谷中れいえん(霊園)に となりあわせて、天王寺というお寺があります。
っていうか、谷中れいえん(霊園)のしき(敷)地が、
江戸時代、
ほぼ
天王寺のしき(敷)地でした
昨日、お伝えした「五重塔」も、天王寺のけい(境)内に あったものです
現在の天王寺は、ふつうサイズの しずかなお寺ですが、
そうは見えない、
ハランバンジョー(波乱万丈)の れきし(歴史)が
あるらしい・・。
それは、江戸時代に、天王寺をおそった、2度の法なん(難)
天王寺が、
江戸ばくふ(幕府)に きらわれていたことに
由来する、
苦なん(難)の あゆみです
もともと、にちれん(日蓮)宗のお寺だった、天王寺。
にちれん宗には、
政治けん(権)力と
だきょう(妥協)しない、
「不受布施派」という グループがあり、
天王寺は、そちらに ぞく(属)していました。
いわく!
「法華経を信じない人からは、施しは受けないし、
また、施しを与えない。 それが、たとえ・えらい相手でもね
」
という、手ごわいグループに ぞく(属)していたのです
関東における、
このグループの中心だった
天王寺は、
ばくふ(幕府)に にらまれ、
いじめられて、
住しょく(職)が 島流しにされたり
天台宗に 改宗させられたりしました
その後、お寺は、江戸時代の宝くじである「富くじ」の 開さい(催)地になり、
「江戸の三富」として
大いににぎわったそうです
・・・・・
が
じゅんすい(純粋)に
信こう(仰)を守りたかった
お坊さんたちにとって、
わざわざ 自分とこのお寺が
「宝くじの発券所」にされるのは、
グロウ(愚弄)されたみたいで
だらく(堕落)させられたみたいで
イヤだったんじゃないかな・・・
クリンは 思いました。
「この六尺仏は、流罪になったお坊さんが造らせたみたいだね。」
せつめい(説明)板をよんだ
チットが、
仏ぞうに、
そっと
手を合わせました
クリンも、そっと・手を合わせたけど、そのしゅんかん(瞬間)、
ふと、
ふきんしん(不謹慎)なことを
ひらめいてしまったのです
(
ここでお祈りしたら、今度の年末ジャンボ、当たっちゃうんじゃないかなあ
ウフ♪)
と、
その時
(ガサガサッ)
「この、バチあたり者
」
「ワア~~ ごめんなさい~~
」
(つづく)