梅雨空の週末。
急な用事で、慌しくしています。
7歳の長男は、そんな予定変更の週末が悲しく、また
そんな状況を理解はしてくれているんだけど、そうすればするほど、涙目になってしまう。
色々、楽しい事を計画していたので、泣きたくなっちゃうのは仕方が無いのだけど・・・。
そして、その寂しさを埋めるのに、私にくっ付いてきています。
先日、珍しく長男と二人で買い物に行くことがあって、
普段どおり、何気なく手を伸ばしたら・・・
?
いつもはすぐ繋いでくる、その手が遠い!
どうやら、手を繋いでいるのを、友達に見られるのを警戒しているよう。
とうとう、そんなお年頃になっちゃったようです。
そして、微妙な距離を保ったまま、手のぬくもりを感じることができませんでした。
私にしたらショックな出来事の後、この甘えように、正直
(なんて自分勝手な奴だ~!)
と、思わず叫んでしまおうかと思いました。
長男を育てて感じることは、彼にとっての安息の地は父親。
母はその2番手、代役に近いのだろうということです。
そう思うことが、よくあります。
長男は、3兄弟中、一番の寂しがり屋だと思います。
姉ほど割り切れず、弟のように甘え上手になれずと
真ん中のしがらみなのか、きっと、自分でもモドカシイ思いのときもあるでしょう。
でも、そこが長男の良さのひとつなんです。
当分、寂しい思いが続きます。
でも、寂しいと感じることも、涙目になることも
すごく正直で、大切なものがなにか知っているから。
長男は、誰よりも優しい子です。
手が届かない距離も、寄りかかってくる近さも
長男の成長の証と思って、しばらくは代役を務めようと思います。
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「幼児の時代は手を離さず、子ども時代は目を離さず、思春期の時代は心を離さず」
もう曖昧な記憶なんですが、なにかの講演会かそれとも雑誌かで知った言葉です。
お兄ちゃんはそろそろ手を離しても大丈夫だと自分でわかってきている時なのかもしれませんね。
特に男の子の母親との距離っていうのはやっぱりはかりがたいところがありますよね~。
この前、一人っ子の男の子のお母さんとお話する機会があったんですが
「本人が嫌がっても中学生になったってずっと手をつないで歩いてやるんだから!」
と、豪語されていました。曰く、息子が可愛くて仕方ないらしいです
でも、こういう溺愛をすればするほど男の子って離れていくものなんだよな~、としみじみ思ったことは秘密です。
fate終わっちゃったし、モーレツも今週末までだし・・・
あ、違いましたね。
なんか、みんなどっかへ行っちゃう・・・取り残され感でしょうか。
子離れが寂しいと感じるのは、やはり息子が異性だからなのかもしれません。
娘よりは、親子愛以上のものがあるのは事実です。
でも・・・
さすがの私でも、溺愛は・・・無理かな。
ペットを想像してしまいます。
身近なところでも、べったりな親子を何組か見かけますが、そういうときに思うのが、夫婦の関係性ってどうなのかな~って。
余計なお世話ですが。
母親も女性。
息子を恋人以上の存在に昇格させてしまうには、
本人の性格のほかに、環境によるところがあるんじゃないでしょうか。
本来ならば、一番身近な異性(夫君)の役割を、そこに持っていってしまう原因があるはずです。
溺愛するってことは(けっこうこの話題に拘る)、寂しさの裏返しなんでしょうね。
>「幼児の時代は手を離さず、子ども時代は目を離さず、思春期の時代は心を離さず」
ああ、今回もあさこさん語録、頂戴しました。
いい言葉ですね・・・。
我が家では、思春期に入った子もいて、心離さずというのに、グッときました。
今は、思春期がない子もいるとかで、でも、多感と言われる時期にこそ、まさに多感を知って(感じて)ほしいと思います。
2番手の母ですが、心はちゃんとここにも向けられていると、信じています。
愛って、信じることもそのひとつだと思うこの頃です。