東京の日生劇場や日本興行銀行本店から、戦後の数寄屋建築を代表する京都の佳水園まで、数多くの名建築で知られる村野藤吾。晩年は兵庫県宝塚市在住で、そのご縁でしょうか、1980年に建てられた、村野氏設計の宝塚市庁舎です。村野氏のご逝去が1984年(享年93歳)ですから、ほんとに晩年、しかもかぎりなく90歳に近い80歳代! での作品です。
建設当時は、公共の建物にそんなにお金をかけて・・・と賛否両論だったらしいですが、その他の村野建築から比べてみれば、ぜんぜん地味な市役所仕様(笑)。その中に、そこはかとなく遊び心を感じさせる、さすがに手練れのデザインです。
平安とか江戸とか歴史に分類される時代の建築物は手厚く保護されるのに、現代建築は、老朽化したらすぐ解体みたいなことも多くて、村野氏デザインのもので、現存しないのも多いらしいです。コンクリートはまあ50年から70年くらいが寿命ですかね。木造の寺だと1000年とか持つらしいですから、(火災に注意は必要ですが)はかない命ですね・・・。そういえば心斎橋の大丸も取り壊しが決まったそうで、ああ、もったいない
ヨーロッパの中世のお城みたい。
以前、東京の目黒で行った村野藤吾建築ツアーの建物にもあった楕円形の穴。解説員によれば、目黒の穴はまったくのフリーハンドでひかれた線で、どうやってもマネできない、美しいラインだそうですが、これもフリーハンドで設計図に起こされたのでしょうか・・・?
二階は緑化中。
村野氏の旺盛な創作意欲は晩年まで全く衰えず、亡くなる前日までお仕事をされていたそうです。亡くなった時、背広のポケットには3日後搭乗の航空券が入っていたとか。燃焼し尽くしてふっといなくなる。ある意味、理想の生き方ですよね。
ところで、村野氏の代表作の1つに、広島の世界平和記念聖堂があります。
(『近代建築の楽しみ』ホームページより)
昭和25年から29年にかけて作られた教会で、戦後建築では初の重要文化財に指定されています。外観ですでにとても綺麗ですが、内装も素敵です。
おりしも今日8月6日は広島に原爆が投下された日。美しい教会の写真を眺めながら、しばし祈りをささげたいと思います
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