先日ご紹介した旧小西家住宅で触れた、ニッカウヰスキーゆかりの建物である芝川ビルの写真を撮ってきました。正確には、ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社の第一回株主総会が開かれたところです。
「マッサン」を観てない方には何のこっちゃ、だと思うので(私もそうでした)説明しますと、スコットランドでウィスキーの勉強をしてきたマッサンこと竹鶴正孝氏が初めて起こしたのが大日本果汁株式会社で、最初はリンゴ汁(リンゴジュース)をつくっていました。のちのニッカの名前は大日本果汁の「日」と「果」をとったものです。資産家でもない竹鶴氏が、ひとりで起業できるわけはなく、当時住んでいた家の大家で、この芝川ビルのオーナーである芝川又四郎と加賀証券の加賀正太郎氏が出資者となり、ここで第一回株主総会が開かれた、というわけです。
去年「船場博覧会2014」で“マッサン竹鶴正孝と船場”という企画展が開かれ、その後こうしたゆかりの写真看板が立つようになったと思われます。ちなみに、2007年に、ビルの地下倉庫から、昭和25年以前製造と思われるニッカウヰスキーが1ダース出てきたそうです。関係者の方で試飲されたそうですよ。ちょっと羨ましいですね。どんな味がしたのでしょうか。
マヤ・インカの装飾だそうです。なかなか個性的。
ところで、今回ブログを書くために調べていて、マッサンはサントリー(当時寿屋)山崎蒸留所の初代所長だったことを知りました。サントリー初のウィスキーはマッサンの手で作り出されたものだったんですね! サントリー創業者・鳥居信治郎とマッサンの間には、ゆかりの地がたまたま近所というだけでない、深い縁があったのです(ちなみに、鳥居氏が奉公していた小西商店はここから北浜方面にあるいて5分ほどのところにあります)。さらに言えば、ニッカウヰスキーは現在、アサヒビールの100%子会社ですから、洋酒創生期に尽力した人たちが歩いてきた道は、思いもかけない形で繋がっています。
某銀行が大々的に工事中。伝統と革新が道一本はさんで向かい合ってます。
現在、この芝川ビルにはthe courtというパブが入っていて、全国に30店舗しかないという「竹鶴アンバサダー」がいます。竹鶴アンバサダーとは、アサヒグループの「竹鶴アンバサダープログラム」で「竹鶴ブランドの伝道師」として選ばれた方たちです。私はまだ入ったことがありませんが、ニッカブランドがずらりと揃い、スコットランド留学経験のあるバーデンターさんがいるそうです。お店の看板には、「いつもベストな状態のギネスビールを提供し、竹鶴ピュアモルトをお勧めするアンバサダーのいる店」とありました。夏の夜のギネス良いですね
今度はぜひ、夜に行ってみたいと思います。
なお、この記事の執筆にあたりましては、ニッカウヰスキー、芝川ビル、アサヒグループのサイトを参考にいたしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます