時々、自分がなぜこんなにあちこち行きたがるのかと考えます。それも、最新の建物よりも、歴史を感じさせる古びた建物や街並みに興味が行きがち。考えを巡らすうち『原風景』というワードが浮かんできました。では、原風景とは何なのか。そんなことを考えている折、入江泰吉の『昭和の奈良大和路』という写真集に出合いました。
入江泰吉は戦災で故郷の奈良に戻ってきた時、変わらず残っていたその風物に感激し、奈良を撮ることをライフワークとしました。本著は入江の心の原風景というべき奈良の風物が写真に収められています。
写真集をぱらぱらとめくって目に付くのは、空の広さとたくさんの田んぼに寺や遺跡。とりわけ、街道沿いにぽつりと佇む一本の大木や、寺の門前や街道で人に寄り添うように歩く牛の姿が印象的です。
ゆったりとした時間の流れや、背が低く素朴な家並、舗装されていない道、生い茂る草などが子供時代の記憶とリンクして、なじみある景色のように思えてきます。崩れかけた境内で遊ぶ子供たちの姿など、自分の子供時代の冒険のワクワクが蘇ってきます。
現代のイルミネーションアートなどの豊かな色彩や音の洪水にも美しさはありますが、あまりに情報が多すぎて、時に受け止めきれません。また、そうした風景には匂いや手触りなどの感覚が欠如しています。
この写真集では五感が刺激されます。さえぎるもののない街道での日差しの暑さや、川を渡る風、草を食む牛からにおいたつ体臭。花見を楽しむ人達や雑踏を駆け抜ける自転車のベル。生きるって楽しいなあって感じです。同時に、田んぼの中をどこまでも続く一本道など、現代人から見れば素朴すぎる風景には孤独や寂寥があって、でもそれが人間の原点なのかなと思ったりします。
結局のところ、原風景というのは実際に自分が経験した景色だけでなく、触れた時に心が潤い、自分の存在を確認できる風物と言えるかもしれません。
これらの写真は、生前には発表されず収納箱に眠っていたそうです。自分が愛する景色を無心に撮る。そうした姿勢に心打たれる写真集です。
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