ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

ジーユーアイ、その3。

2006年08月30日 | blog

ゲームについて。

工業製品のGUIと、ゲームとの最大の違いは、
作り手と受け手の、意識の違いだとおもいます。

以前、「寝食を忘れる」ということについて書きましたが、
ゲームはまさに「寝食を忘れる」次元で作られています。
作り手の思い入れのレベルが、圧倒的に違う。

前回「タスク」という言葉を使いましたが、
「タスク」というのは、
「やるべき仕事」、
「やらねばならない用事」と考えてください。

「銀行ATMを操作するのが、楽しみでしょうがない」
というひとは、あまりいませんね。

…いるかな。ま、いても珍しいですよね。

でも、ゲームはそれ自体が「楽しみ」であって、
嫌々やるものではない。

「楽しませてやろう」という思いと、
「面白がるぞ」という思い。
受け手もヘタをすると、
「寝食忘れて」没頭してるじゃないですか。

その「熱愛!関係」のなかで、
「タスク」なんていう、野暮な意識はうまれない。
お互いの心持ちが、ぜんぜん違うのです。

ふつうの工業製品は、そこまで思ってもらえないです。
つねに、「めんどくささ」や「わかりにくさ」が鼻につく。

…というのは、「心情的」な部分ですが、
物理的にも違います。

まず、コントローラがいつも同じ、というのは大きな違いですね。
操作するためのボタンは、いつも同じもの。
その部分について、「学習」する必要がありません。
(例外はありますけどね ガンコンとか)

それから、基本的な操作に関しては、
暗黙の業界標準がありますね。
すくなくとも、「タスク」的な操作、
「設定系」なんかについては、突飛なものはないです。

だから、機種ごとの操作ボタンやタッチパネルで、
地味に「タスク」をこなさねばならない、
「フツーの」GUIデザインと比べるのは、
いささかキビしい。

ゲームはGUIとしてはちょっと特別。
というのは、ということです。

追伸:
日本語に「デフォルト」という言葉と概念が一般化したのは、
ゲームの設定画面のおかげです。
言いますよね、デフォルトって。