ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

十六夜のお月さま

2008年09月16日 | 自然 花や風景など

今日は十六夜のお月さまを眺めることができました。白く明るいお月さまです。

先日2回目のインタビューをさせていただいたスピリチュアルカウンセラーふじたさんとの対談をリライトしてふじたさん宛てに送りました。
面白かったのは、インタビューは1時間の約束でしたが、55分が経過した時点で私は10分位の時間の経過しか認識できずに、これは一体どうしたことかと考えたことです。ここでふじたさんは、面白いお話をされましたが、それはふじたさんのホームページにアップされてのお楽しみです。(アップされた時点でご紹介します)。
「時が飛んでしまう」という経験は過去にも一度したことがあり、その時は約束の時間が来ているにもかかわらず時が飛んでしまい、時間軸の認識が欠如して周りの方を心配させました。今回は対面していたにもかかわらず、記憶に残らないほどのスピードで時が過ぎ去ったしまったとでも言えばいいのでしょうか。
しかし、心配をよそに、リライトのためにレコーダーを回してみると、途切れることなくしっかり対話をしていたので安心しました。
そのせいで、インタビューの時間を30分延ばしていただいて、正味90分もお話を聞くことができました。
意識がありながら、たゆたう時間というのが実際にあることに驚いています。


 


私のパワースポット 軍刀利神社の大桂

2008年09月15日 | 自然 花や風景など



まっすぐに健やかに伸びた幹を見ていると、いい環境の中ですくすくと育った品の良さを感じさせます。
山梨県上野原の「軍刀利神社」奥の院にある大桂は私の大好きな巨樹の一つです。私はこの大桂を勝手に「おじいさんの樹」と呼んでいます。
幹の両側にまるで両手を広げたように枝を伸ばしている大桂は、おじいさんが両手を差しのべて「手の中に安心して飛び込んでおいで」と言っているようです。
「軍刀利(ぐんたり)神社」から徒歩10分で大桂のある奥の院に着きます。
踏みしめられた跡のない、土の道をさくさくと歩きます。

 
 

大桂の脇には、三国山からの水流が小さな渓流となって流れ落ち、水音が静かな空間を動かし続けるように心地よく鳴り響いています。
私のパワースポットのひとつです。


コスモスと満月

2008年09月14日 | 自然 花や風景など


ゆらゆらと風に揺れてそよぐコスモス。その先にはそばの花が満開でした。
たそがれて、思いもかけず満月のお月さまが山の端の雲の間から顔を出してくれたときには、今日が十五夜だと知らなかった私と友人は大喜び!!
しみじみと観月会のおまけまでついて、秋の季節の始まりをかみしめました。

「平和な空を!」~渡辺ひろ子 絵はがき~より

2008年09月13日 | 社会



夏に、元酪農家で「平和といのちをみつめる会通信『なずな』を発行している渡辺ひろ子さんにお会いしました。
そのときに、ひろ子さんから絵はがきを貰いました。(4枚組・カンパ300円)
その絵はがきには「平和な空を!」と文字が小さく入り、絵・渡辺ひろ子とあります。
絵はがきの他に一枚のはがきが入っていて、そのはがきの文言を読んでいたら、紹介したくなりました。

「自然が壊れて行きます。人間が壊しました。
暮らしが壊れて行きます。人の欲望が壊しました。
子供たちが壊れて行きます。大人の社会が壊しました。
心が壊れて行きます。競う仕組みが壊しました。
街や村が壊れて行きます。戦争が壊しました。
地球が壊れて行きます。人類が壊しました。
壊れた自然、壊れた街、壊れた心、壊れた地球…。
でも、壊れた街の片隅にも、やがて緑が芽吹き、花が咲きます。
街が再び緑におおわれる頃、人はきっと昔の暮らしと心を取り戻すはずです。
緑の原っぱの上に広がる青い空には、戦闘機より輪を描いて飛ぶトンボの方が似合うことをみんなが知る日が来ると信じたいと思います。
まだ間に合うと思うから、平和な空を取り戻すために、今日よりもうちょっとだけ頑張る明日を生きましょう。
平和といのちをみつめる会 渡辺ひろ子」

さらに、「憲法九条を 世界に! 未来に!」とありました。

ひろ子さんが書かれる「のばらの実」や「ウツギ」なども素敵なはがきになっていました。
ひろ子さんは、毎月1回、「築城基地正門前で『2反基地座り込み行動』」を行い、それが232回にもなっています。(通信「なずな」218号を参考)。凄いなあ!!!


心を込めるということ

2008年09月12日 | Weblog


心を込めるということについて考えてみようと思います。

昨日の雨嵐は落着し、落ち着くところに落ち着いたように思います。
2~3の嵐が集中した日でしたが、ほとんどはうまくつながり、話し合うことでいっそういい関係が保たれました。しかし、残念ながら修復できない嵐もひとつありました。
そんな中で、心を込めるということはどんなことかを一日考えています。
いただいた手紙やメールの返事、お礼状などをすぐ出す……これも簡単なようでなかなか難しいことですね。ラブレターの返信はすぐに出しても、関心事から離れたものへの返信には骨が折れることも事実です。
人はおおむね許し合いながら、そして許され合いながら生きていますが、どうしてもその範疇からこぼれる関係というのもあるようです。そんな場合は、もうばっさりとあきらめるしかありません。相性が悪く、物事へ取り組む価値観が違うということになれば致し方ないのかなと思います。
私も含めて、人は自分に都合のいい言い訳を山のように用意しながら生きていますが、そのことを鑑みても、理解しえない出来事というのが立ち塞がる場合があります。
そんなときには、潔く「グッドバイ」と身を引くことも大切ですね。「三度目の正直」という言葉があるように、三度は我慢し、折り合ってもさらに難しい場合にかぎりますが。

昨日に比べて、総じてうれしいことの多い、感動に満ちた出来事がたくさんありましたので、人生すてたものではありません。

知人にいただいた「深代惇郎エッセイ集」を読み始めたら、何だかとても心が清明になりました。読んでいて「心のこもった」という文字が目に飛び込み、その言葉に救われた一日でした。
しかし、いただいたことへのお礼状を出し忘れ、私も偉そうなことを言えた義理ではありませんが。
この本を下さったH・Nさん、遅ればせながら心を込めてありがとうございます。

雨嵐

2008年09月11日 | Weblog
今日は、雨嵐の一日でした。
久しぶりの風混じりの雨。私の身辺にも雨嵐が吹き荒れました。
明日はいい日になることを祈りながら。

敷物のお里帰し

2008年09月09日 | 生活・暮らし・家事など


長野県に住むイエルカ・ワインさんの作品「ギリシャ山羊の毛で織った敷物」です。
この正真正銘のウールの敷物が我が家に来て、もう3年くらいになるでしょうか。
刈り取った山羊の毛を手で紡ぎ、その毛糸で織った手織りの敷物は、暖かくて使い込むほどに柔らかさが増し、とても贅沢なものだと思っています。
数年前にイエルカ家に伺ったとき、ギリシャでも糸を紡ぐ紡ぎ職人がいなくなり、どうしたものかと考えていますと聞きました。
先日、イエルカさんの奥さまでやはり同じように敷物を織っている悦子さんから電話があり、「イエルカが瀬戸市新世紀工芸館で展示をやることになり、その展示作品のひとつとしてあなたのところに行った敷物を貸し出していただけませんか?」という連絡をいただきました。
私はすぐに「いいですよ」と応え、この敷物を「お里帰し」することになりました。我が家では食堂テーブルの下に敷いてずっと使ってきました。天然素材のいいものは、使い込むほどに味が出てくると、そのサンプルとしての展示だそうです。
イエルカさんはチェコスロバキアの方で、陶芸家でもあり、鉄のモダンでシャープな薪ストーブも制作しているマルチな芸術家です。



このストーブは、上部にオーブン機能が付けられていて、薪の火でピザや焼き菓子も焼けるようになっています。上にはお鍋ややかんもかけられます。お部屋の広さによってサイズも3パターンあります。「今度伺ったときには、この薪ストーブで焼いたお手製のピザをご馳走して下さいね」と、悦子さんに伝え、再会を楽しみにしています。

ヒタヒタといいものを作り続ける作家夫妻ですが、生き方も素敵です。自給自足をベースにしながら築300年の古民家に住んでいて、その設えの素晴らしさには感嘆します。私はその暮らしぶりはとても真似ができませんが、年に一度くらいは訪ねておしゃべりに花を咲かせたいなと思います。


同室の人

2008年09月08日 | 
今回の2泊の研修でツインルームを割り振られたときは、内心がっかりしました。
シングルルームの場合は、室内では気ままに過ごせますが、ツインで同室を使う人がいると結構気を使います。
同室の方は福島から来られたkさんで、なぜか私と同じ齢でした。
kさんは、40年間看護師として仕事をしてきた方で、今年8月に退職されたそうです。kさんが私に向って、「わたしねぇ、今の自分の役割は、孫の子守りかなって思ってんのさぁ」……福島弁丸出しです。それに彼女が着ているのは楽チンのゴムのパンツにおばさんTシャツ、ノーメイクでちょっといただけません。
40年も看護師として働いてきたキャリアウーマンには見えないなぁと、私も戸惑ってしまいましたが、しかし、同室のよしみでお互いに自己紹介しながら、人生の来し方や、いま、自分が大切にしていることなどをどちらからともなく話し始めました。
話を聞いていると、私はいつのまにかkさんの魅力に取りつかれてしまったのです。ふたりともマイペース、ルームキーは一つしかなく、煙草を吸うkさんは、「ちょっと外に出てくっから」と、どこかに行ってしまいます。私はその間に大急ぎでシャワーを浴び、本を読みながらうつらうつら……。夜中に「ピンポン」とドアチャイムが鳴り、kさんは、「ごめんねぇ、こんな時間になっちまって」とご帰還です。私はひとり参加でしたが、kさんはグループで参加していて、そのお仲間と喫煙ルームでおしゃべりをしていたようです。
さすがだなあと私に思わせたのは、勝手気ままな行動に私もkさんもまったく関知しないでしかもニコニコだというところです。わがままな私を苛立たせない魅力がkさんにあることを発見してうれしくなりました。やっぱり彼女は個で動ける自立したキャリアウーマンだったんだという妙な納得に膝を叩くような思いでした。

翌朝、私はkさんに言いました。
「ゴムのパンツやスカートはやめましょうよ。それに今朝はスッピンで皆さんの前に出るのではなくお化粧しましょうよ。私たち、これからきれいに生きなくっちゃ」と。そして私の数少ないメイク道具を貸してあげました。
まさに「老婆」がふたり、まるで青春を取り戻したようにメイクに熱中し、お化粧をしながらkさんは、「よっしゃ、今度あなたに会う時には、もっと体にフイットする服を着てくっからね」と意気揚揚。
孫守りに時間を割いているkさんの環境も理解出来て、kさんの優しさと太っ腹な部分に惹き込まれました。

「私はさぁ、20歳のときに看護師になったのさ。そしたら、妹もなりたいっていうもんで、『いいよぉ、学校行きな。私が面倒見て学費も出してあげっからさぁ』と、妹をまず看護師にしたのさ。そしたら、今度は主人が今の仕事をやめて新しい仕事をやりたいということで、そのときも『いいよぉ、好きな仕事、やんなよ。私が働いて当面は支えるからよぉ』と、主人に言ったのさ。そ~したら、主人がバブルの波に乗れなくてその仕事に失敗したのさ。まあ、大変だったんだけどもよ、何とか子供たちも大きくなって自立したのさ。そしたら、今度は長男も長女ももう1回学校行って、お母さんとおんなじ看護師になりたいというんだよね。次男は最初から看護師になったのさ。その時も私は、『いいよぉ、行きな、お母さんがなんとかしてやっからさ』と言ったのさ。おかげさまで長男も長女も看護師免許がとれて働き始めたのさ。長女と同居してんだけども、孫が小3と小1だども、下の孫は超未熟児で生まれてさぁ。でも、かわいいよぉ。その孫は口と耳だけは達者でね、他はみんな同級生に劣ってるのさ。長女はそれが納得いかないらしくてね。だからさ、看護師で忙しいそんな長女を支えるためにも、今、私が孫を観てあげるって大事なことなんだよね。孫のためにもなると思ってさ」と。

しかし、kさんは私にこうも宣言したのです。
「でもさ、よかった!あなたに会って。私も頑張るからさ。おしゃれも大事だよね。これから何をしようかなぁと思っていたんで、ちょうどいいかも知んないね。お互いに頑張ろうね」
kさんは、ショートカットの似合う、目鼻立ちのはっきりした美人さんなので、メイクをするとほんとにキャリアウーマンの顔になって来たのです。帰る時には、「ありがとう!!あなたと同じ部屋でよかった!!」と言ってくれました。自然体のままで、お互いが際立つことなく同室で過ごせたことに私も驚きながら、それはkさんの人を包み込むような優しさと大らかさのせいなのだと思いました。
人を深く知ることがこんなにも素敵なことなのかと、私も刺激をいっぱい受けました。そして、それには表面だけではなく時間をかけて話して見る事も大切なことなのですね。


読む楽しさ

2008年09月07日 | 本など



昨日から研修で「オブタ」にきています(写真は研修室の窓から見える景色です)。
ほぼ缶詰状態で、朝9時から夜7時半までびっしりカリキュラムが組まれています。
会場内のパソコンルームでこのブログを書いています。

旅のような気分で、余暇時間のために文庫本を二冊持ち込みました。
壇一雄の「火宅の人」と、それにまつわる沢木耕太郎の「壇」です。ふたつの本を検証するように読んでいくとこれがなかなか面白いのです。
能古島に「壇一雄記念館」ができたと知って興味を持ち、「火宅の人」を読み始めると止まらなくなりました。そしてさらにその帯にあった「沢木耕太郎著・壇」をほぼ同時に読み始めました。沢木耕太郎が壇一雄の妻ヨソ子さんに夫壇一雄のことをインタビューして書いたもので、書き手と書かれた人とを二冊の本から読み解いていくことはちょっとワクワクします。事の展開もさることながら、壇一雄の筆致の勢いというのが一段と面白く、壇一雄の当時の作家生活が小説の形をとりながら詳しくリアルに描かれています。
あまり普段は本を読まない私ですが、“寸暇”をみながら読書の楽しみを味わっています。一冊の本に出会うと、それにまつわる次の本にもついつい手を出してしまいます。