍にも納めていたそうで、基本的は製造方法は今も変わらず、職人の長い経験でいりこの量を配合して作っているということです。
それにしても、一袋に入っているイリコの量がすごいですね。
その後、いろんなふりかけがお目見えしましたが、やはり御飯の友が一番おいしい、と思うのは熊本県人だからでしょうか。

日本一のキンモクセイ
甲佐町麻生原(あそうばる)に、樹齢750年以上、樹高18m、幹周り約3mという大きなキンモクセイがあります。
昭和9年に国指定天然記念物に指定され、毎年2度花をつけることでも有名です。
台風などで危険な状態になったこともありましたが、地元の人たちが守り続け、花のシーズンには交代でお茶の接待など、見に来た人たちをおもてなしされています。

その地区にお住まいの甲佐町文化財保護委員の方がキンモクセイの紹介をしていたのですが、その方、実は私の中学校時代の社会の先生でした。
○○壮亞先生というのですが、ずっと「そうあ」という変な名前と思っていましたが、「ひろつぐ」とふりがながあり、初めてそういうお名前だと知りました。
中学生のある日、職員室で先生たちから「君は父親似か母親似か?」と聞かれたことがありました。
するとその先生がすかさず「この子は父親似ですよ。この子のお母さんの女学生時代を知っていますが、とても美人でしたから・・」と言われて、ちょっとムッとしたことがあったんですが、まぁ事実ですから、仕方ないです。
熊本の日本一の記事から、余計なことまで思い出してしまいました。
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活動報告書

2008-01-26 07:32:11 | ボランティア
小さな一歩の会の活動報告書と国際人権ネットワークの新しいパンフレットを、これまで活動に協力していただいた方々に送りました。
報告書といっても、B4用紙の両面だけなのですが、一年間の活動内容と決算報告になっています。

毎月「小さな一歩の会便り」でも活動内容をメールで報告しているのですが、メールアドレスを持っていない方、わからない方もいらっしゃっるので、そういう方には一年分をまとめてお知らせすることになります。
特にホームページを見ただけでバザー品や使用済み切手などを送っていただいた全国の方たちには、実際にどういう活動をしている団体か、支援したものがどういう風に使われているかを知っていただきたいと思い、お礼の意味も込めてお送りしています。

発送準備をしているその日にも、福岡の中学校のインターアクト部から6回目になる大量の使用済み切手が、大阪の女性から3回目のバザー品が送られてきて、慌てて、お礼の気持ちを付け加えました。

また近くの方たちには、直接お届けに行ってきました。
活動報告書をお届けすることで、自分自身も昨年の活動を振り返ることができますし、今年もまた頑張ろうという気持ちになれます。
今年、さらに多くの方たちが参加され、小さな一歩の輪が大きくなることを願っています。
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パソコン入門

2008-01-24 07:30:02 | 肥後観音寺
最近、肥後観音寺を知って私のブログに問い合わせをされた方がいたのをきっかけに、主人がお寺のホームページを作って、と言い出しました。
自分のことで精一杯の私には、なかなか取り掛かる時間がありません。

だからでしょうか、おととい、NHK趣味悠々の「中高年のためのいまさら聞けない パソコンABC]というのを見ていました。
それまではパソコンなんかできん、と言っていたのですが、せっかくだから、実際にやってみたら、と言ったら、その気になってくれました。
パソコンの立ち上げ方やワードの使い方などを一通り教えたら、文字入力だけはできるようになりました。

昨夜、私が使い終わった後、練習する?と聞いたら、今日はいい、というので、電源を切ってお風呂に入ったんです。
お風呂から上がってみたら、一人で文字入力の練習をしていました。
あまり口出しすると嫌がられるかな、と思って、訂正の仕方、スペースの空け方など、尋ねられたことだけを教えてあげました。
いつか住職が作る肥後観音寺のホームページが出来ると思いますので、お楽しみに
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生きがい療法

2008-01-23 07:40:39 | 美容と健康
筑紫哲也NEWS23で、がん治療を取り上げてありました。
当の筑紫哲也さんががん治療の真っ最中で、帽子をかぶっての出演でした。
がん治療といっても、最先端の手術や抗がん剤、放射線治療など、いろいろありますが、今回は生きがい療法や笑いの療法など、精神的なものを取り上げてありました。

20年前、伊丹医師ががん患者をモンブラン登山に連れて行って話題になりました。
当時はなんて無謀な、という批判もありましたが、モンブランに登るという目標に向かい、それを達成することで、がんを克服した人も出てきました。
そのときに参加した乳がんの手術を受け5年後の生存率25%と言われた方が、初めて山登りに挑戦し、モンブランに登れたことで、今度は日本100名山登頂を目標にしたのですが、昨年、みごとに達成されていました。

また笑い療法では、笑うことによって脳内モルヒネとよばれる物質が増え、痛みが軽減したり、ナチュラル・キラー細胞とよばれ、がん細胞を殺す役目をもつリンパ球が増えるということがわかっています。
がん患者に「なんばグランド花月」を3時間見てもらい、大笑いした前と後とを比べると、ナチュラル・キラー細胞が低すぎた人は正常値までアップし、高すぎた人も正常値ちかくまで下がっていて、短時間で免疫力を正常化することがわかっています。
これは作り笑いでも同じような効果がでるそうで、普段の生活でも取り入れて、免疫力を上げるようにしたいものです。
また気功でも、呼吸法や静かに動くことで免疫力が高まります。
医学的にも、サイコオンコロジー(精神腫瘍学)という分野ができ、精神的なことでがん治療を目指すものも出てきています。
アメリカではすでに、これまでの西洋医学、東洋医学の漢方、それに補完代替医療、この三つを取り入れた総合医療と言うものが注目されています。
でも日本では、まだそれぞれの立場で、自分が一番だという意識が強く、連携がなされていないのが実情です。
実際に生きがい療法、笑い療法や、健康食品でがんを克服した人がたくさんいます。
こういうことを西洋医学でもきちんと把握し、病院でもどんどん取り入れてもらえたら、患者さんや家族は安心して治療できると思うんですけどね
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赤ちゃんの成長

2008-01-22 07:38:56 | 日記
昨夜のNHKスペシャルで、赤ちゃんの成長の不思議を実験した番組がありました。
生まれてすぐの赤ちゃんは、立たせてあげると、ちゃんと歩く動作をしますし、鉄棒にぶら下がることもできるんです。
赤ちゃんに脳の血流を測る装置をつけて、眠っている状態で日本語を聞かせると言語で反応する部分や前頭部が血流が増えるのですが、テープを逆回しにし、でたらめな音にすると反応しません。
外国語の日本人には聞き分けにくい発音も、ちゃんと聞き分けています。
また見たことのある顔と初めて見る顔をちゃんと識別しています。
大人では識別が難しい猿の顔も、見分けることができるようです。
そういえば、赤ちゃんって、知らない人の顔はじーっと見ますよね。

しかし、成長するにつれて、そういうことができなくなってくるのがわかりました。
脳のシナプスは、うまれてから急激に増え、生後3ヶ月過ぎでは大人よりずっと多くなります。
それをピークに半年後、一年後とだんだん減少していきます。
これは、入ってくる情報を整理し、必要なものだけを認識するようになるためだそうです。
実際、半年を過ぎると、猿の顔が区別がつかなくなるし、外国語の発音の違いにも関心を示さなくなります。

実験に参加していた赤ちゃんと、他の赤ちゃんと遊ばせたとき、他の子がすでにハイハイをしていたのに、まだ出来ませんでした。
それが、その後すぐにできるようになり、他の赤ちゃんの行動が刺激になったようです。
また外国語を覚えさせるのに、ビデオの画像をみせたところ、興味をもってみていたように見えたのですが、実際には映像を見なかった子と差がありませんでした。
それを、ビデオの内容と同じことを、実際に人と接しながら行なうと、かなり効果が表れます。

こうしてみると、赤ちゃんのときからいろいろ語りかけたり、同年齢の子どもたちと遊ばせることがいかに大事かがわかりますね。
若いお母さんたちにとっては、未知のことばかりで、家で赤ちゃんとばかり向き合っていたら、不安になったり、ノイローゼになったりするのもわかります。
今はいろんなところに子育て支援のグループがあり、赤ちゃんを遊ばせてくれたり、相談にのってくれたりしますね。
私の友達にも、子どもたちに英語を教えたり、子育て支援で読み聞かせをしている人がいます。
こういうところに出かけて行くと、赤ちゃんだけでなく、お母さんも気分転換できるし、お友達もできて楽しく過ごせるようですので、どんどん利用するといいですね。
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ホームページ

2008-01-21 07:38:11 | ボランティア
小さな一歩の会のURLを変更しました。
これまでプロバイダーの無料ホームページを使っていたんですが、そのプロバイダーが光通信に対応していません。
プロバイダーを替えるとURLが変わるので、これまで光通信にするのをためらっていたんですが、そのプロバイダーがいつまで続くかわからない状態になり、思い切ってかえることにしました。
新しいプロバイダーの条件も、ホームページの容量が大きいところ、使いやすいところを探して、@niftyに決めました。

さっそく、ホームページを転送先を変更したのですが、「開設者の許可がないので閲覧できません」と表示されます。
どうしてそうなるのかわからず、問い合わせをしたところ、私の転送ミスだったことがわかり、やっと見られるようになりました。

これを機会に、有料のドメインを取得することにしました。
最後につく.comと.jp、どちらにしようかと迷っていたんですが、料金をみたら.jpの方が2倍も高いことがわかり、迷うことなく.comにしました。

メールアドレスも変わりますので、これまでホームページの中のリンク先を全部かえなければいけません。
それぞれのページを開いて、確認しながら変更したんですが、ひょっとしたらまだ抜けているところがあるかもしれません。
もし、気づいた方がいらっしゃったらお知らせください。
ついでにアクセスカウンターもつけて、こちらの作業は終了です。

そのあと、前のURLの場所にホームページが変わったことをお知らせするページを載せることにしました。
でも私がうっかりして転送先を新しいところに変更してしまったので、新たに転送設定しないといけなくなってしまいました。
ところが今度は、その設定方法やパスワードを書いた紙を入れていた机を、去年事務所の改装をしたときに処分したので、どこか別の場所に移動したのですが、それがどこだったか思い出せず、あちこち探し回りました。
最近、しょっちゅう探し物をしていて、時間の無駄だなぁと我ながら情けなくなります。
ようやく棚の中からそれを見つけ出したときは、ほっとしました。
無事に設定もできて、ようやく作業完了です。

新しいURLは、http://www.chi-sanaippo.comです。
覚えやすくなりましたし、多くの方に見てもらって、活動に参加してもらえるとうれしいです。
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再修理

2008-01-20 07:27:52 | 日記
4日に修理に出していた携帯電話が、修理が完了して戻ってきました、という連絡があり、ショップに受け取りにいきました。
それまでメールや電話の反応が遅くて、ショップの店員さんもそれを確認されたので、修理に出します、ということだったのですが、メーカーの返答は不具合は確認できませんでした、というものでした。
それでも一応新しい基盤に交換してあり、これで安心して使えるものと思っていました。

さっそく、情報の移し変えをしてもらうことになって、待っていたんですが、なにやら入れ替わり立ち代り、他の店員さんがきて操作をやっています。
担当した女性が研修生という名札をつけていたので、他の方が教えていらっしゃるのだろうと思っていました。
すると別の店員さんが来て、「今、データーを移していたんですが、途中で電源が切れてしまいます。このままではお返しできませんので、もう一度、メーカーに修理に出しますけどよろしいでしょうか?」というのです。
よろしいでしょうか?と言われても、電源が切れてしまうのでは、修理に出さないわけにはいきませんよね。
結局、これまで使っていた代替機をまた持って帰りました。
それにしても、修理に出したのに、前より悪くなって返ってくるなんて、信じられません。
こういうものは、2度あることは3度ある、といいます。
今度返ってきても、ちゃんと直っているかどうか心配になります。
こんなことなら最初から買い換えた方がよかったかもしれませんね。
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身代わり不動

2008-01-19 11:36:36 | 肥後観音寺
昨日は、肥後観音寺で今年最初のお観音さんの日ということで、大勢の信者さんが集まりました。
義妹と二人で、お接待の準備をしていたところ、お寺の方で手が足りないから、と主人が呼びにきました。
今、3月28日に行なう護摩供養の申込をしてもらっているんですが、申込が殺到して、対応にてんてこ舞いしていたんです。
なにしろ、一人で家族全員の申込をされるので、5人、6人分、中には10名分以上も申し込まれる方がいらっしゃいます。
それぞれ祈願内容と数え年を記入しなくてはいけないので、子どもや孫の分は何にしよう、とか、今いくつだったっけと、書き込むのに時間がかかります。
今は満年齢が主流なので、数え年がよくわからない方もいますね。
生まれたときが一歳で、お正月を迎えると年をとります。
お正月の時点で、満年齢に2歳足したものが数え年になるので、なんだか一気に年を取った気になり、え~もうそんな年?と思われる方も多いようです。

申込をした方には身代わり不動をお渡しするのですが、信者さんの中には不思議な体験をされた方もいらっしゃいます。
息子さんがそれを身につけていて交通事故にあったとき、車は廃車にするほどの大事故だったにもかかわらず本人は奇跡的に無傷で、代わりに身代わり不動が割れていた、というのです。
また別の方で、高校生の子どもさんが自転車で通学途中に車と衝突し、3mも飛ばされ、顔から出血していたので病院に運ばれたのですが、鼻血だけだったそうで、胸のポケットの生徒手帳に挟んでいた身代わり不動がまっ二つに割れていたそうです。
信じられないような話なのですが、実際にそういうことが起こっているんですね。
また何かをするとき、それが悪い方位だったりすると、何年も経ってからいろんな災い起こってくるということもあり、怖いですね。
私は昔からそういうのには疎くて、気にもしていなかったのですが、信者さんたちからお話を聞いて、信じざるを得なくなりました。

それにしても、私の方が尋ねやすいのか、信者さんたちからいろいろ質問されます。
でも私に聞かれてもわからないので、そのたびに主人に確認したり、直接聞いてくださいとお願いしているのですが、私ももう少し勉強しないといけないみたいです。
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