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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

那智大社に被害が!!!

2011年09月07日 | 社会

ニュースを見て驚きました。

「台風12号による影響で、和歌山県那智勝浦町にある世界遺産・熊野那智大社の裏山が崩れ、13の建物からなる社殿(重文)の一部が土砂に埋もれた」と。

また那智の滝のしめ縄が切れ、滝の手前の大岩「おかみしろ」も流されたと。
いかに激烈な豪雨だったかが思われます。

何年か前に「熊野詣で」をした私。
あのときの風景が被災して変わってしまったのですね。
復旧を祈りたいと思います。




川のそば。

私は川が好きなのです。


朝を迎えて

2011年09月05日 | 社会



台風の被害があちこちに広がっているようです。

“台風一過”という言葉の響きも失われてしまったように、台風は蛇行し、長く留まり、たくさんの爪痕を残していきました。
自然災害の大きさに言葉を失う出来事が多くなりました。

台風は一過性のもので、過ぎ去ったあとには青々とした美しい空が広がる……そんな子供のころの記憶がかき消されるように、台風の動きも複雑になっているように感じます。
すっきりと晴れ上がったさわやかな空の出現は望むべしもないような気象が台風のあとも続くことが多くなりました。

自然災害に目を見張るたび、私たちが自然を冒したことの反転現象ではないかしらとさえ思います。
台風による甚大な被害が出て、日本の国難が続きます。
被害を受けた方々の絶望を思い、心よりお見舞い申し上げます。


平均年齢

2011年09月03日 | 社会





野田新内閣の平均年齢は58、3歳と今朝の新聞が報じていました。
さらに40代が5人、最高齢者は73歳と。

少し前まであった、老獪な議員さんが顔付き合わせて議場で議論する様子は、これから溌剌としたエネルギッシュな顔触れに変わるのですね。

新聞では、小沢さんの腹案には西岡総理ということも一時取りざたされたようだけれど、西岡さんは75歳。固辞した藤井さんは79歳。小沢さんの感覚はこうしてみると古いものにしがみつく感じが否めません。

私もふくめてみんな自分が齢をとったことは認めたくないけれど、若い人の活躍を喜び支える役割へと転じていく人にならなければと思いも新た。それの方が断然かっこいい。
もうそれほど若くないことを社会で活躍する人たちの平均年齢を知って思うこのごろ。
シニア世代はいい感じで、後見の面持ちで社会に貢献していくことが、たいせつですね。


小沢さんは選挙に弱い??

2011年08月29日 | 社会



「ゆりかもめ」を降りて、午後4時半ごろJR新橋駅を目指して歩いていたら、号外を配っていました。

あ、そうだ、今日は民主党の代表選だったんだと思い、号外を受け取りました。
見てびっくり!!!!!
いつものように、小沢さんの策略が顕著になり、数の論理から行くと海江田さんなのかしらと思っていたら、野田さんの顔が大写しに!!!

思わず、号外を配っている男性に「こんなこともあるのですねぇ……」と言ってしまいました。

野田さんは千葉県船橋市出身。
私は千葉県に住んで久しいけれど、千葉生まれではないので、総理が千葉出身はどうでもいいことですが、頑張ってほしいと思います。
そのむかし、村山総理が誕生したときは、大分出身の私はうれしかった。
トンチャン、トンチャンと呼んでいたのでなおさら、うれしかったけれど、千葉県出身の野田さんにもエールを送りたいと思います。

それにしても、選挙の小沢と言われた人は、選挙に弱い人なのかしら?????


1面トップに島田紳助さんの写真

2011年08月24日 | 社会

今朝、新聞をみたら1面トップに島田紳助さんの写真が載っていました。
何があったのかしら?と思ったのは私だけではないはずです。
数日前も「24時間テレビ」で紳助さんが映っていたし、「鑑定団」のファンだった私はちょっと残念です。
彼の突っ込みと毒舌には独特の個性があって、その分、名前には「紳士になるのを助ける」ともとれる意味合いの漢字が使われていて……。
有名になればなるほど社会への影響は大きいし、その分社会的制裁も大きくなるということのようですね。


田上長崎市長の平和宣言

2011年08月10日 | 社会



月が満ちて来ていますが満月にはもう少しひにちが必要です。
写真は7月11日に写した満月の写真です。
絵のようなこの写真、気に行っています。


ところで、田上市長の長崎平和宣言を実況放送で聞きました。
さらに今朝の新聞で読みました。

優しい言葉を使った市長の言葉はこころに沁み入りました。
わかりやすく、わたしたちと同じ目線に立って、語りかけてくれました。
こころを打つ平和宣言だなと思っていた矢先、長崎に住む人から次のようなメールが届きました。

………………

みなさん

長崎市の平和公園で9日「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、田上富久市長は平和宣言で、福島第1原発事故を踏まえ、原子力に代わる安全な再生可能エネルギーの開発に着手するよう訴えた。

と、言うニュースをどう受け取られたでしょうか。

 

この「平和宣言文」は3回の「18人の有識者による起草委員会」がもたれた上で

作成されたものです。

311があり、その起草委員会の趨勢意見では「『脱原発』の文言を」と言う事でした。

それが、この期におよんでの反対意見が通って玉虫色というか、腰砕けフニャフニャな宣言文になりました。

 
………………

という内容でした。

「腰砕けふにゃふふにゃ宣言文」と書かれていますが、私にはそのように思えません。
内容も踏まえ、語り口と言い、声のニュアンスといい、よいものだったと思います。

今年の広島市長の平和宣言はテレビや新聞で見ることができませんでした。
去年の広島市長の平和宣言はとても魅力的でした。
去年も今年も、首相の言葉より、地方都市の首長の言葉に魅入るものがたくさんあります。

言葉の解釈は、五感に触れたその人に任せるのがよいのではと思います。


宝物のように。

2011年08月06日 | 社会

「ご遺体は宝物のように丁寧に扱え」、これは今朝6日付「毎日新聞」の「KEY PERSON INTERVIEW」で記者が史上初めて編成された被災地での陸海空統合任務部隊の指揮官を務めた君塚栄治・現陸上幕僚長にインタビューした記事中の言葉です。

「宝物のように」……、この言葉は被災地でボランティアリーダーが瓦礫撤去のボランティアにその扱いを指示していた言葉でもあります。お位牌や大切なものではないかと思われるものの扱いは特に丁寧にと注意事項で耳にしました。



上の写真は、被災地での身元不明者が仮埋葬された仮設墓地の1か所の様子です。
人里離れた山の高台に造られていました。
近くにあった赤つめ草を摘んで、供えさせていただきました。



ここに仮安置された身元不明のご遺体は、身元が分かった時点で再び掘り起こされ火葬されますが、それでも一日に2体しか焼けないと係りの方から聞きました。
入口にはプレハブ小屋があり、警察官詰め所があり、大切に扱われている様子が伺えます。



ここに埋葬後、身元がわかったご遺体の前には名前が書かれ、花が添えられていましたが、身元の分からない方は花もなく番号のみが記されています。

私たちは道中、ここに仮設墓地があることを知り、立ち寄り、係りの方に許可をいただきそれぞれに祈りを捧げました。この高台までの道にはヤマユリがたくさん咲いていましたが墓地周辺には花が無く、わずかにあった赤つめ草を摘みました。
私たちが墓地の中で祈らせていただいているあいだ中、詰所の係りの方が遠くから5~6人、直立して祈りの姿勢で私たちを見守って下さいました。ありがたさに身が震え、泣きました。
私は、それまで津波で亡くなられた方々の無念さに拉がれていましたが、たとえ身元がわからなくても、こうやって丁寧に安置されているご遺体の様子に触れ、心から安堵しました。
私はここに立たせていただいたとき、日本って何ていい国なんだろうと日本人に生まれたことを心底誇らしく思いました。

この場の写真を撮ること自体が不遜なことのように思え、ブログへのアップはしないと決めていましたが、今朝の記事に触れ、読んで下さる皆さまにもこのような場所があることを知っていただきたく、載せました。

「ご遺体は宝物のように丁寧に扱え」、ひとりのトップリーダーの敬虔で崇高な思いを人々が引き受けて下さっていることに心より感謝しました。
自衛隊のみならず、各所でその場を動かすすばらしいリーダーにたくさんお会いしました。避難所や仮設住宅を支えるすばらしいリーダーたち。あるところでは被災者自らがリーダーとなりともに支え合っている姿や、あるところでは若者が、オバサンがボランティアとしてチームを立ち上げ、毎日押し掛けて来る短期ボランティアを適材適所に配し、被災された方々を支えている姿です。
この方たちに共通していることは、自らも他者へも人の尊厳をしっかり自覚しているということのように感じました。

ありがとうございます。


原発反対

2011年08月05日 | 社会

ひさしぶりに阿部敏郎さんのブログ「いまここ」を開きました。
原発のことに触れています。私の好きなブログでオススメブログです。

那須に住む友人の伊藤さんは自宅周辺がホットスポットとなり、今は野菜も安全なところに住むご友人から送ってもらっているそうです。
その伊藤さんがぜひ観てほしいと言ってくれたユーチューブ。藤原新也さんの「SHINYA TALK」にも案内がなされていました。
それは東京大学児玉教授が国会で語った原発への満身の怒り ユーチューブ→★ です。

ずっとテレビも新聞も、そしてネットもごぶさたしていた私ですが、伊藤さんを経由した児玉教授の情報は強烈でした。怒る、憤るということ、もっともっと私たち、出していかなければいけないと思いました。



笑顔に触れて

2011年08月03日 | 社会



 



最後の訪問先となった福島県相馬郡新地町の作田仮設住宅集会所でお会いしたおばあさまたち。
心から私たちを受け入れていただいて、私たちがここを去るころ、笑顔があまりにステキだったので、「写真を撮らせていただけますか?」と声をかけ写した写真です。

津波当時のお話しやいまのご様子をたくさんお話しいただきました。
「しっかり現場を見て行って下さい。いましか見られないから、目をそむけることなくよく見て行って下さい」と促されました。
3人のおばあさまたちが、私が被災地でセラピーをやらせていただいた最後の方たちです。仮設住宅に住んでいらっしゃるということは、家を津波で失った方々です。
「気持ちよかった~~。軽くなった~~」と言っていただいて、笑顔を寄せていただき、私もたくさん力をいただきました。終わった時のこの笑顔。至福ってこんなときのことをいうのかなと思いました。
お互いにありがとうございましたの交換エールを交わすことができたありがたさ。
セラピーを通してたくさんの方に触れさせていただき、身体が緩むことによって皆さまが心を開いて下さったことの感動は忘れることなく、私のこれからを支えてくれることでしょう。
感謝でいっぱいです。ありがとうございます。


被災地 山田町~大槌町

2011年07月23日 | 社会





津波が直前でとまり、残された家々。1階は被災しています。



瓦礫がかなり片付いていますが……。まだまだつめ痕が残されています。







豊後水道でタンカーに乗っているとき大津波を知り、引き返したという65歳の男性。
電車を乗り継ぎ5日間かかって家に帰り着き、自宅のあった場所に行ったけれど、みんな波にさらわれ、見つかったのはベルト1本だけだったと語って下さいました。



小槌神社本殿脇に設えられた舞台で行われた高千穂神楽。





神楽の荘厳さとおかしさにたくさんの笑いがこぼれました。
神楽の演目の合間に行われた高千穂神宮の宮司さんのお話しはすばらしく、被災された方々への思いの深い穏やかな優しい気持ちが伝わってきました。



高千穂神楽の行われた小槌神社は少し高台にあり、本殿や社務所などの他に参道のふたつの鳥居が残り、その前に広がる一面の何もない景色。
かなり片付いていますが、道中通った大槌町界隈は、まだまだ手つかずの状態のようでした。
神社で会った小学2年生の男の子。
「ぼくはここまで来る津波をみてたよ」と指差して教えてくれたので、「学校はどこにあるの?」と訊くと、「学校はあっち」と右手を指し、「学校は火事で焼けた」と一言。この子の心の中にどんな景色が残っているのかと思うと私は何も言葉が出せませんでした。

今回の旅では被災地の写真はこの写真以外ほとんど撮りませんでした。
かなりの長距離を海沿いに走り、坂を越え、いくつものトンネルをくぐり、いくつもの町の痕を過ぎてもなお延々と続く被災の様子に震災の大きさを改めて思いました。
町が壊れ、銀行や商店がモヌケのカラになっていたり、被災時の幾重にも波にさらわれた建物や状況がそのまま残っているところと、瓦礫がかなり片付いているところなど、どれひとつ同じ状態はありませんでした。

仮設住宅や避難所の体育館やお寺、神社などに暮らす方々のお顔を拝顔しながら、形あるものをすべて失われたのだなあと言葉をかけることがためらわれました。
「家の中はモノが無くても暮らせる。着ているものも2~3枚あればいいことに気づきました」と話してくれた女性。
みんなみんな日々を大切に一生懸命生きています。そしてそこにひととき醸し出される穏やかな平安。この平安の連続が生きる糧へとつながるのだと確信しました。

ありがとうございます。