ネイルを先日塗りなおしてきました♪
日曜日にある資格試験の対策講座を受講し、
帰りに、伸びかけていたネイルが気になっていたので、
ヒルトンホテルにあるネイルサロン、ネイラさんに行ってきました。
青みのかかったピンクを逆フレンチにして、
根元は、透明ジェル。
境に、紫がかって光るホログラムを並べています。
きれいになって、満足♪♪です。
このサロン、上手だし、とってもイイと思います。
まずは、夕方に予約せずに行ったにも関わらず、
(そのときのネイルを)外す者と
カラーリングなどの施術をする者が途中で変わってもよろしければ、
と、できる範囲を示して、受け入れてくださいました。
サロンの規模や込み具合、施術内容と係る時間によっても違いますが、
夕方の飛び入りは、断るサロンも多いのですけど。
訪ねたときも、施術中も笑顔や言葉遣い、話し方もとっても良かったです。
また、ピンクのところなどは、トータルで6回ほど、
かなり塗り重ねてあるのに、厚みなく薄く仕上げてくださっています。
なので、自分の爪の感覚がそのままで、指先が使いやすいです。
(ネイルをすると、ヒトの爪も気になるので、見ちゃうんですけど、
たまに、表面がボコボコしてたり、塗ってるところがブ厚くなってるヒトもありますよね。
そこが、ネイリストさんのウデなんでしょうねぇ。)
技術力も大満足だし、とにかく、提案力がすごくイイ♪。
ざっくりとした仕上がりイメージを聴いて、
爪の状態と希望、生活のしかたに合わせた施術を選ぶところから、
たくさんの色やデザインの見本から、好みを聞き出して、
そのままではなく、少しだけ変えるとこうなるというさまざまな
可能性を示してくれて、一旦決めても、
変更可能な範囲を、都度示し、確認しながら
最後までペースを合わせてくれて、仕上がりが希望通りになるように
進めてくれます。
この手法は、まるまるコーチングですねぇ~~~。
どんなお仕事の方も、優秀な方は、
技術力とコミュニケーション力の両方を、兼ね備えていらっしゃる
そして、そうと感じさせずにコーチングができる
あらためて、そう感じました。
さて、
今朝の日経新聞のコラム「春秋」に、
短大や大学の中途退学者が、
ある“NPOの試算では、8万人を超す人数になっている”とか。
“大学生の8人に1人が学業の途中で姿を消す”ことになっていて、
“中退を機に不本意な職業人生を歩む例も多い”、とか
“企業の採用が新卒一括に偏っていることも、学校をやめた人の
生きにくさにつながっている。”
(“”内は、日経新聞の春秋より引用)
と。
で、
“「中退予防はもはや社会問題」と32歳のNPO代表は憂いている。”
(“”内は、日経新聞の春秋より引用)
で、締めてあるんだけど。。。
で?!?!?!
だから、何なの?!?!?!
何が問題なわけ???
この中退希望者たちが、中退せずに卒業すれば、それでいいの?
この32歳の代表がいるNPOの報告書によれば、
中退理由は、
“経済的理由は少数派で、
学習意欲の喪失、人間関係、不本意入学が
理由の上位に並ぶ”
(“”内は、日経新聞の春秋より引用)
らしい。
なるほど。
で、
“「宣伝と現実がちがう」
「学生課はもっと親身になって」
「強制的に人間関係を築く場の提供を」
との声もあった”
(“”内は、日経新聞の春秋より引用)
アホか。
しかし、家族に大卒がいなくて、
大学を高校や中学などと同じように思いこんでいて、
大学は面倒見が悪いなどと、保護者から言われることがあることも事実。
でも、昔に比べると、今の大学の学生課なんて、
ココは幼稚園か、と思うほど面倒見がいいところが多い。
しかも、「強制的に人間関係を築く場の提供」をしないと友人も作れないのが問題でしょ。
それが、しかも、最近の大学は、そういう場を提供しているのだ。
学内活動も、学外活動も、特に一定以下の偏差値レベルの大学では、
大学主導で、学生を集め導いている、
まるで小学校のホームルームみたいになっている現状を知っているのか。
いまや大学のセンセイの一部は、研究者ではやっていけなくなっている。
そもそも、大学ってところは、
情報収集も、意思決定も、目標達成方法も、学習も活動も、
学生が、主体的に自主的にやるところではないの?
いつまでもご親切に面倒見てると、主体性が身に付かないんじゃない??
そのまま、企業に入ると、そりゃ~~、企業も自立性から躾けないといけなくなるわね。
そうなると、企業研修が増えて、
あら、もしかするとこれは私の仕事も増える
いい傾向なのかも(笑)~~~。
私は、しょっちゅう学生には、
「君たちは、もう大人だから」
「いつまでも子どもじゃないんだから、大人としての行動をしなさい」
「子どものように扱われることを喜んでいないで、一人前の大人として扱われるようになりなさい」
と、口酸っぱく言っている。
人は、同じようなことを、いろんな人から、繰り返し繰り返し言われることで、
やっとそれがフツウなんだと自覚することもある。
あるときに、ふと、これが言われてきた、あのことか、
と気づいて、一段上がれることもある。
今まで誰からも言われたこともない、というのは、周りも悪い。
“今や大学進学率は5割を超す。
周囲に勧められ「とりあえず進学」する若者も多いという。
現状では学校や学部を移るのも難しい。
中退者の多くが、入学前の情報入手をネットや案内書に頼り、
学生の声や学校の空気に触れていない点も気になる。”
(“”内は、日経新聞の春秋より引用)
今の大学は、『オープンキャンパス』といって
高校生を、大学のキャンパスに招いて、大学の雰囲気を
味わってもらったり、現役生と触れ合う機会を
一年に何度も持っている。
それはもう、そんなに回数いるか?
とツッコミ入れたくなるくらい。
それでも、
それに行くこともなく、
高校の進路相談で先生に勧められるままに、
大学を決める、
成績によっては、推薦してもらえる大学も限られてくる。
または、その大学にしか、受からなかった、
という大学生もいるのはたしかだ。
たとえ、そういう意思決定の仕方が、
本人にとって不成功だったと感じたんだとしたら、
それはそれで、いい勉強になったんじゃないのかしら。
「気づきは、学習の第一歩」ですから。
若いときの不成功体験は、人生勉強だとも思うけど。
それをどう生かすか、どう読み換えるか、または、どう受け入れるかも、
若い時に体験しておくことは、どちらかというとイイことだと思える。
なにも感じず、何も考えずに、中退せずに卒業するのと
どちらがいいとは、決められないんじゃない?
現代の若者に、不成功や失敗を、乗り越える力というものが不足していると
私も感じているのは
たしかで、
その力をつけるためには、失敗経験や不成功体験をして、
乗り越えることが学習だと思う。
そのときに、ちょっとサポートしてあげられる教員でありたいとは
常々思っている。
失敗や不成功(今回の場合では、選択ミスや意思決定プロセスのミスを後悔すること)を
しないように甘やかすのとは、ちがう。
逆に、自分で決める、決めたことを受け入れる、そこからどうするかを工夫する、
という体験を多くさせることが、
生き方の選択肢を増やし、いつでもシフトチェンジと、プラス思考ができる力になり、
生きる力、乗り越える力になると思っている。
生きる力、というのは、「自分と、自分以外の人を幸福にする力」だ。
中退というやり直し方もアリだと思う。
まだ若いんだし、
ちょっとくらいの遠回りは、人生の幅を広げる。
日経新聞のこの春秋を書いた人と、32歳のNPO代表に訊きたい。
中退は悪いことなの???
中退してでも、ちがう生き方を選ぶのは、悪いことなの??
誰にとって、「社会問題」なわけ????