「オシムの言葉」
フィールドの向こうに人生が見える
木村元彦著 集英社発行 1600円
古都フィレンツェでの死闘は延長でも決着がつかず、PK戦に持ち込まれた。
ここで選手たちはオシムに直訴する。ディフェンディング・チャンピョンを相手に押しまくった猛者たちは国際映像でその勇猛果敢な姿を世界に晒しながら、PK戦を眼前に控えると怯えだした。
――監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。オシムの下で9人中7人がそう告げて来たのだ。彼らはもうひとつの敵と戦わなくてはいけなかった。
「疲労だけではない。問題は当時の状況だ。ほとんどが戦争前のあのような状況においては誰もが蹴りたがらないのは当然のことだ。プロパガンダをしたくて仕方のないメディアに、誰が蹴って、誰が外したかが問題になるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。そういう意味では選手たちの振る舞いは正しかったとも言える。PK戦になった瞬間にふたりを除いて皆、スパイクを脱いでいた。あのピクシーも蹴りたくなかったのだ。
祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。これほど、衆目を集める瞬間があろうか。選手は国内の民族代表としての責務を背負いスポットにボールをセットしなくてはならない。オシムはその重圧が痛いほどわかった。
しかし、オシムは5人を決定すると、クルリと踵を返してベンチから消えていった。
「あんなものはクジ引きみたいなもの。私は自分の仕事をすべてやり終えた。」
代表監督としてやるべきことはすべてやった。あとは結果を知るだけ。ならばその場にいなくても良いではないか、という哲学だった。(以上、本文より)
今となっては儚いだけかもしれないが……
もしオシムさんがあの時倒れずに日本代表監督を今まで続けてきたならどうなっていただろう。どんな日本サッカーになっていただろう。残念でならない。