「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

輸入食品はこわい!

2007-08-31 07:05:44 | 美容と健康
最近、中国産の食品から使用禁止の抗菌剤が検出されたり、大腸菌が見つかったりと、食の安全が脅かされています。
でもそれは中国だけではなく、他のアジアの国々からの輸入製品にも及んでいるという記事がありました。

厚生労働省が発表する「輸入食品等の食品衛生法違反事例」の中で、今年1月から7月分までで、中国産の違反件数約300件、その他の国、台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナム、韓国、マレーシア、インド、タイからの輸入食品の違反件数が280件もあるのだそうです。

中国産うなぎから禁止されている合成抗菌剤が検出され、ニュースでもとりあげられましたが、他の国から輸入されたエビやイカの加工品やシーフードミックスなどの冷凍品からも見つかっています。
エビの養殖場を調査すると、生産コストを抑えるために、狭い池でビタミン剤を添加した人工飼料により短期間に大きく育てようとするため、食べ残しなどで水質が汚染されて病気が発生しやすくなります。そこで、それを防ぐために、大量の抗生物質や抗菌剤、ホルマリンなどが使われているのです。

またアジアからの輸入食品は、大腸菌などの細菌が検出されることが多いそうです。
ベトナムやインドネシアなど、下水の設備が行き届いていない地域の場合、下水が流れ込んでいる川の水をそのまま養殖池で使ったり、加工工場での水洗いに使ったりしています。水道水が飲めない国では、工場で使う水にも大腸菌の心配があるのです。
そういえば、日本でも雨水を利用して冷凍の肉を解凍していた会社がありましたね。
また果物、野菜類からは、基準値をこえる殺虫剤が検出されるケースが多いようです。

大量の輸入食品のうち、日本での検査率はわずか1割程度で、そのうち、国が行なっている行政検査は3割から4割、後は輸入する企業の自主検査だそうです。
この半年間に問題があったとされる食品は、むき身エビ、乾燥エビ、エビフライ、うなぎ、イカ、マグロ、ゆでだこ、さけ切り身、さば燻製、フカヒレ、赤貝、あさり、牡蠣、ホタテ貝柱、米、ピーナッツ、パパイヤ、オオバコ、にがうり、アスパラガス、ほうれん草、オクラ、バナナ、マンゴー、唐辛子、砂糖、ロイヤルゼリー、ウーロン茶などなど
輸入食品に頼っている日本では、知らない間にそういう食品を口にしているということでしょうね、怖いことです。
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気功教室

2007-08-30 07:13:44 | 美容と健康
昨日は二人の方が参加して、勉強会を行ないましたが、そのあと、主人が気功を教えてくれました。
私も前にちょっとだけ教えてもらった事があったのですが、まったく忘れてしまっていたので、一緒に習うことにしました。

まずは気功の基礎知識からです。
主人が行なうのは「八卦循導功」という気功で、これは中国の万蘇健という人が道家陰陽八卦思想を基礎に中医学原理と統合させ創りだしたものだそうです。
万蘇健氏は、長年にわたり独自の臨床治療と自分自身を整える気功医療功法を実践していて、中国医学気功界の代表的存在で現在、北京軍医気功研究所所長です。
日本で初めて気功を取り上げた映画「未知への旅人」の中でタカツカヒカル氏(三浦友和主演)が道を求めて訪れた中国で出会った気功師として万蘇建氏本人が出演していて、いまでも日本からたくさんの人が訪れているようです。
主人が気功を習っている先生も、万蘇健氏のもとで修行した方なんです。

気功に必要な基本的な言葉や経穴を教えてもらったあと、実践です。

入静からはじまり、「小抱石球(しょうほうせっきゅう)」「托天勞月(たくてんろうげつ)」をやり方を教わりました。
それぞれの功法が終わるときは、かならず収功をおこなわなければなりません。
呼吸と動作と連動させ、意識を集中して気の流れを感じながら行なわなければならないのですが、まだ動きがぎこちなくて、なかなかうまくいきません。
それでも、手の平が熱くなり、ゆっくりした動きなのに、汗がにじんできます。
気功教室は1時間ほどだったのですが、あっという間に過ぎてしまいました。
他の方も、楽しい!次が楽しみ!と言っておられました。

フットケアでも、施術前にまず気を整える瞑想から入りますので、気功を習得すると、いろんなことに役立つと思います。 
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皆既月食

2007-08-29 10:34:32 | 日記
昨日の皆既月食は見られましたでしょうか?
ちょうど月が出る頃には、東の空は雲に覆われていて、見ることができず、8時半ごろから散歩をしだしたときも、月を確認することができませんでした。
しかし、しばらく歩いていると、薄雲の一部が白く輝いてきました。
あの辺かなぁと眺めながら歩いていると、雲が切れて、月が三日月状態で見え始めました。
帰りつく頃には雲がなくなり、くっきりと見えるようになり、半月ほどになっていました。
9時過ぎのテレビのニュースで、北海道で皆既月食が始まったときの様子が映し出されていたんですが、地球の陰に隠れると月が赤黒く見えるんですね。
9時24分には皆既月食が終わるということだったので、せめて最後の瞬間をみようと、二階に上がってボーっと眺めていたんですが、少しずつ変化していく月の形をみていると、不思議な感覚になります。

今朝の新聞には、熊本城の天守閣のうしろに赤黒い月がぽっかり浮かんでいる写真が掲載されていました。
こちらとは逆に、7時半ごろ、皆既月食状態の月が見え始め、50分ほどして月が陰から出て輝き始めた後、雲に隠れてしまったそうです。
次の皆既月食は2010年12月21日だそうです。
そのときに赤黒い月が見えればいいのですけどね。
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敬老会に向けて

2007-08-28 09:14:09 | 日記
昨夜は、団地自治会の婦人部の集まりでした。
9月17日に行なわれる敬老会の打ち合わせです。
毎年、自治会でお祝いするのですが、お世話をするのは婦人部です。
以前は町全体で行なわれていたのですが、人数が増えて会場に入りきれなくなったので、各自治会で行なうようになったそうです。
年齢も引き上げられ、団地では70歳以上の方たちを招待するのですが、それでも371名いらっしゃいます。
実際に参加されるのは100名余りだそうですが、それにしてもすごいですね。

この団地が出来た当初、小学校の子ども会会員が300名を超えていました。
30年経った今では、数十名になってしまい、そのかわり、お年寄りが増えています。
例に漏れず、我が家も夫婦二人だけの生活になりましたしね。

私の町内も43名の対象者がいらっしゃるので、一軒ずつ訪ねて、案内状を届け、出欠状況を調べないといけません。
もう一人の方と手分けして回ることにしました。

それともう一つ難題が・・・
婦人部でも何か出し物をしないといけないんです。
毎年、凝った出し物をされているようで、昨年は松健サンバを衣装をつけて踊られたそうです。
今回は、得意芸をもった人がいないようなので、懐メロでも歌おうか、という話になっています。
手軽で、お年寄りに喜んでもらえるような、楽しい出し物があるといいんですけどね。
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子どもたちへ支援を!

2007-08-27 07:11:05 | ボランティア
「小さな一歩の会」が寄付をしている「国際人権ネットワーク(GHN)」の緒方さん他9名の方が、8月1日から1週間、カンボジアを訪問されまして、その報告書が届きました。

カンボジアのアンコールワット遺跡群の奥に、地雷被害者が多く集まっている「モンドルバイ村」があります。
田舎で地雷を踏み、障害をもったために生活できなくなり、観光客目当てに出てきたのですが、政府が物乞いを禁止し、一箇所に集めているのです。
村は遺跡群の中にあるので農業や開拓が禁止されていて、生活の糧がなく、貧困と差別に苦しんでいます。
子どもたちは学校へも行けず、病気や怪我をしても病院にかかることもできませんでした。
そこで、GHNが希望小学校を建てて、1年生から3年生まで無料で学校へ行けるようにし、医療の援助も行なっています。
それまでバラバラだった村の秩序も、GHNが支援するようになり、きちんと統率されるようになりました。
以前は600世帯3000人と言われていたんですが、今年の調査では1000世帯4000人に増えていたそうです。

カンボジアでは7月末が学期末で、10月から新学期になります。
今回は、希望小学校の卒業式が執り行われました。
公立小学校では卒業式などはないそうですが、希望小学校では、一人ひとり写真を貼った卒業証書が手渡されます。
日本の大学生の指導で、卒業生はソーラン節を披露し、集まった保護者や敬老会の方たちに大喝采を受けたそうです。
卒業した子どもたちは公立小学校の4年生に編入する子もいますが、家の手伝いをするために学校へ行けない子もいます。
それでも3年間で文字の読み書きや計算ができるようになり、いろんな体験ができて、子どもたちにとっては貴重な思い出となることでしょう。

本来は全員公立小学校へ入学できればいいのですが、どうしても入学できない子を対象に希望小学校に受け入れています。
先生たちの給料の他、文具や教材などを買う費用もかかりますので、今回は資金が足りず、いつも子どもたちに渡している制服やゴムぞうりの配布ができなくて、次回訪問時まで延期したそうです。

また2年前に建てられた「友情の家」では孤児たち30名が共同生活をしながら、勉強をしたり、毎日アプサラダンスの練習をして披露したりと、自立するために頑張っています。
孤児院と言っても、政府などからの支援はいっさいなく、自分たちで生活費を稼がなくてはいけないんです。
子どもたちだけでは十分な収入を得ることは難しく、GHNでその子たちの教育・生活支援、それに医療支援をしています。
友情の家のリーダーでもあり、希望小学校のスタッフとしても活躍しているビスナーさん(27歳)は、「日本の皆さまのご支援のお陰で生きる希望と勇気を持つことが出来たことに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも真面目に希望小学校と友情の家の子どもたちのために、リーダーとして頑張ります。」と決意と感謝の気持ちを話してくれたそうです。

一回の寄付なら誰でも出来ますが、継続して支援するとなるとなかなかたいへんです。
今回も資金不足のため、支援物資を渡せなかったり、GHNのホームページも経費節減のため9月末で閉じることになったそうです。
「情けは人の為ならず」、情けをかけることは人のためではなく、巡り巡っていつかは自分に返ってくるものです。
どんなに小さなことでも構いません。何か自分に出来ることがあるはずです。
どうかご協力をお願いいたします。
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草取り

2007-08-26 10:13:28 | 日記
8月始めに、二日間、夏祭りのお世話や盆踊りに参加したため、ひざを痛めてしまいました。
痛み自体はすぐに治まり、たいしたことはなかったのですが、少し腫れがあり、水が溜まっているようだと娘に言われ、用心して散歩も中止し、なるべくおとなしくしていました。
ようやく腫れもひいてきたので、そろそろ活動を開始しないと、こんどは足が弱ってしまいそうです。

その間、花畑の草取りも自粛していたので、草ボーボーになってしまっていました。
今朝からまた朝飯前の草取りの再開です。
最近、雨があまり降らないので、土が乾き、花は勢いがないのですが、草だけはどうしてこんなに元気なのでしょう。
地中深く根を張っていて、引き抜くのに力が要ります。
特に萱がすごくて、力任せに引き抜いても、根までは抜けず、途中で切れてしまいます。
軍手をして、30分ほどしかしていないのですが、手の平がヒリヒリになってしまいました。
一度にすると足腰に負担がかかるので、毎朝、少しずつしかできません。
駐車場も中央部分はいつも車が停まるのであまり伸びませんが、周囲はどんどん伸び放題です。
しばらくは花畑の草取りと駐車場の草刈りに時間をとられそうです。
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私は貝になりたい

2007-08-25 07:45:51 | 感動した話
昨日放送された「終戦記念特別ドラマ・真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎『私は貝になりたい』」(主演:中村獅童)を見ました。

「私は貝になりたい」と言う言葉は聞いたことがあったのですが、その意味はよく知りませんでした。
1958年に故フランキー堺さんが主演で映画化され、有名になったそうです。
その内容は、捕虜の殺害を命じられ、実際は負傷させるだけにとどめた男が終戦後、軍事法廷で死刑判決を受け、「生まれ変わるなら私は貝になりたい」との遺書を残し、処刑台を上がる物語だったそうです。
しかし、それは事実とは異なっていて、原作者に無断でその内容を脚色されたものだったのです。

実際は、「私は貝になりたい」の原案となった手記「狂える戦犯死刑囚」を書いた元陸軍中尉、加藤哲太郎さんは、実は釈放を勝ち取って生きていたのです。
死刑囚として絶望の中で、今度生まれ変わるときは、戦争に行かずにすむように、何にも傷つかなくて済むように、深い深い海の底の貝になりたい、と思ったそうです。
今回は事実に基づき再現された、中村獅童主演でのドラマでした。

戦争と言う非常事態の中では、何が正義なのかわからなくなってしまいます。
ドラマの中で、北京の俘虜収容所で医師をしていた人もBC級戦犯として捕らえられていましたが、医師として俘虜を助けたいと思っても医薬品が届かず、手の施しようがなかったにも関わらず、医療放棄したとして絞首刑になってしまいました。
戦争では、やさしい人間は損をする、という言葉が印象的でした。
またアメリカ軍の医療刑務所では、アメリカ兵により、日本人に対して日常的にリンチが行なわれていました。

加藤さんは、妹さんたち家族の力でマッカーサー元帥に直訴し、なんとか減刑され、10年後には釈放されたのですが、ただ命令にしたがっただけで戦犯として処刑された人も多かったことでしょう。
しかし、加藤さんが生き残ったお陰で、当時のことが明らかになりました。

今は亡くなった私の父も、20歳で戦争に行き、6年後の終戦まで、中国や南方の島を転々としたそうです。
小さい頃、お酒が入ると、世界地図を持ってこい、と言って、この島に行った、この島はこうだったとよく話をしていました。
それは、船で航海しているとき、魚雷が船の真横を通り過ぎるのを見た、とか、食料難でヘビやカエルを食べたとかいう話でした。
また隊の中に芋作りのうまい人がいたので、他の隊のように芋づるまで食べずに済んだ、とか言ってました。
ほんとうはもっと辛いことがあったのでしょうが、小さい私たちにはそんな話はしなかったのでしょう。
その頃は、また始まった、とうんざりしていたのですが、今になって思えば、しっかり話を聞いてあげればよかったな、と思います。

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バザー品集め

2007-08-24 07:24:20 | ボランティア
先週の土曜日から、出かけたり、講座があったりで、お店のシャッターは閉めっぱなしでした。
近所の人は、もうお店がつぶれたのかと思っていることでしょう。
昨日もエステの講座があったのですが、一人体調が悪くて欠席されたので予定より早く終わったので、午後から久々にシャッターを開けました。
するとさっそくチャリティーショップの常連のおばあさんが、汗をふきふきやってきました。
腰が曲がって歩くのにもしんどそうな80過ぎの方なんですが、押し車を押しながら、ちょくちょく覗きに来られます。
これまでも、洋服やバッグ、食器やなべなど、かなりの数の品物を買ってもらっています。
そうしょっちゅう品物が入れ代わることはないのですが、何か新しいものはないかと一通りチェックして、新しいものが入っていると、目ざとく見つけて、買っていかれます。
今回も洋服は合うような大きさのものがなかったのであきらめられたのですが、手作りの刺し子の手提げをみつけて、「これはいい!」と買っていかれました。
以前は田舎の方に住んでいらっしゃったそうなのですが、2,3年前にこの団地に越して来られ、おしゃべりするような友達がいないそうで、ここへ来るのを楽しみにされているようです。
ひとしきり話して帰ってきかれました。

チャリティーショップを開いてから、一度にたくさん売れるわけではないのですが、それでも一つ、二つと売れていきます。
以前はバザーが開かれない間に、品物をコツコツ集めておいたのですが、最近は在庫があまりありません。
今度、10月13日、14日に「大にぎわい市」が開かれるので、それに向けて、みなさんに不用品の提供をお願いしているところです。

「大にぎわい市」は、熊本市の交通センターから熊本城へのメイン通りを歩行者天国にし、みなさんに楽しんでもらおうという地元商店街の大イベントで、ちょうどその通り沿いにある国際交流会館も、そのイベントに参加しています。
先日の夜に国際交流会館でその話し合いが行なわれ、「小さな一歩の会」は建物前のテントで販売することができるようになりました。
去年は、初日は手伝いが出来る人がいなくて、全部一人でやったのですが、準備が終わらないうちから次々にお客さんがやってきて、てんてこ舞いでした。
山のようにあった品物が夕方にはガラガラになり、翌日の分を急遽追加したくらいです。

今年は熊本城築城400年祭が行なわれていますし、それにあわせて「よさこいソーラン節」の九州大会も行なわれるということで、去年よりさらに多くの人出が予想されます。
こんな機会はめったにありませんので、たくさんの品物を用意して、売上を伸ばしたいところです。
皆さんの家に、日用品や贈答品など、バザーで売れそうなもので不要なものがありましたら、ぜひご協力ください。
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篠栗さん

2007-08-23 07:32:13 | 肥後観音寺
昨日は主人のお供で、福岡県の篠栗に行ってきました。
ここには篠栗八十八ヶ寺があり、四国の縮小版として手軽にお参りができるので、「篠栗さん」と呼ばれ、親しまれています。
子どもたちがまだ小さいとき、お寺の信者さんたちと一緒に何度か訪れたことがあるのですが、そこにはたくさんのお地蔵さんが並んでいて、そのまえにザルが置いてあり、お賽銭をいれるようになっていました。
なにしろお地蔵さんの数がすごいので、みんな一円玉を用意して、一つずつ入れていきます。
子どもたちが面白がってどんどん入れるのですぐになくなり、途中で何度か両替をしてもらいながら入れていってました。

昨日は、九月に西国三十三観音巡りに行くので、そのときの道具を買うために、久しぶりに訪れました。
そこは土産屋さんが数件並んでいて、昔は参拝客であふれていて、店員さんたちの呼び込む声もにぎやかで、活気にあふれていたんですが、いまではひっそりとしています。
主人の行きつけのお店には名物おばあさんがいて、主人の顔を見るといつも駆け寄ってきて迎えてくれていたそうですが、そのおばあさんも亡くなり、お孫さんが一人で店番していました。
暑い盛りということもあるのでしょうが、ほとんどお客さんはいなくて、寂しい感じでした。
今では、最盛期のお彼岸の頃でも、昔のような活気はないそうです。

その後、住職が宝くじを当てて有名になり、今では各地で講演活動をされている一番札所の南蔵院や、山奥にある呑山観音などにお参りして帰ってきました。
途中、高速のサービスエリアで人だかりができていたので、何かと思ったら、佐賀北と広陵の高校野球の決勝戦をやっていました。
その時点で4対1で佐賀北が負けていたんですが、次の瞬間、すごい歓声があがり、満塁ホームランで逆転していました。
続きは車のラジオで聞きましたが、優勝したときは二人でヤッター!と叫んでいました。
まったく知らないチームではありますが、九州というだけで応援したくなるし、勝つとうれしくなるのが不思議です。
暑い中、歩いたり階段を昇ったりと、足は重かったのですが、心は軽くなって帰ることができました。
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学校のモンスター

2007-08-22 07:30:11 | 肥後観音寺
主人が今月の観音寺寺報に幽霊の話を書いていました。
人吉の永国寺には幽霊の掛け軸があり、ゆうれい寺としても有名ですが、この幽霊の姿は長い髪をうしろになびかせ、手は胸の前でだらりと垂らし、足がありません。
その姿には意味があり、長い髪は過去を引きずっている様子、手は先のことをあれこれ心配してどうしていいかわからなくなった様子、足がないのは現実をしっかりみないで地に足が着いていない様子だというのです。
だとしたら、死んで幽霊になるのではなく、今の自分を仏様の鏡を通して見てみると、そんな姿が浮かび上がるかもしれません。

よく学校には幽霊が出る、といいますが、最近、教師の間で「モンスターが出た」「うちにも出た」という話がささやかれるそうです。
大阪大学院小野田教授の研究では、1980年代後半頃から、親と学校の距離感が変わってきていて、保護者からの「無理難題要求」が増え、学校はその対応に苦慮しているということです。
バブル経済が破綻した後、生活不安や職場のストレス、対人不信と孤立化。それにより社会全体が苛立ち、余裕を失っていて、その中でとりわけ間口が広く、文句を言いやすい学校がターゲットになっているというのです。

「けんか相手の子どもを転校させろ」「子どもの成績が悪いのは、教師の教え方が悪いからだ」など、長時間抗議したり、担任の携帯電話に夜間や休日にまで電話をかけてきたりする親がいるのです。
テレビの報道でも、給食費を払わない親が問題になっていましたね。
こういう親のことを「モンスター・ペアレント」と呼ぶのだそうです。

そういう親の姿を見て、子どもの方が「申し訳ありません」というあやまってくる例もあるそうですが、一般に子どもは親の背中をみて育ちます。
今の子どもたちに、善いこと、悪いことを教えるのもたいへんみたいです。
知り合いの先生から、隣の席の子どもの持ち物を勝手に取り、返してっていうと、その証拠がどこにある!とくってかかる子がいると聞いたことがあります。
自分が悪いことをしても、他人のせいにしたり、人を傷つけても、傷つく方が悪いとうそぶく子。
そんな子どもたちが大人になったら、この日本はどうなるのでしょう。

自分が幽霊やモンスターになっていないか、たまには自分の姿を仏様の鏡に映してみないといけませんね。
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