ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

寛次郎の宇宙

2015-10-30 22:21:40 | アート

 

 記念館に行ってすっかり寛次郎ワールドにハマり、すぐさま図書館で借りたものの、忙しさに紛れてほったらかしだったこの本。返却期限が迫って、慌てて読み始めたらとっても良かったんです。時間があればもっとゆっくり読みたかった~(自業自得)。

中でも印象に残ったのが、寛次郎の残した文章、『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』。終戦間際、東京、大阪、神戸と主だった都市が空襲にあい、やがては京都も同じ運命をたどるのだろうと思われていたころを回想したものです。

『私は毎日のように夕方になるとこの町に最後の別れをするために、清水辺りから阿弥陀ヶ峰へかけての東山の高見へ上っていました。・・・明日は再び見ることの出来ないかも知れないこの町を、言いようもない気持ちで見ていました』

今でこそ私たちは、京都は空襲の対象から外されていたことを知っています。けれど、当時そんなことは知るよしもなく、鳴り響く警報におびえながら愛着のある土地を眺めている寛次郎の気持ちは察して余りあります。その後の発展でまるきり同じではなくなってしまったにしても、清水辺りは未だ過去からの連続したナマな時間が感じとれる場所であり、この国や人々がたどってきた歴史の重みを感じさせるところです。先日訪れたばかりのその風景が、寛次郎が眺めていた景色と重なって、ちょっと胸を打たれてしまいました。

寛次郎はこの『末期の目』で町を見つめるうちに、ひとつの思いにたどりつきます。

『なあんだ、なあんだ、何という事なんだ。これでいいのではないか、これでいいんだ。これでいいんだ、焼かれようが殺されようが、それでいいのだ――それでそのまま調和なんだ』

戦時中は書くことしかできなかったという寛次郎は、終戦後、たくさんの作品を生みだします。どれも大らかで自由で愛嬌があってすこぶる楽しいです。そんな明るい作品たちはこんな切実な体験から生まれてきたんですね。

京都も寛次郎もスゴイ。どちらも惚れ直しました

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