文とはこうあらねばという定義が私の中にただひとつあるならば、身を削り血を吐くような、喉に指を突っ込み、中の贓物を自分でほじくり出すような、そんな恥部を書いてこそとの思いがあります。
まったく違う筆致ながら、松下氏と西村氏、どこか似ているなあと思わずにはいられません。
ふたりとも自分の生い立ちや周辺を書いている共通の切り口のせいなのかもしれません。
家族の離散を経て自分自身に強いコンプレックスを持った青春時代や果てしない過酷な労働を強いられて糊口をしのぐいのちきの仕方など、いわば公安警察ににらまれながらも清々しく生き切った静の切り口が松下氏なら、前科つきの動の切り口が西村氏ともいえるのかしらと勝手に想像しながら読んでいます。想うにふたりの体躯の違い、病弱な松下氏と頑健な西村氏によるものも大きいのかもしれません。
松下氏は、貧しい生活をものともせず、環境権や社会悪などをテーマにした社会派ノンフィクションを書き、西村氏は師と仰ぐ大正時代の小説家・藤澤清造の全集を自力で復刻出版したいという願いの元に乱れた生活を自認しながらお金を投資していることなども、まったく違うと思いながらほんとによく似ている部分をはらんでいると思います。
西村氏は芥川賞を受賞した時、その賞金や印税をすべてつぎ込んで藤澤清造全集を復刻したいと語ったことを新聞記事で知りました。
西村賢太氏の芥川賞受賞作品が発売中の「文芸春秋」に載っています。
ここ数日、家ごもりをしていた私はまだその雑誌を買いに行けなくて、手元にないけれど、関心を持ってこの作家を追っかけてみたいと思います。
西村氏がこれをきっかけに優等生作家になることなく無頼な生き方を貫きつつ、ほとばしる生を書き続けて欲しいと思います。
ちなみに昨日夜9時のニュースの番組案内に「芥川賞作家西村賢太日常を語る」とあり、私は楽しみに西村氏の登場を待っていましたが、出ませんでした。
NHKに問い合わせると「ニュースの関係で出られませんでした」とのこたえ。取り立てて緊急なニュースがあったようにも思えなくて番組を見つづけましたが……。
私は彼の本を読みながら、これでテレビに出たらつまらない作家になるのになあと内心思っている方なので、マスコミに顔を出すことなく書き続けて欲しいなあと思うひとりです。