BRING UP

①子どもを育てる。養育する。しつける。②問題などを持ち出す。提起する。

『左手一本のシュート』

2012年02月25日 | Weblog
『左手一本のシュート』
夢あればこそ! 脳出血、右半身麻痺からの復活
「いつか やがて きっと」

島沢優子著  小学館発行  1365円



 この本は今後、ずっと手元に置いておくと思います。背表紙を見ただけで「頑張ろう!」という気持ちにさせてくれるはずです。
 私の思い入れの強くなってしまった本のベストテンに入ります。
 帯にある「アンビリバボー」はユーチューブで見ることができます。書名をキーワードににして検索するとでてきます。
 本を読んでみたい方は映像を観ることを読後までとっておいてください、絶対です。映像での田中正幸君の「バスケが……  。」と言うときの表情が答えでした。
 読んでいくと、なぜそこまで君はするの? なぜできるの? という疑問ではない不思議さが出てきます。でも、あの表情が答えでした。

 この本はお薦めです。新聞記事も全文載せました。


田中正幸…中学時代は県選抜のスター選手。山梨県立日川高校入学式3日前に倒れる。
田中一女…正幸の母
田中正喜…正幸の父
古田厚司…日川高校バスケ部監督、保健体育教師
二宮紀子…正幸が通っていた田富中一年次の担任
森川透…田富中バスケ部監督
三井一美…中二の担任
鶴田克美…中三の担任
早川啓一…田富ミニバス少年団監督
早川陽介…啓一の息子、田富中バスケ部コーチ
清水湧…正行のバスケ仲間、ライバル
宮崎宏道…正幸の執刀医、主治医。平塚市民病院脳神経外科部長
丸谷守保…神奈川リハビリテーション病院理学療法士、元バスケット選手
柏木正好…柏塾の作業療法士
桑原健太…田富中バスケ部後輩、現同級生、バスケ部員
橋爪洋…日川高校での正幸の一番の友人
小池健二…正幸と高校3年間同クラス、バスケ部
河合博司…朝日新聞記者、バスケ経験者、息子がバスケ少年だった


「左手一本 復活シュート」



 初の公式戦の出番は3分半。あっという間だった。
 6月12日、富士のすそ野で開かれたバスケットボール大会。山梨県立日川高校3年のバスケット部員・田中正幸君(19)が少し右足を引きずってコートに立つと、休育館は大きな声援に包まれた。事情を知る相手チームの応援団もー緒になっている。
 左手だけでパスを受け、ゴールを狙って構えた。ベンチの仲間たちは半分泣いてい
る。そのままシュート。決まった。初得点だ。
 つらいリハビリを乗り越え、現役最後の大会にぎりぎりで間に合った。試合の後、床にうずくまって泣き続ける田中君を、仲間たちはタオルで顔を隠して見守った。

 中学時代は、県選抜チームの先発5人に入る「スーパースター」。166センチと小柄ながら、ジャンプすれば約3メートルの高さのリングに手が届き、3点シュートとドリブルで切り込む速攻が得意だった。特技入試で、強豪の日川高への入学が決まった。
 順調な選手生活が暗転したのは、入学の5日前だ。
 自らの希望で参加した日川高バスケ部の遠征先で、前ぶれもなく倒れた。脳動静脈奇
形による脳出血。緊急手術の前、医師は駆けつけた両親に「治す手術ではありません。延命手術です」と告げた。
 入学式の日は、集中治療室で生死の境をさまよっていた。倒れてから11日日に奇跡的に意識が戻ったものの、言葉と右半身の自由を失った。2カ月後、神奈川県のリハビリ専門病院に車いすで転院。「もうバスケットは続けられないだろう」と誰もが思った。
 苦痛と闘う毎日。しかし、機能回復は早かった。治療に当たった理学寮法士は「持ち前の身体能力と、強い意志のおかげ。ふつうなら、ずっと車いすだったかも知れません」。歩けるようになった8月下旬、初めて外泊許可が出たとき、母親に肩を借りて向かったのは、バスケ部が練習している体育館だった。

 その後、言葉も取り戻して、1年後の4月に復学した。右半身は不自由なままだが、週1回のリハビリを続けながら、部活には休まず通った。
 最初は、黙って練習を見ているだけ。しかし、「自分のため、チームのため、できることをやろう」と考え始めた。
 「そこはシュートだ!」「もっとジャンプ!スペースに走れ!」。チームの消極的なプレーに大声を出す。練習の見学に来た父母をいち早く見つけ、いすを用意する。
 そして、体育館すみのリングに一人向かい、左手だけで延々とシュート練習をした。利き腕の右手は頭より上に上がらず、指も固まって動かないからだ。試合に出たい――。そう思い続けた。
 倒れてからずっと聴き続けている曲がある。「人にやさしくされた時、自分の小ささを知りました」で始まるモンゴル800の「あなたに」。将来は福祉の道に進み、夢の前で挫折しそうな人を支える仕事に就きたい。
 チームは、田中君の初得点で一つになった。本命チームを倒し、6戦全勝で、7月末から沖縄で開かれる高校総体出場を勝ち取った。
 優勝をかけた最終戦の前、チームに飛ばした檄は、どんなときも希望を失わなかった田中君自身のモットーだ。「楽しく一生懸命やろう。笑顔があれば、何でもできる」
             (河合博司)

左手一本のシュート 夢あればこそ! 脳出血、右半身麻痺からの復活
島沢 優子
小学館

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