「男の作法」
池波正太郎著 サンマーク出版発行 1700円
自分が初めて行く店の場合、一番隅のほうへ坐って、
一通り握ってくださいと言えばいいんだよ。
(質問)鮨屋というのは、高い店へ入ったらいったいいくら取られるかわからないから、初めてのところは怖いでしょう……。
そういうときは、ちょっと入り口のガラス戸から中を見てね、椅子とテーブルがあれば安心なんだよ。たとえば銀座のKなんか高い鮨屋で、ここは椅子とテーブルがないわけだ。こういうところで、お好みを食べるということになれば当然、勘定は高いものと覚悟してなきやいけない。
けれども、ひょいとガラス戸から見て椅子とテーブルがあれば、そのテーブルの前に坐っちゃえば、皿で運ぶよりしょうがないわけだから、皿で運ぶために椅子とテーブルはあるんだからね、だから何でもないんだよ。
そこへ坐って、
「一人前頼む」
こう言えばいいんだ。あるいは、
「上等を一人前」
とかね。
だから、並、上、特上なんて書いてある店だったらなおさらいいわけ。そんなの書いてなくてもね、一人前頼みますと言えば板前が、同じネタで握ってくれるわけですよ。ただし、これは注文が出来ないわけだよ、あれこれ好きなものを。向こうの裁量に任せるよりしょうがないけど、一通り、まず八つぐらい握って、それを一人前として持ってきてくれるわけだよ。
そうすれば、いくら高くたってたかが知れてるんだよ。二千五百円以上なんていうのはあり得ない。二千五百円なんていうのは最高ですよ。銀座に、たとえばNという鮨屋がある。これはやっぱり高い店だよね。でも、テーブルと椅子があるんだよ。だから、そこへ坐ればもう「一人前」と言えば二千円か二千五百円で済むんだよ。
酒が飲みたければ、
「お酒一本に、ちょっとおつまみをください」
と言って、
「そのあとで一人前ください」
と言えば、おつまみだって適当に見計らって、たとえば千五百円程度のものもちゃんとつくってくれるから、もう安心なんだよ。また、そういうお客を鮨屋はむしろ、よくしてくれます。
初めての店の場合は、テーブルに坐って、一人前お願いしますと言って下手に出たほうが喜ぶ。名前の通ったところはたいてい常連がいるからね、だから常連の坐る席へいきなり坐っちゃうということは、ちょつとそれはね……。
「お金を払っているんだから、どこへ坐ってもいいじゃないか」
なんて言う人がいるけれども、自分が初めて行く店の場合は、常連がいつ来るかわからないんだから。それに対して自分は常連じゃない。やっぱり一番隅のほうへまず坐ったほうがいいんだよ。そして、一通り握ってくださいと言えばいいわけだよ。
こういうふうにすれば、どこの鮨屋へ行っても決していやな顔をされない。てんぷら屋だってどこだって、初めてのときはそれで行くことですよ。板前の常連のところになんか坐らないで、隅のテーブルのほうへ坐る。
そうすると、
「旦那、こつちへおいでください」
と、言うときがあるよ。そうしたら向こうへ行く。こういうふうにすれば、
(この人は初めてだけど礼儀正しい……)
と、喜んで、よくしてくれますよ。
それでうまかったら、また行く。三回ぐらい行けばもう向こうだって、
「いらっしゃいまし。きょうはこういうのが入っていますから……」
なんて言ってくれるようになるわけだ。
春もたけなわの夕暮れの銀座を歩いていて、急に鯛の刺身が食べたくなった。
そのとき、私の財布は、まことに軽かったが、有名な料理屋へ入り、土間のテーブルに坐って、先ず鯛の刺身と蛤の吸いものを注文し、酒を二本のんだ。料理の注文は、それだけだ。
そのとき、鯛の刺身を半分残しておき、それで飯を一ぜん食べ、
「ああ、うまかった」
おもわずいったら、板前が、さもうれしげに、にっこりうなずいてくれたものである。
以前は鮨屋にかぎらず、こうした店がいくらもあった。
なればこそ私なども、ふところがさびしいときも物怖じせず、どんな店へも入って行けた。・・・・・日曜日の万年筆「鮨」
●鮨やてんぷらは、値段が明記していないことが多いから、物怖じしてしまって、入れないことがよくあるものだ。著者は体験から「大丈夫」と励ましてくれるので説得力がある。店の客あしらいのよし悪しもそれで量ることができるだろう。
以上 第1章食べる より
鮨屋を題材にしたドラマを見て思い出し、読み直してみました。良書です。殿方にお薦めします。そしてOBの坊やたちにも。
でも、清水カップ定宿「石橋旅館」の女将さんが昔言ってた。「こないだのお客さん鮨屋でマグロの握り一つで1万取られたって。」
男としての「粋」な作法を息子に語れる親父に私はなりたい。
あした、20巻でストップしていた「鬼平犯科帳」持って鮨屋行こうかな。でも鮨屋で本読んだら板前さんに怒られるだろうな。あと4冊読んじゃお。池波正太郎スバラシイ。
池波正太郎著 サンマーク出版発行 1700円
自分が初めて行く店の場合、一番隅のほうへ坐って、
一通り握ってくださいと言えばいいんだよ。
(質問)鮨屋というのは、高い店へ入ったらいったいいくら取られるかわからないから、初めてのところは怖いでしょう……。
そういうときは、ちょっと入り口のガラス戸から中を見てね、椅子とテーブルがあれば安心なんだよ。たとえば銀座のKなんか高い鮨屋で、ここは椅子とテーブルがないわけだ。こういうところで、お好みを食べるということになれば当然、勘定は高いものと覚悟してなきやいけない。
けれども、ひょいとガラス戸から見て椅子とテーブルがあれば、そのテーブルの前に坐っちゃえば、皿で運ぶよりしょうがないわけだから、皿で運ぶために椅子とテーブルはあるんだからね、だから何でもないんだよ。
そこへ坐って、
「一人前頼む」
こう言えばいいんだ。あるいは、
「上等を一人前」
とかね。
だから、並、上、特上なんて書いてある店だったらなおさらいいわけ。そんなの書いてなくてもね、一人前頼みますと言えば板前が、同じネタで握ってくれるわけですよ。ただし、これは注文が出来ないわけだよ、あれこれ好きなものを。向こうの裁量に任せるよりしょうがないけど、一通り、まず八つぐらい握って、それを一人前として持ってきてくれるわけだよ。
そうすれば、いくら高くたってたかが知れてるんだよ。二千五百円以上なんていうのはあり得ない。二千五百円なんていうのは最高ですよ。銀座に、たとえばNという鮨屋がある。これはやっぱり高い店だよね。でも、テーブルと椅子があるんだよ。だから、そこへ坐ればもう「一人前」と言えば二千円か二千五百円で済むんだよ。
酒が飲みたければ、
「お酒一本に、ちょっとおつまみをください」
と言って、
「そのあとで一人前ください」
と言えば、おつまみだって適当に見計らって、たとえば千五百円程度のものもちゃんとつくってくれるから、もう安心なんだよ。また、そういうお客を鮨屋はむしろ、よくしてくれます。
初めての店の場合は、テーブルに坐って、一人前お願いしますと言って下手に出たほうが喜ぶ。名前の通ったところはたいてい常連がいるからね、だから常連の坐る席へいきなり坐っちゃうということは、ちょつとそれはね……。
「お金を払っているんだから、どこへ坐ってもいいじゃないか」
なんて言う人がいるけれども、自分が初めて行く店の場合は、常連がいつ来るかわからないんだから。それに対して自分は常連じゃない。やっぱり一番隅のほうへまず坐ったほうがいいんだよ。そして、一通り握ってくださいと言えばいいわけだよ。
こういうふうにすれば、どこの鮨屋へ行っても決していやな顔をされない。てんぷら屋だってどこだって、初めてのときはそれで行くことですよ。板前の常連のところになんか坐らないで、隅のテーブルのほうへ坐る。
そうすると、
「旦那、こつちへおいでください」
と、言うときがあるよ。そうしたら向こうへ行く。こういうふうにすれば、
(この人は初めてだけど礼儀正しい……)
と、喜んで、よくしてくれますよ。
それでうまかったら、また行く。三回ぐらい行けばもう向こうだって、
「いらっしゃいまし。きょうはこういうのが入っていますから……」
なんて言ってくれるようになるわけだ。
春もたけなわの夕暮れの銀座を歩いていて、急に鯛の刺身が食べたくなった。
そのとき、私の財布は、まことに軽かったが、有名な料理屋へ入り、土間のテーブルに坐って、先ず鯛の刺身と蛤の吸いものを注文し、酒を二本のんだ。料理の注文は、それだけだ。
そのとき、鯛の刺身を半分残しておき、それで飯を一ぜん食べ、
「ああ、うまかった」
おもわずいったら、板前が、さもうれしげに、にっこりうなずいてくれたものである。
以前は鮨屋にかぎらず、こうした店がいくらもあった。
なればこそ私なども、ふところがさびしいときも物怖じせず、どんな店へも入って行けた。・・・・・日曜日の万年筆「鮨」
●鮨やてんぷらは、値段が明記していないことが多いから、物怖じしてしまって、入れないことがよくあるものだ。著者は体験から「大丈夫」と励ましてくれるので説得力がある。店の客あしらいのよし悪しもそれで量ることができるだろう。
以上 第1章食べる より
鮨屋を題材にしたドラマを見て思い出し、読み直してみました。良書です。殿方にお薦めします。そしてOBの坊やたちにも。
でも、清水カップ定宿「石橋旅館」の女将さんが昔言ってた。「こないだのお客さん鮨屋でマグロの握り一つで1万取られたって。」
男としての「粋」な作法を息子に語れる親父に私はなりたい。
あした、20巻でストップしていた「鬼平犯科帳」持って鮨屋行こうかな。でも鮨屋で本読んだら板前さんに怒られるだろうな。あと4冊読んじゃお。池波正太郎スバラシイ。