「スーパーホットスポット」という言葉もだんだん耳慣れてきました。
3・11以来今まで聞いたことのない原発用語が飛び交い、それらが慣用語句となっているのは嘆かわしいことです。
いつも届く「化学物質問題市民研究会」のウェブ更新情報 2011年7月15日 第277号では次のような記事が案内されています。(私は個人的にこの研究会情報を信頼しています)。
■スーパーホットスポットを次々発見 放射能汚染に新事実、この数値を見よ!全国1000ヵ所を独自調査 〈後編〉 週刊現代 :現代ビジネス 7/14 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/11933
ここのところ、新聞やテレビなどと違って、週刊誌情報がかなり信憑性を持っているのではないかと語られることが多くなりました。
九州電力の玄海原発の運転再開に関するやらせメール事件と言い、福島原発事故の最中に起きる信じられないようなこれらの事々を思うと、広告収入とほぼ無縁の週刊誌が頑張っていると思います。
先日九州中津で行われた「竜一忌」で会った那須塩原市に住む知人は、「うちはホットスポットになっている。線量計で計ると高濃度の放射能汚染が出て来る。じいさんはここから動かないと言っているが、娘ふたり(中高生)のことが心配なので疎開を真剣に考えている」と話していました。知人は植木苗を育てている植木屋さんなので、「畑のことを考えると自分だけが自宅に通うことになる」とも言い、それを聞いた私は被害の深刻さをまたひとつ知らされる思いでした。
今回の週刊誌情報のスーパーホットスポットにも那須塩原は高濃度汚染が記されていて、ジワジワと各所が汚染されていることを思わずにはいられません。
汚染牛が食べた稲ワラは原発から75キロも離れたノーマークの福島県浅川町だったことも事態の深刻さを裏付けています。
臭いも無く味もしない、いわば五感で知ることのできないモノ言わぬ沈黙の放射能の恐怖におびえながら、私たちの暮らしの安全安心は回復することなく広がりつつある現実から目をそむけないようにしなければと思います。
物事は事態が起きたときから終息へと向かうものだけれど、原発に関しては事故が起きたときから問題はさらに拡大して行くと語っていたのは確か小出氏の本の中だったようです。人が造ったものを人が制御できないというのが原発のしくみです。
人が人智で終息し得ないものを扱う恐れに対して自分ごととして一人一人が向き合わないといけない時期を迎えたのでしょうね。
そして感じることは「蝉の鳴き声が聞こえない」ということです。我が家のベランダから虫の鳴き声がいつもは姦しいのに今年は静かです。
酷暑の日々が続いているのに、夏が来たのを感知できないどこか虚ろな思いは、梅雨が明けたのに蝉や虫の鳴き声が聞こえないという気づきにあるのかも知れません。
梅雨が明けて、朝から青空が広がっています。
これからしばらく暑い日が続くのでしょうね。
ねむの木の写真をようやく撮ることができたけれど、もう花は終わりに近づいているのかしら?
ほとんど記憶に刻まれることなく、あっという間に時間は刻々と過ぎて行きます。
大震災から昨日で4カ月が経ったのですね。
各地で鎮魂の慰霊の祈りが行われました。
南相馬市から出荷された牛肉が汚染されていたというニュースが流れました。
餌のワラから7万5000ベクレルのセシウムが検出されたとか……。
放射能の無限地獄を見る思いです。いったいどこに怒りをぶつければいいのか、こたえが見つかりません。
暑い被災地、突然天から降って来た災難で苦しんでいる人たちの苦難を人ごとにしてはいけませんね。
松本復興大臣が辞任しました。
それについて藤原新也氏が彼の会員制サイト「SHINYA WM」の「SHINYA TALK」で考えを述べられていました。なるほどなぁ……と、そんな感じを受けました。
ウエブマガジンだけではなく「Shinya Talk」でも公開されていますのでこちらをどうぞ→★
私を含め、大方の国民が松本相を非難の波にさらしたのに対して、新也氏は異なった意見を述べられていました。
その展開は面白く、今回のこのことを「実にくだらないこと」と断罪し、新也流視点でいくつかの具体例を挙げながら彼の考えの解説をし、その解説になるほどなぁ……と思った次第です。
「この時代固有の“よい子症候群”の中で起こった悪循環のひとつで、かくして人材は次々に枯渇し、残ったものは感じのよいがただの無能者というプロセスを辿りながら、政治と、そして国家はやがて衰弱していくわけだ」と記していました。
藤原新也氏の辛口トークが大好きな私。彼の辛口は真のやさしさに裏付けられたものであることをその著作などで感覚的に知っている私は、彼の大ファンです。
話しは変わって、いつもいつも遅刻をしてくる友人に思いあまった私は、場を変えて友人から電話があったときに「遅刻はいけないわ。あなたはまともに時間に来たためしがないでしょう!」と叫んでしまったのはつい先日のことでした。その友人、のらりくらり、いつもいつも遅刻の言い訳や嫁の悪口ばかりで業をにやしたのが私。言ってみればその友人ののらりくらりが誘い水になってまんまと乗せられ、会話の中で大声を出してしまったのは私で、そのしたたかさに負けたというのが事実。後味の悪いものになりました。
つくづく自分のキャパシティの狭さを衝き付けられるのは友人ではなく私自身であることに気づいた時には後の祭りです。友人はきっと私が怒鳴ったことくらいでその習性を変えることはないでしょう。
遅刻をする人を、そういう人だと理解すればそれなりの付き合いようがあるものを、自分と同じペースにしようとして失敗したというケースですね。友人のさらに上を行くのらりくらりを演じられるようになるといいな、と、これが今の私自身の理想の姿……。ムツカシイなぁ……。人間出来ていないから……。
まあ、世の中には様々な考えと行動の人がいて成り立っていて、それが同じ方向に軌道修正されたときにはむしろアブナイということを新也氏もTALKで教えてくれ、私自身も自覚しなければなりません。
時間のことも、相手はどうでもよく、私は時間を守るということで溜飲を下げる、ただそれだけでいいのにね。
または、私がさらに遅れて行くという手も残されているけれど。
午後7時のNHKニュースで流れた松本龍環境大臣・復興大臣の発言。
見ていて怒りがわいてきました。
被災地に入って出迎えた知事が1分遅れたというだけで、大怒り、それも言葉遣いの品のないこと。
さらに支援について、「知恵を出すやつには支援するが、知恵のない奴には支援しない」などという始末。
それがニュースで映し出されました。
国民をバカにしたこれらの発言と、高慢で威嚇的な態度。第一、「やつ」って誰の事?
思わず、あなた何か勘違いしているのではありませんか?と訊いてみたいほどでした。
困りますねぇ、こんな人が大臣だなんて。
怒りとともに、悲しさがわき上がってきました。
言葉はそれ自体がいのちと思っている私。
人に向かって、被災者に向かって、被災地を訪ねたときにこんな暴力的言葉を発するなんて、最低です。
今回「竜一忌」の講師として招かれた田中○○氏。
午後1時半から始まった会の中の主要な講演の話し手でした。
2つのプログラムの後の田中氏の講演の終了時間は3時半か3時45分とプログラムされていたことは当日配られた資料からも伺えます。
ところがこの田中氏、スタッフが「時間です」と終了を促したにもかかわらず、予定の時間をそこからさらに30分以上ももオーバーして終わったのです。
このことについて会場の人たちと話した結果は、氏は何を伝えたかったのか氏の話の内容をまったく覚えていないという人が続出。
講演が始まってしばらくしたとき、氏が「そうそう、私の時間、何時まででしたっけ?」とスタッフとも聴衆ともなく独り言のようにつぶやいたのです。
私はその時点で興ざめしました。講師ともあろう立場で、しかも交通費や宿泊費、講演料をもらいながら、演壇にたったとき、自分に何分の時間が与えられているかの自覚もなく話すなんてこの人最低と思ったのです。
その予感は集中し、だらだらと話すこと予定時間を30分以上もオーバーし、さらにスタッフの終了のサインにも耳を貸さず話し続けた田中氏という人物の品格のなさに憮然としました。
そこには聴衆に聴いていただくという感謝もゼロ、準備もゼロという思い上がりな傲慢さのみを植えつけられた感じでした。(準備ゼロというより、準備過多かもね。実際には山のようなスライドを持ち込み、そのチェックを何度もしていたとか・・・・・・)
「竜一忌」は松下竜一氏を偲ぶ人たちで会場が埋め尽くされただけで、田中氏の講演を聴きたくてきたわけではないのにね、なんだか大きな勘違いをなさったのかしら?
面白くて感動を呼ぶ話ならいざ知らず、ましてや公共の会場を借りているという主催者への配慮、自分が予定をオーバーすることで後の展開に大きな迷惑をかけるなどにはまったく無頓着の厚顔無恥ぶり。
彼が書いた本を会場で売っていましたが、興ざめし「本なんて買わない」と思った私。ほかの人たちも口々に、講演を聴いたらそのあとの本はたいていは読んでみたいと思わせるものなのにねと。
さらに松下氏をよく知る人たちはこんなことを語っていました。
「松下先生は、たとえば40分の講演時間が、主催者の不手際があり、開始直前になって20分にとお願いしたときにもきちんと20分で話して下さってそれも感動的にまとめてくださって、それはすごい人でしたねぇ。ほんとに頭のいい人だったんですね」と、こんな話が口々に語られたのは怪我の巧妙かしら。
私、ジャッジをしないと決めたのに、今回のこのことは腹の虫が治まらなくて、ブログに書いてしまいました。公共の施設などを使うときは、会場側の時間のチェックが厳しく借りている時間をオーバーするとかなりの追加料金が加算されるなど、全体を見渡した自分の立ち居地というのが欠けていたのかしら?
あちこちと講演会やシンポジウムなどで講演を聴くことが多いけれど、こんなケースはめったになくびっくりあきれてしまったのも事実です。
今回の田中氏も講演に呼ばれるくらいだから、どこかとても優れた部分をお持ちなのでしょうが、逆にその分、大きく欠落している部分もあるということでしょうか・・・・・・。
いつからかぷんぷんおばさんになった私。これで終わります。
ほ・おぽのぽの・・・・・・。
ありがとうございます!!!
今年で7回目が終わりました。
毎年少しずつ変化するものと変化しないものの中で、今年も開催に向けてお骨折りくださいました「中津草の根の会」の皆さま、ありがとうございます。
朝から深夜まで松下ワールドにどっぷり浸かった一日でした。
松下竜一の磁力はますます強くなり、今年の参加者は150人に迫る勢い。
回を重ねるごとに旧知の仲間が増え、1年を振り返るよすがとなり、今年もワクワクが目白押し。
よくしゃべり、よく食べ、よく飲み、旧交を温め合う仲間たち。
「また来年もお会いしましょう」と、散り散りに自分の持ち場に戻っていきます。
それにしても、ゆるがない仲間たちの要には松下氏がいます。思想信条の違いを含め様々な方々が集う「竜一忌」がこんなにさわやかに終わるのも、それぞれが松下を熱愛し、自称弟子の自覚を持って臨んでいるからかも知れません。
律儀にひたむきに。
松下氏のいきざまをお手本になぞるように、私も7回目の参加を終えることができました。
深謝。ありがとうございます。
「失敗学」という学問のことが、12日、13日と続けて「毎日新聞」に載りました。
12日は『時代の風』で加藤陽子東大教授が書かれたコラムの中での「原発事故失敗生かすには」で触れられ、13日は『特集ワイド」で失敗学の第一人者で政府の原発事故調査・検証委員会委員長の畑村洋太郎氏を特集し、小松やしほ記者が臨んだ記事です。
記事によると「失敗学」の名付け親は立花隆氏で、2000年には「失敗学のすすめ」という本が出されたそうです。
失敗学では「人間の注意力に頼らない」ことで、そのためには「失敗が起こらない設計や組織のあり方をどうつくるか」が要点のようです。ほかに「局所最適、全体最悪」もキーワードのひとつらしい。
失敗を繰り返しつつその失敗を検証し、よい方向へ導いていくことでもあるけれど、今回の原発事故は、失敗は繰り返されてはいけないものであり、原発災害は発生とともに始まるということが今までの大事故などに比べ、改善の余地のない完璧なものでなければいけなかったということが深刻さを増しています。
いずれにしても私たち市民は、正しい情報開示をわかりやすくということを望んでいます。
隠されている不都合なことはないのか、不都合なことを隠し続けている人たちはいないのか、さらにどちら側に立って情報が開示されようとしているのかなど、ひとつしかない本当の情報が改ざんされていないかなど、見つづけて行く必要があります。そのためにも失敗情報の開示も大切なことですね。
失敗を続ける動物でもある人間に「失敗は成功の母」という言葉を贈った先人の知恵。
罪人に対しても「罪を憎んで人を憎まず」など、失敗を許しながら次の展開へと誘って行く生き方。
しかし、原発事故と核燃料などについて、また放射線汚染などは失敗のない完全無欠なものでなければいけなかった。
完全無欠なものを創り得ない人間としての傲慢さがそこに隠されていなかったかなども思います。
「あはは、負けた、負けた」と名言を残したのは「環境権裁判」で負けた作家松下竜一氏。
しかし、そのことは今も語り継がれ、環境問題を扱う人たちのバイブルとなっています。
そして、今回の市原市長選で力及ばず、せり負けたのは新人候補者の松本靖彦氏。
投票率53,94%、得票数57693票で、現職候補のとった61582票に3889票及びませんでした。
松本氏を隣市から応援した私でさえ、力が抜けがっかりしたので、当事者やご家族、親族、市原市で応援した人たちの悔しさがわかります。
物事には必ず勝ち負けが伴い、選挙では僅差でも負けは負けです。
4月20日に立候補を決め、準備に十分な時間も無く選挙戦が繰り広げられているあいだ中、松本氏の教え子や、むかしお世話になったという父兄の方々が手伝いに押し寄せました。いまではなく昔の恩、過去の恩をいま返す時だと駆け付けた純朴な思いに周りの私たちも巻きこまれました。
私が駆け付けた理由も同じです。
里山整備に力を出し、ボランティア活動に明け暮れていた松本夫妻。過疎の進む小湊沿線に花を植え、地域活性化にと心血を注いでいました。そこで出逢った私。いつもいつも快く迎え入れてくれ、「飯給小屋」でもてなしをいただいたありがたさ。それが私を駆り立て、ご恩返しをと期間中手伝いに通いました。
ダルマの両目に墨が入ることなく……。
選挙戦の疲れがとれ、落ち着いたら、みんなで松本夫妻を励ます会を会費制、手作りで行えるといいなと思います。
勝っても負けても私たちの思いは変わらず松本夫妻とともに。
美しい里山を持つ「田園都市いちはら」、そろそろ「ホタル便り」が届きそう。
今年もまたホタル狩りに行きたいな。
昨日の記事にも書いたように大阪の宮村さんに本を送りました。段ボール二つ分です。届いたとのご連絡をいただきました。
宮村さんの許可をいただき、私のブログを読んで下さっている方にも呼びかけさせていただくことになりました。
宮村浩高さんは大阪在住で、取材の仕事を長年なさっています。
その宮村さんが、社員の方と被災地に何度も足を運び、現地のニーズを把握した立場で「被災地に本を送る」活動を開始。10,000冊の本を送りたいと本のお願いをしています。宮村さんが集めた本は車で被災地に運びます。宮村さんは、「息の長い活動をして行きたい」とお話していました。
被災地に届けたい物は
1:古本(文庫・マンガ・単行本)
2:辞書(国語辞典・英和辞典・和英辞典)
3:文具(ボールペン・ノート・鉛筆)*新品に限ります。
宮村さんの住所は
575‐0003 大阪府四条畷市(しじょうなわてし)岡山東5-3-71 宮村浩高あて
電話:072‐877‐8805
皆さまにお願いです。
本の送料は元払いでお願いいたします。何冊でもかまいません。どうぞよろしくご協力下さいませ。
できれば、「ちあの散歩道」を読んで、と、どこかに書いていただけるとありがたいです。
宮村さんは6月18日に中津市で行われる「第7回竜一忌」に参加されるそうです。
私もそのときに被災地の状況をさらに詳しくお聞きするつもりです。
ありがとうございます!!!
ちょっと尾籠な話しで失礼いたします。
しかし、どうしても書かずにいられないのです。
旅をしたり、民泊したりすると、様々なトイレ事情のもと、様々なトイレに出逢います。
若いころ、モンゴルに行こうとして、トイレのことを聞いたとたん恐れをなし、やめたこともあります。今では平気になったけれど。
東南アジアや中国のトイレも、ときどき夢にうなされるほど。
トイレって、人の生理と直結しているので、とてもとても気になります。
さて、国内。
尾瀬のトイレも何か仕掛けがあったような……。
軽井沢に近いところに家を建てた知人宅のトイレは、まるで風呂がまのようで階段を2~3段上がって用を足す「バイオトイレ」でした。後の始末にはそこに用意している木の葉や木くずをかけて出るのが決まりでありマナーでした。
長野の友人宅のトイレは昔の和式トイレだけれど、床は漆塗り、昔の豪農の機能に裏付けされた贅を見た思いでした。
そして、今回初体験のトイレは、「三芳村自然塾」のトイレでした。
ゲストハウスに着いたとたん、管理人から「トイレの説明をします」と、トイレに案内されました。
「汲み取り式和式トイレには慣れているから大丈夫ですよ」と、ドアの外側から応える私に、さらに一歩入るようにと促す管理人。
「はい、紙は中に落とさないで壺の中に入れるのですね」とさらにそこで立ち止まっている私。(これは上海の間違って泊まった超高級ホテルも周辺の下水事情からそうでしたから体験済み)。
その私に、管理人はトイレのふたを取りました。トイレの中をおそるおそる覘き込み、「おっ!!!」「ぎょ!!」と驚いた私。
「こんなトイレ初めてです」と私。
思わず写真を撮りたいと思ったほどのバイオトイレの出現。
見かけは普通の和式トイレながら、「中」が違うのですねぇ!!!!!
かがんだ目の先の壁にこんな記述の紙が貼ってありました。
「『小』のときは、できるだけ前にかがんで下さい」「『大』が終わったときは、缶に入れてある灰ともみ殻をかけて下さい」と。ポットン便所独特の「お返し」がこないのも歴然。
ひとつの和式トイレながら、大と小を区分けして収めるというスグレモノのトイレでした。使うときはちょっと緊張しますが。
管理人の話しによると、「近くのコマツさんが作ってくれました」と。今度行った時にコマツさんにその経緯を聞かなくては……。
(コマツさんは趣味人でもあり、書道の先生で私にお抹茶をたててくれました。美味しかった!!!)
尿と便を分けることによって臭いがほぼ解消されることなど、逆にいえば、便と尿が混ざるからこそ雨や曇りの日は部屋中に臭いが充満、だそうです。いわれてみれば自然塾のトイレはほとんど臭わない。
区分けされた人糞は溜めて発酵させたあと畑に使うとか……。これこそ有機?&勇気。
私は泊まっている間、朝になると壺の中の「落し紙」を前の畑で焼く係を申し出ました。灰になる面白さと始末の仕方は田舎ならではです。
「東関東大震災」でも、被災地のトイレ事情はニュースにもなり、現地に入った人たちからは壮絶さが語られ、考えさせられてしまいます。
7月ごろ、4人でチームを組んで被災地に祈りの旅に出る計画も少しずつ前進、具体化しています。
ここでも話しあわれる「トイレのこと」。
「バケツと猫砂」を使っていざのときは用を足すなど、テントを張る生活の中で、様々な提案がなされています。
トイレのことを考えるとストレスになったり、夢にうなされたり、緊張したりします。
そんな中、読んでみたい本が「ぼくは都会のロビンソン」。
ここにもたくましいトイレの話しが書いてあったような……。アマゾンで取り寄せることにしました。
人の生理と直結するトイレ。「被災地に入ったときの感じ方も人の生理によって大きく違う」と語ったのは藤原新也さん。便利さに馴らされた中で、何をどう感じるか……。
災害時の我が家のトイレの使い方なども視野に入れながら、思いがけず様々なトイレ体験中といったところです。
それにしても「三芳村自然塾」のトイレ、お見事でした。
尾籠な話で失礼しました。しかし、とても大切なことです。
出して入れる循環の中での始末の話しとして受け取ってくださればうれしいです。
ありがとうございます。