名士から死刑囚まで
はば広く ねむる、
「谷中霊園」
そのまん中には、昔、シンボルタワーである 「五重塔」が たっていたそうです
江戸時代の初めにつくられた
ごじゅうのとう(五重塔)は、
こうだろはん(かんじ:幸田露伴)も 小説に記した、町のほこりでした
が、
昭和32年、
火をつけた人たちがいて、
やけおちてしまったそうです
今は、あと(跡)地に そせき(礎石)だけがのこる・・。
火を放ったのは、48さい(歳)と21さい(歳)の 年の差カップルで、
フリン(不倫)で 行きづまって、
あげく
谷中の塔を 道づれに
心中したらしい。。
ガソリンをもちこんだために、塔は、ボーボー もえちゃって、
かいじん(灰燼)と きしたそうです。。
バチあたりもんがーーーー
「五重塔」を 朝夕見あげて、一生を送ってきた谷中の住人の中には、
気おちしちゃって
死んでしまった
高れい(齢)者とかも
いたんじゃなかろうか。。
この火事で亡くなったのは、とうじ者だけだったみたいですが・・・
彼らのエゴの 延しょう(焼)は、広いき(域)だったと、クリンは見ています
(つづく)