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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

隅田川と東京大空襲(春の奥浅草を歩く・20)

2021-04-30 | クリン江戸散歩

 スカイツリーの「絶景スポット」

ことといばし(言問橋)の 

たもとには、

「東京大空襲・戦災犠牲者追悼碑」

が 

あります。

 すみだ(隅田)川には、昔から 

たくさんの行きだおれ

どこかからの水死者が 

流れついた

と いいますが

 

この100年の間に、

2度 

おびただしい数の 遺体が、集まってしまった日

が 

あるそうです。

 それは、1923・9・1(関東大震災)

1945・3・10(東京大空襲)

 

 

太平洋戦争・まっき(末期)、

B29は 日本中を 焼きましたが

その中で 一番・ひどかったのが 

3月10日の「東京大空襲」です。

 

 

 一晩で、10万人を 焼き殺した

しょういだん(焼夷弾)の 

雨・雨・雨・・・・・・

 火の海と化した・下町の人々は、

水を求めて、

川に さっとう(殺到)・・

 

このはし(言問橋)の上も、人でいっぱいに なりました。

 そこにまた焼夷弾」が ふってくるから、、

 

・・・・・

 

助かろうと

冷たい川に飛び込んだ人々

は 

水死、または 凍死しました。。

 

 

いたい(遺体)が

かたづけられた後も、

はし(橋)の上には たくさんの「金属」が 落ちていた

と 

聞きます。


 亡くなった方が 持っていた、

がま口財布の口金や、

ベルトのバックルが、

身体が焼かれた・その場所に、

バラバラ・・と

のこっていたと いうのです。。

 

 ことといばし(言問橋)の歴史には、

そんな「悲劇」も あったりします・・

 

 

 

(・・かなしい話が、つづきすぎました 今回で終わりにしますね 次回は、川べりのお寺に行きます

 

コメント (25)
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