紙のしりょう(資料)が いっぱいの、
チットの引き出し・・
そこには、
チットの心に つきささった
本やざっし(雑誌)の
コピーが、
どっさり しまわれており・・
これを、「取捨選択させる」
というのが、
今回の もくひょう(目標)です
しかし・・・
「
あ~、これ、日高六郎の論評
2000年の
『世界』2月号掲載ね~。なつかしい~
これはね・・
明治~昭和初期の
有名政治家「尾崎行雄」の
『墓標の代わりに』っていう論説
を、
戦後の社会学者・日高六郎が再読した
論評 なんだけどさあ、
若いころ読んで、「なるほど」と思って、
コピーとっておいたわけよ
内容的には、
日中戦争の前哨戦やってる1932年に、
『いいかげん日本は国家主義の段階から解放され、国際主義へと移行すべきだ』
と 訴えた、
政治家・尾崎行雄の 政治論ね。
当時は、検閲も 相当厳しかったから、いかに
政界の重鎮・尾崎行雄の
言葉であっても、
軍国主義の世の中では
命がけの 呼びかけだったんだから
本人も、
『墓標の代わりに』って、いってるんだけど・・
それを 読み直した、
学者の 日高六郎(ひだかろくろう)が、
「2000年になっても、日本の国家主義・国民的身内主義は
変わっていない。」
って 断じてて、
尾崎と同じように、
『いまや経済力や武力が 国家や国民を格付けするものではない時代なのだから、
いいかげん重症な身内中心主義から 切り替えなければならない。』
というようなことを
述べているわけ
そこから、また 20年たつわけだけど・・
まったくもって、今も日本は、身内中心主義だわ 世界もね
重症
日高さん、去年、亡くなったんだけど・・、 最期は この状況を どう見ていたのかなあ。
これから先の
日本や世界に、
のぞましい国際主義は おこるのか
私も、見つめていかなきゃ、ならないわっ
一・主婦の私が、
尾崎行雄や、日高六郎に
勝手に連なってしまって わるいけど・・
そういう気持ちを、忘れないためにも
このコピーは、一生とっておこう
」(チット)
(クリン家のお片づけ、「知識人の慧眼」にふれて、とんざ(頓挫))