ぶらっとJAPAN

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倒木更新

2017-07-20 20:23:39 | 京都

 

さて、インドア修行中の第1回目は京都を舞台にしたドラマ『京都迷宮案内』です。橋爪功さん扮する京都日報の杉浦記者が事件を追って京都市内を縦横無尽に駆け巡る人気シリーズ。リュックを背負って文字通り市中を疾走する杉浦記者と、同僚の記者や同居人との掛け合いが楽しく、たくさんのシリーズが製作されています。 

本日ご紹介したいのは『新・京都迷宮案内5』の「倒木更新」の回。

昔かたぎの大工・森田(大杉蓮)が口論をして飛び出した若い弟子を探すため解体屋に就職したものの、自分が初めて父親と一緒に作った家が解体されることになって……というお話です。 

オリジナルの放送は10年ほど前。当時はまだ関東に住んでいてリアルタイムで視聴し、その時は初老大工の悲哀にフォーカスして観ていたのですが、今回、再放送で見直して、実は京都ならではのテーマを含んでいるのだと思いました。 

もったいない精神が尊ばれた時代から、綺麗で清潔、そして便利という概念が生活の基準になって、「まだまだ使える」ものを捨ててしまうことが普通になりました。戦争で焼け野原になり、そもそも西に比べて歴史が浅い関東平野(東京とその近郊)は、短いスパンで取り壊し、新しいものを作ることへの抵抗が少ない気がします(もちろん下町など昔の風情が残るところもありますが)。私自身、住んでいる頃は、そうした現場を目にしても感傷的になることはありませんでした。 

一方、京都は歴史的建造物や寺社仏閣を含め、古い建物がたくさん残っていて、数は減ったとは言え、町家もまだたくさんあります。歩いていても、思わず立ち止まって眺めてしまうこともしばしば。建物に愛着が湧くのです。けれども、生活様式は昭和半ばに激変し、また、さまざまな技術の進化を経た今、現代人が町家や古い家にそのまま住むのはなかなか難しい。もったいないからと丁寧に手入れをし、昔ながらの不便さを我慢する忍耐は現代人にはありません。もちろん、そうした古い家にだって、建築当時の技術の粋が凝らされ、十分使える良い家なのでしょうが……。結果、空き家が増える。

最近はリノベーションが定着し、アーティストが改装して住むなど、生き延びる方法も出てきたようですが、このドラマの制作当時は、まだそういうことも進んでいなくて、解体どころかほったらかしの古い空き家も多かったのではないでしょうか。 

ドラマを観ていて意外だったのは、解体されるくらいなら自分で火をつけようと、思い余って思い出の家に忍び込んだ森田に対して、家を守るために奔走すると(私が勝手に)思っていた杉浦記者が、「老いたえぞ松は静かに倒れるべきだ」と、解体を受け入れるよう説得することです。 

無責任な観光客目線では、日本文化を伝える建造物は残してほしいですが、実際に生活する人々にとっては、残すことが必ずしも正解ではない。地球のスペースは有限で、生まれたものをこの先すべて残していくことは不可能です。やはり古い世代はある時期が来たら退場して、その場所をあけるべきなのでしょう。 

でも、そうして捨ててしまうにはあまりにももったいない文化が京都の生活にはたくさんあります。そうしたジレンマは、実際に京都の町を歩くようになって切実に感じることです。 

残念ながら思い出の家は解体されてしまうのですが、森田は無事、弟子を探し出し、二人で心機一転、再び工務店を始めます。森田から弟子へ。その技術と思いは確かに受け継がれていくことが救いとなっています。 

最後に、このドラマに登場する幸田文の「倒木更新」(『木』新潮文庫)は、日本の木にまつわる大好きなエッセイです。このエッセイがドラマの中で紹介されたのがとてもうれしかったことをつけ加えておきます。


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