ここ数日、パソコンの前に一日へばりつく日が多かった、です。
それもようやくひと段落します。
自分で書いた原稿を、自分で直す……さらに人さまの書いた原稿も私が直す……。
何だかわけのわからない毎日を過ごしました。
書いているときは、ワクワクと楽しいけれど、書いたものを読み返してみると、その薄っぺらな“思想”があぶり出されて、何ともやりきれない思いに苛まれます。
ああ、この薄っぺらさが私なんだ!と自覚する日々は、めったに見ない夢にうなされるほどでした。
インテリジェンスのかけらも持たないわが身の哀しさよ……。
村田喜代子さんの本、『名文を書かない文章講座』と『縦横無尽の文章レッスン』は、そんな私を見透かすように、デンと近くにありますが、今さら読んでも間に合わない……。取り寄せたばかりなんですものね。
薄っぺらいだけでなく、たくさんの垢にへばりついた私の文、ああ、何とかならないかしら?
モノに命が吹きこまれるには長い年月がかかります。
今年2月に青山のギャラリー「DEES HALL」で行われた「沖潤子展」のときの衝撃。
そして、ふたたびの再会。今度は本で。
(作品集「poesy」より)
刺繍で彩なされた見る詩集。
全96ページ。どのページを開いても、そこには糸と針による美しいポエムの世界が編まれています。
私のところに縁あって来てくれてありがとう、一冊の「poesy」よ。
せっせと読み終わった本を古本屋へ運び、新しい本がやってきます。
最近買った本は、『スリランカの悪魔祓い』(上田紀行著)
『慈悲の怒り』(上田紀行著)
『日曜日の随想』(日本経済新聞社編)
『小さな暮らし』(石黒智子著)
『あたらしいあたりまえ』(松浦弥太郎著)。
ほかに友人から借りた本、図書館から借りた本、数冊。
知らないところ、行き慣れない土地に行くと本やさんに立ち寄り、ふだんは手を出さない本にも手が伸びてついつい買ってしまいます。
これって、とても不思議な現象です。
メモをとらないで人の話を聞く。
付箋を貼らずに本を読む。
このふたつのことって、とても大事なことだと思うようになりました。
だんだん物覚えが悪くなり、ついついメモをとったり、付箋を貼ったりしがちですが、思い切ってやめてみると、読書はしっかり読書として楽しめるし、人の話を聞くときもしっかり聞けるということに気づきました。
まあ、仕事の場合は別ですが……。
この発見は、とても新鮮な気分にしてくれます。
先日友人の家を訪ねた折り、3冊の本を借りて帰りました。
田口ランディさんの『聖地巡礼』と木村秋則さんの『すべては宇宙の采配』、そして巨樹にまつわる本の3冊です。
「すぐ読めるから~」という友人のススメで持ち帰りました。
ほんとにすぐにさらさらと読める本たちでしたが、単純に面白い本でした。
『聖地巡礼』は別の友人が読みたい!と言ったので又貸し状態。
“木村さんのりんご”で一躍有名になった木村秋則さんのことはずっと前、テレビで木村さんのドキュメンタリーを観たことがあり、映画「いのちのりんご」も観ていたので、本を読んでみようとまでは思い浮かばなかったけれど、本の表紙からあふれ出る木村さんの歯のない笑顔が「持ってけ!持ってけ!」と私に語りかけてといった按排で。
読み終わって、やっぱり木村さんは宇宙人的生き方のひとだったんだなぁとひとり納得しています。
名前の秋則さんは、まるで秋の収穫に則るように生きるよう生まれて来たのかしら?など勝手に得心しています。
どんな形でも名をなし、世に出る人たちはその役割を持って生かされているということでしょう。そして彼らに援けられ、彼らの傘の下で凡々と生きる私たち。そのどちらも素晴らしいと思います。
UFOを見たり、宇宙人と交信したり、幽体離脱の果てに連れて行かれた宇宙人の世界などなど、どんな科学者や霊能者が語るより、木村さんが語ると素直に頷いてしまう私がいるから不思議。
木村さん、いつまでもお元気で、りんごと語り続けて下さいね。
私もこれからベランダの植物たちに木村さんのように声を出して語りかけていきますね。
マンション裏手にある駐車場のサクラです。ソメイヨシノです。
満開に咲いた“我が庭”のサクラです。
サクラには青空が似合うのに、今日もどんよりとした曇り空。
水上勉の『櫻守』を読み終えて、感慨にふけっています。
『櫻守』が書かれたのは昭和43年、私が18歳のときです。
『櫻守』の中に、下筌ダム反対運動をした「蜂の巣城」城主室原翁のことも一部伏線のように描かれていて驚きました。
山を伐り、海や川を埋め、里を壊して成長してきたいまの日本。
その中で、日本固有のサクラをまもるため私財を投げ打ち、日本古来のヤマザクラなどの保存育成一筋に無位無官で生きた竹部や主人公弥吉の無垢なまでの姿勢。それに反するような環境破壊や「エライ先生方」の実践を伴わない机上だけの理論や論理などが当時の時流に添うようにサクラを通してさりげなく描かれていて、今も同じと、いろいろ考えさせられました。
大震災による原発事故のニュースが報道される中であばかれつつある「御用学者」という学者。
東京電力や国から原発関連の研究費名目で補助金をたくさん受け取り、ゆえに国民に真実を語れないという立場。東電が大手クライアントでもある報道関係者も然り。それらは何もいまに始まったわけではなく、各運動体の関係者の中にさえも多くみられます。
『櫻守』の中で語られている竹部や弥吉の言葉の中に、いまに通用する記述が随所にみられます。
御母衣ダムで水没する樹齢400年のサクラの樹の移植保存では、識者であり実務者として樹へのきめ細やかな愛情が注がれ描かれています。
「木村さんのりんご」などにもある樹に寄せる愛情の深さはサクラもリンゴも同じですね、そして人も自然もそこではみんな一緒。
『櫻守』の中に出て来る日本古来のサクラの数々。
弥吉が自宅の70坪の庭に植えたという「普賢象」や「泰白」「桐ヶ谷」「シダレザクラ」。
これらのサクラは東京都多摩にある「多摩森林科学園-サクラ保存林」で観ることができます。
いまこのときに『櫻守』を読めたことを本当にうれしく思います。
ありがとうございます。
上の写真は「御衣黄」というサクラ。(1910年4月14日自宅そばで撮影)。
ソメイヨシノと入れ替わるように咲きます。
このサクラを自宅から徒歩3分の裏手にある公園で見つけたときには狂喜しました。
ここに御衣黄桜を植えた感性を持った人はどんな方なのかしら?
きっとサクラ好きの弥吉のような人だったのかもしれませんね。
裏手にあるため、うっかり開花を見逃さないようにしなければと思います。
どんよりと曇った花くもりの日は冷え冷えとし、家の中で過ごします。
いただいた花束に添えられていたユーカリの枝。
その枝先を切り、水に挿していたら細い細い根が出ていました。
水こけに包んで鉢に植えてみました。
ベランダで育っていたユーカリがわけも無く枯れて残念な思いをしていたので、楽しみ。
本の整理をしていたら『櫻守』(水上勉著)が出て来ました。
今にして『櫻守』ながら、夢中で読んでいます。
本を読むたび、もっと早く読んでおくとよかったなと思うけれど、私とのご縁はいま。
水上文学は好きな部類に入るのかしら……面白い!!!!!
ありがとうございます。
ありがとうございます。
被災された方々には暗闇を照らす十分な電力と暖房が一日も早く届きますよう祈りながら、
被災しなかった私に出来ることは?
計画停電が行われていることで、夜の電気を極力灯さないで過ごしてみました。
(私の住む地域ではその順番がまだまわって来ていませんが)。
ろうそく1本がこんなに明るかったことを知りました。
夜、電気をすべて消したとき、家の中から立ち上る芳しい香りに気づきました。
昨日買ったパンの香りです。
視覚が少し遮られただけで、嗅覚がよみがえるという実感。
ところで、松下竜一著『暗闇の思想を』。
1974年に朝日新聞社から刊行された1冊の本です。
(写真は『松下竜一全集』全30巻の中におさめられた中のものです。)
その一節を引用してみます。
「なあ、とうちゃんちゃ。なし、電気つけんのん?」
「うん、窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
「そうかあ。ほしみるき、くろおうしちゃるんかあ」
電気を止めて幼な子と過ごした夜の、父子の会話の一節です。
1970年はじめ、九州電力による豊前火力反対運動の様子が記されたノンフィクションが『暗闇の思想を』ですが、闘いの渦中で、松下氏が考えた思想が「暗闇の思想」。
本の中には次のように書かれています。
「あえて大げさにいえば『暗闇の思想』ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力をも含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。………。これが現代の文化を問い詰める思想性をも帯び始めていることに、運動に深くかかわる者ならすでに気づいている。………。電気を失って、本当に星空の美しさがわかるように」――――
「月に一度でもテレビ離れした『暗闇の思想』に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。」と。
ここですでに松下氏は「停電の日」を設けてもいいと記しています。
そしていま、運動の成果虚しく40年近くが経ち、火力発電所のみならず原発が立ち並んだ末の今回の原発事故。
安全神話が崩れ、電力不足が叫ばれ、計画停電が実行され始めました。
被災者の方々の苦しみや困窮を思うとき、私たちに出来ることは何なのか?
不要な電力を極力使わない努力が今一番求められています。
節電によるいろいろの不都合が生じて来ているようですが、発電所の建設はもう要りません。
「電気を消してスローな夜を」、そして暗闇の中で感じる星空の美しさと共に、身体に持つ五感の素晴らしさに気づいてみるのもいいかなと思います。
被災された方々には暗闇を照らす十分な電力と暖房が一日も早く届きますよう祈りながら。
2月に行われた「七沢荘健康プロジェクトによるセミナー」でお会いした土橋重隆先生。
講師で入られた医学博士土橋先生から誠実さとあふれるパワーとエネルギーを感じた私は、さっそく土橋先生の本を2冊取り寄せました。
そのうちの1冊が『恐慌も病気もマネーが生んだ 突き抜ける生き方』(あ・うん)で、経済アナリストの藤原直哉さんとの対談を中心に編まれたものでした。
まえがきには、「忘れてしまえば、病気も恐慌も乗り越えられる」(藤原直哉)、「視点を変えて、生きながら生まれ変わろう」(土橋重隆)と、経済アナリストが病気について語り、土橋先生は「医者はガン患者を減らせない」と言い切る記し方。
読んで行くと、ふたりの先生の、ユニークで真に迫る対談に膝を叩き納得する場面や言葉に出逢って行く面白さに満ちています。
書き手の突き抜けた人間力による魅力や行動力は、読み手の私にも伝わり、私がどう生きるか、などを導き出してくれるヒントになりました。
藤原直哉さんにも、近いうちに「七沢荘セミナー」でお会いできると思います。
ありがとうございます。