武道・禅の心で臨床を読み解く(武道、禅、心理療法、ボディワークを学ぶ理学療法士)

21年間の運動指導・700冊の書籍からリハビリ・トレーニングを読み解きます。
良書の書評、稽古・訓練方法、研修報告など

守・破・離とクリニカルリーズニング

2010年05月13日 | 武道
先日、職場の勉強会にて後輩へカルテ指導をする機会があり、
考える理学療法 評価から治療手枝の選択
丸山仁司編集
発行所:株式会社文光堂
を読み返してました。

とても、武道に通ずる内容なので下記に引用します。


第3章 クニリカルリーズニングとは(齋藤 昭彦先生) pp24
3.思考過程モニタリング能力(メタ認知)
 臨床の問題に遭遇したとき,自分がその問題を解くために十分な知識をもち合わせているかあるいは自分がどのような推論パターンをとりやすいかなどをモニターしたり,自己評価したりする能力がメタ認知である.このように自分の認知活動をより上位からみるような認知のことをメタ認知metacognitionという(メタは[高次の」という意味)。
 一般に人間の思考や推論は、自分が持っている知識だけではなく、自分の立場や感情に左右されやすい。例えば、ある宗教にいったん入信してしまうと、その宗教が必要以上に素晴らしいものであると認知する傾向にある(これをイニシエーション効果という)。したがって、その宗教を否定するような推論は、自分の苦労や投資が無駄であったという不愉快な感情をもつことになるので、そのような推論が無意識に行われなくなる。このようにある認知をすることが、自分のこれまでの認知にとって不利であったり、誤りであるとされることで、認知のハーモニーがとれなくなる状態を認知的不協和とよぶ。この認知的不協和の状態は非常に不快であるために、人間はそれを避けるために、自分の置かれている立場や自分のこれまでの認知に縛られた推論を行う傾向がある。
 認知的不協和は推論だけではなく知識にも影響を与える。推論の材料を集める段階で自分の期待に添う情報ばかりを収集し、そうでない情報を無視する傾向にある。したがって、知識が豊富であり、推論能力が優れていても、このメタ認知がないと誤った判断をしてしまう。メタ認知能力がある人であれば、どうも自分の認知が今の立場に左右されすぎているとか、既存の知識に固執しすぎているとか、感情に左右された判断をしているというような可能性を検討できる。


 私ははじめ海外系の徒手療法にどっぷりとつかってました。投資した時間とお金はかなりのものです。臨床での手ごたえもあったので危うく認知的不協和の状態に陥るとことでした。でも、様々な出会いがあり方向性を修正することができました。
 決して徒手療法を否定している訳ではありません。とても奥深くまだまだ追求すべき世界だと思ってます。しかし、どんなときでもメタ認知が必要です。今では理学療法という偏見にも気をつけるようにしています。

 PTの研修を受けに行くと、他の治療法を批判したり誹謗したりしている方が多い気がします。上記のような考えで、メタ認知していたらとても他人を批判なんてできないのではないでしょうか(←これも批判?)?

 武道では「守・破・離」という考えかたがあります。
これは、師匠のいうことを先ずは徹底的に尊守(守る)して鍛錬し、その後自ら鍛錬した内容を破壊し、最後には新しいものを築いていく(離れる)ということです。ただし、師匠や先人を全否定するのではなく尊重し、後世に受け継ぐという考え方です。

一所懸命築きあげたものほど人はしがみついてしまう。幕末に刀にしがみついた武士と、刀の精神を大切にし新しい世界に順応した武士がいました。
柔軟性を持って、日々成長していきたいものです。


齋藤先生の文章はピリリとスパイスの効いたいい文章でした。久しぶりに読み返し気が引き締まる思いです。

考える理学療法 評価から治療手枝の選択」は臨床歴の浅い方や学生さんにはとてもお勧めの本です。はじからはじまで熟読することをお勧めします。

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