昨日に ひきつづき、
「直木賞受賞作
」の ブックレビュー
を
ひとつ
2018年に 刊行された、
小説『宝島』です





ぶたい(舞台)は、おきなわ(沖縄)・・
太平洋戦争直後、アメリカの 占りょう(領)下に
おかれた、
おきなわ(沖縄)の若者の
ざらついた・日常を
描いた 作品で
、
作者は、しんどう・じゅんじょう(真藤順丈)
っていう人です。

この方、
ねっき(熱気)を おびた文体
ながら、、
「万人受け」は むずかしいだろうなあ・・
ってかんじの
作家さんですが、
なかなか・よく 取材されていて
、
おきなわが たどってきた・歴史を、
通りいっぺん
じゃなく
リアルに あばき出しています

<以下、一部 抜粋>
「コザでいちばんの戦果アギヤー(と、島の言葉で呼んだ。戦果をあげる者って意味さ)は
琉球政府の行政主席よりも拳闘のチャンピオンよりも尊敬と寵愛を集めてやまない、
地元にとって代えのきかない存在だった
(われらユンター(語り部)のあいだでも、そこだけは異論の余地がないところなのさ。)」
・・・・・
よ、
よみにくい。。
っていうか、、
(せ、、戦果アギヤー
ってなに

)
せんか(戦果)アギヤー
とは、
敗戦後・・
命をとりとめた島民が、
飢えをしのぐために
行っていた、
ごうとう(強盗)や せっとう(窃盗)での
利益をあげる者

のことで、
アメリカへの「雪辱戦」として
ぬすみを はたらいていた人たちのこと
だそうです
彼ら、アギヤーたちの、スリリングで
、タフで
、
汗くさい
たたかいの日々を、
エネルギッシュに つづった
小説、「宝島」・・
(今まで、こういうことを扱った「沖縄文学」って、あっただろうか

)
と、
しんせん(新鮮)に かんじました




「基地の街
」として、
長年に
わたり、
苦しんできた オキナワ・・
明治いこう(以降)、
日本の一部に
されてからは、
つねに「危険」に さらされてきた
オキナワ・・

太平洋戦争においては、
「本土決戦の防波堤」となり
、
ズタズタにされた
オキナワ・・


そういう・苦しみのかこ(過去)がある
、
というのは
知っていたけれど・・
それは、
本土の日本人が、
教わって知る、
ごく・表面的な歴史にすぎない
ってことが、
これをよむと わかります。。
この本の中には、「鉄の暴風
」に まかれた
オキナワ人の、
決して
「大和魂」などとは ちがう、
あつく
たくましく
ひとすじなわ(一筋縄)ではいかない


生身のすがた
が
かいま(垣間)見えます

・・・・・
もちろん、
アメリカや、日本国の「大きな力」のもとに
くっぷく(屈服)する
政治力のない 島では
あるのです。。
が・・・
クリンは、思いました
これからは・・
「沖縄の基地問題」やら
なにやらを、
わかったふりして 気がる(軽)に 語っちゃ・いけない
と。。
オキナワには、オキナワの 苦しみ
があり
、
それを
本土の人が、
「同じ日本人」という・枠組みで
同じょう(情)し、
いっしょに かなしんだりするのは、
おこがましい。
っていうか、
「お門違い」
だったのです



もちろん・・クリンたち、
オキナワの文化や
自然、
ご当地の人の「なんくるないさー
」
って 人柄が
大好きですし
、
本土のように
「画一化」していなくて、
どくとく(独特)な ところ
を、
うらやましいとも、
ほこらしいとも 思っています



でも・・・
そういう かるさ(軽さ)は、「罪」なんだ・・
と
思い知りました。。
さいしょ(最初)に かんじた、「文章の読みにくさ」、
くせのつよさ・・
そういう・ししょう(支障)を
のりこえて
この作品が
なぜ、
「直木賞に選ばれたのか
」
その理由なるものが、わかった気がしました

(つづいてのブックレビューは、『女性たちの世界史大図鑑』です
)