Cache-Cache ~かわいいかくれんぼ~

日々の生活の中で“見つけた”なにげない事柄を、
子供たちの育児日記と一緒に・・・

2012年08月16日 | My Life

帰省先での、一番気を遣うことの一つが、
出されたものを平らげること・・・です。

もともと偏食なのもあって、子供の量でも食べきれないのが当たり前な自分には
これでもかと出てくる皿数の多さ&量に、いつも相当の覚悟で挑んでいます。
富山湾の海の幸、豊かな水のもとに収穫される米や野菜は
本当に美味しいのですが・・・

残す事はいけないことだと、いつもそう思って頑張るのですが
出された物を食べきった、完食できたことがありません。
もう、そのときは心苦しい(腹も苦しい)思いで、ああ早く自分の家に帰りたいと
切に思います。

たぶん、食事中の私の姿は、この世で最も醜い姿かもしれません。
味わうことなく、押し込んでいるといったほうがいい姿で
それを見ている周りには、不快感を与えているのではと思います。

同じく、食が細い義妹も、頑張っているのが痛いほど分かります。
しかし今年は、さすが辛くなったのでしょう・・・
帰る2日前から、朝食を抜くという(どうやって断ったんだろう!)、なんとも羨ましい行動に。
といっても、子供たちが残したのを片付ける義務はあるので、
それだけでも十分一人前にはなってしまいます。
(我が家は子供が3人なので・・・)

でも、それだけの量を出してくれるのは、もちろん足りなくないようだったり、
美味しいものを沢山食べてもらいたい一心だと、重々理解しています。
また、実子たちが、家にいた頃の量(食べ盛りの男子)が身近な記憶でしょうから、
どうしてもその頃を思い出して・・・なのかもしれません。
しかし、その食べ盛りも中年に差し掛かり、メタボだ、血圧だと
気になる年齢になり、もちろん食欲も昔のままではなくなってきているので、
みんなが完食できないでいる状態です。

婚家の気持ちを台無しにすることなく、この問題をどう上手く対処したら良いのか
行きの新幹線の中で、美味しいそうに駅弁をほうばる子供たちを見ながら
何も食べていない自分が既に胸焼けを起こしていることに、鬱々とした気持ちでいます。
ちなみに、一度勇気を振り絞って

「小食なんです・・・」

と言ったことがあります。

今回のブログを見たら、だんな様は嫌な気持ちになるかもしれません。
しかしそうではなく、どうしたらいいか私なりに悩んでいることを
書き綴っているのです。

だんな様には、今年も辛かったことを話しました。
しかし、それだけです。

普段から私の食べる量を知っている子供たちが、帰りの電車の中で

「お母さん、頑張ってたね・・・」

と、無理が伝わってしまいました。
子供たちには楽しい帰省が、私には必ずしもそうではないことが分かってしまったようで
可哀想なことをしました。

来年は長女が中学生なので、夏休みでも部活があれば、場合によっては
帰省するのが難しいかもしれません。
私と娘は残るから・・・
なんて絶対できないんだろうな・・・

帰ってきた今週は、まだ胸の辺りが苦しくて、普段の量でさえ負担に感じます。
やれやれ。

 


水団

2012年08月16日 | My Life

終戦記念日のニュースを観た息子が、

「山手線のホームには、戦争で燃えた時の跡が残っているんだよ。」

と教えてくれました。
67年経った今でも、戦争の傷跡は街中に残っています。

今日の我が家の夕飯はこれにしました。
しかし、当時の水団と比べ物にならない、具沢山の味もしっかり付いたものです。

雨風の心配がなく、
温かく美味しい食事と、
安心して眠れる場所があり、
家族がそばにいる。

絶対に子供たちへ、そしてその次の世代に渡していかないといけないこと。

この頃、世の中の動きが、あまり良い感じがしません。
不穏というか・・・
良くないことを始めたがっているように感じます。

どこの国の者であれ、家族が苦しむような、悲しむようなことは嫌なはず。
でも、上に立つと、苦しむのは自分より下の者だけだと思っちゃうのでしょうか。
多くの人に支持され、その国の行方を担う者こそ
謙虚で、よくよく自分の言動ひとつにも心を配るべきです。

「当時の出来事をタイムマシンでもない限り、真実を求めるのが困難な以上~」
武田邦彦教授のブログでの言葉が、深く残ります。

自分の先代が戦火を生き延びてくれたから、今の自分がいます。
悲劇をおこさせないためにも、子供たちに、その次の世代にも伝えていくために
終戦記念日に水団を作りたいと思います。

いつの時代にも、子供たちの安心して眠れる世の中であって欲しい・・・
そうしたいと思います。