昨日の朝7時前に個人用の電話が鳴った。
着信は親父からであった。
よっぽどの事がない限りは携帯など掛けてこないし、僕もしない。
よっぽどの事が起こったのだ。
良い報せにしては、時間が早過ぎる。
何か悪い事が起こったのだ。
少し心を落ち着けて、僕は携帯の通話ボタンを押した。
携帯のスピーカーを通して聞こえてきたのは、確かに親父の声だった。
親父はどこか外の山道らしい場所を歩いているらしく、
蝉の鳴き声がうるさかった。
「さっき、おばあちゃんが亡くなった」
親父は、そう言った。
葬式の日程はまだ決まってないから、決まり次第連絡する、
と親父は言って電話を切った。
母方のおばあちゃんである。
僕はおばあちゃん子だった。
電話を切ってから、
僕は手元の本棚からマンガ本を一冊取り出して読んだ。
別にそのマンガを読みたいわけではなかった。
何故そのマンガを手にしたのかも分からない。
パラパラとページをめくる。
おばあちゃんは何年も前から入院していた。
足が悪かったのだ。それ以外は特に問題はなかった。
94才にして、ボケてもなく、きちんと話しも出来ていたらしい。
僕はマンガを閉じる。
いつも通りの感覚、いつも通りのけだるい朝。
全く実感がないのだ。
おばあちゃんの死んだということについて。
死-全てはその限りのない深淵に向かって進んでいる。
それはいつも突然にやってきて、
じわじわと僕の心を侵食し、過ぎ去ってゆく。
いつか僕自身がその深淵に飲み込まれるまで、
それは続くのだろう。
それが生。
おばあちゃんは太平洋戦争で夫を失った。
長男の家族と暮らしていたが、その孤独を僕は思う。
僕が小学生の頃は、まだまだ元気で半年に1回くらいは遊びに来てくれた。
いちど遊びに来てくれると一週間くらいは滞在してくれて、
僕はおばあちゃんが来るのを楽しみにしていた。
夜になるとよく一緒に散歩に行った。
ある夜、僕とおばあちゃんはツツジが鮮やかに彩る沿道を歩いていた。
おばあちゃんは僕の手を優しく握り、空を仰いだ。
「死んだ人の魂は星に生まれ変わって、私たちを見守ってくれるのよ」
おじいちゃんの事を言ってるのだと気付いたのは、ずっと後のことだ。
生まれ変わり。天国と地獄。
僕はそれを信じない。
宇宙は一定の方向へ膨脹をし続けている。
それはエネルギーである。
やがてエネルギーは収束し、元の無へと還る。
個々の持てるエネルギーにより、その時間は膨大であり、刹那である。
物質は全て等しくこの法則にあり、
我々人間もそのエネルギーを保つ事ができなくなる。
それが老化であり、やがてくる死である。
ある一定の条件の元だから必然的に誕生した生命は、
肉体を失えばそれで終わりである。
死んだ人が、魂を保ち、再び違う肉体に宿るという事はない。
その人の命はそれっきり、1回こっきりだ。
だから僕は大切なんだと思う。
人ひとりの命というものが。
死という闇を見つめるとき、いつもそう思う。
闇。
僕はそのとき闇の中で泣いていた。
おばあちゃんが滞在中に、一度とつぜん熱を出してしまったことがあった。
おばあちゃんは真っ暗な部屋の中で、僕の枕元に座って、ずっと看病してくれた。
僕の頭を優しく撫で続けながら。
おばあちゃんが自分の家に帰ってしまう前日の夜であった。
僕は明日やって来る、おばあちゃんとの別れが辛くて泣いていたのだ。
いつも別れが辛かった。
最後の日は必ず、学校に行く前にさよならを言った。
それでも毎回、まだ帰ってないかもしれない、
という淡い期待に駆られて学校が終わると大急ぎで家に帰った。
息せき切らせて家のドアを開ける。
ランドセルを放り出して居間へ駆け込む。
やはりそこには誰もいないであった。
少し傾いた西日が居間のテーブルをオレンジ色に照らしているだけである。
おばあちゃんの香が少し残っている居間を見つめ、
僕は淋しさに耐え切れず、家を足早に出てゆく。
おばあちゃんと歩いたツツジが咲く沿道を走る。
また会える日を思いながら。
瞳を閉じればあなたが
まぶたの裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたとって私もそうでありたい
(レミオロメン 3月9日)