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迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

[各駅停車で南へ]その67・選手でもないのに

2007年04月20日 | 旅する。
4月20日

お昼から、池間島一周へと出掛ける。

宿で借りた折り畳み自転車なのだが、脇を抜いていく自動車が途方もなく優しい(気がする)。

クラクションは一度も鳴らなかったし、よけ方も徐行して、対向車がなければ大回りしてくれる。

空は青く、海は澄み渡り、風は涼しい。

サザエの壺焼き(200円!)とビールを頼んだ店ではトライアスロンの選手に間違われた。

この時期に限らず、宮古島では自転車乗りは優待されているのかもしれない。



[各駅停車で南へ]その66・カクレクマノミ

2007年04月19日 | 旅する。
4月19日

サンゴ礁を歩くという機会もあまりないので、生物観察を頑張ってみる。

ナマコやヒトデはそこらじゅうにいる。これは、詳しい人に案内してもらうべきツアーかもしれない。

小さなイソギンチャクのそばで、カクレクマノミを見つけた。念のため、言っておくと映画「ファインディング・ニモ」のニモです。



[各駅停車で南へ]その65・幻の大陸に上陸

2007年04月19日 | 旅する。
4月19日

八重干瀬(やびじ、やえびせとも読む)のツアーに参加する。池間島の北にあるサンゴ礁が1年に1度のこの時期だけ、大干潮で海上に出て陸地になる。旧暦で3月3日、沖縄全体では伝統行事の「浜下り(はまおり)」が行われる。

実にロマンを誘われるが、ツアー代が8000円と高いせいか、ビンボー旅行者にはあまり縁がなく、どうも情報が少ない。宿からは「ぜひレポートを」と頼まれるし。

予想通り、圧倒的多数を占める中高年の方々と、貝捕りに出掛ける地元の方々(採取はもちろん禁止なんだが、地元のみ年に一度の伝統行事ということで黙認されている、との説明であったが)に数少ない家族連れやカップルがチラホラ。

しかし、船は昨日の悪天候を引きずったのか、高波と風で大揺れ。たちまちゲロ船と化し、予定よりも手前の小さいサンゴ礁に上陸することとなった。

そんな中でも中高年カメラマニアは甲板で人を掻き分けて撮影に勤しむ。太い神経してるぜ。

それはさておき、生きたサンゴを踏まないように、ついに上陸する。

さすがに透明度は高い。

着いた早々に、岩場に逃げ込んだでかいウマヅラハギを素手で捕まえた人がいて、一行は俄然盛り上がる。

(ちなみに、すぐに逃がした)



[各駅停車で南へ]その64・ヒデキを送るパーティー

2007年04月18日 | 旅する。
4月18日

つるみ荘もまた、キッチンが広くて使いやすい宿のひとつである。

昨日はゴーヤチャンプルー、今日はツナとゴーヤのサラダ、ツナとゴーヤの油みそ炒めを作ってみる。

この日は5泊したヒデキ(札幌在住)の最後の夜だったので、北海道メニューでサケのホイル焼きとホタテのホイル焼きがあり、さらにKossanの特製カレーで締めるという豪華ディナーとなった。

そしてオトーリ(宮古独特の飲み方で、挨拶と乾杯が巡回していく)を回し、Kossanとの即製デュオで「唄と三線の宮古歌謡ショー」を開催し、夜半までさらに酒を酌み交わした。



[各駅停車で南へ]その63・長間たかお

2007年04月17日 | 旅する。
4月17日

早弾きの名手が島唄居酒屋でライブをやる、というので宿に泊まり合わせた客の有志で出掛ける。

元チャンプルーズの三線弾き、長間たかお。

ライブは居酒屋のマスターも含めて3回、さらに長間氏の弟出演もあったりして、大いに盛り上がり、我々はビールやカクテルのあとに6人で泡盛1升を空け、付近のテーブルの方々との交流を深めたのであった。

「唐船ドーイ」のイントロがかかると全員が反射的に立ち上がってカチャーシー状態に入る瞬間も目撃したし、大変充実した夜になった。


さて、噂の速弾きですが。

いやあ、速いというか、トレモロし放題。奄美三線や津軽三味線は、バチがまったく違うので、普通に返しが入るが、沖縄三線では返しは本来、それほど頻繁には入らない。

しかし、この「長間流」は、マンドリンのような速いトレモロなんである。

(いったい、何で弾いているんだろう?)

大変不思議だったので、休憩中に呑んでいる本人に、取材に行った。

「柔らかめのピックです」ということで、謎はあっけなく解明されたのであった。



[各駅停車で南へ]その62・三線合宿

2007年04月17日 | 旅する。
4月17日

つるみ荘スタッフのKossanは、三線の名手だった。

中国、ラオス、ベトナムと三線抱えて旅したという、私の先輩のような方である。

1週間もあるので、「三線合宿」という位置付けにして、この際しっかり練習しようかな、と思う。

この宿は三線やジャンベやディジュリドゥーなど、楽器も充実しているのだ。



[各駅停車で南へ]その58・琉球民宿つるみ荘

2007年04月17日 | 旅する。
4月17日

飛龍が宮古島の平良港に着いたのは朝の4時半。宿に電話すれば迎えに来てくれる、ということだったのだが、港から近いはずなので歩いてみる。

見事に道を間違え、薄暗く人通りのない街をさ迷う。

ま、どーにかこーにかたどり着いて「琉球民宿つるみ荘」に投宿。

宿のあるじは、どうやらこの犬「ずみ」であるらしい。



[各駅停車で南へ]その57・飛龍21ドック入り

2007年04月17日 | 旅する。
4月16-17日

飛龍に乗って宮古島へ。

船内で、船のスケジュールを確認した。飛龍と飛龍21の航路は、結構複雑なのだ。

どうも飛龍21がドック入りするらしいが、どうにかスケジュール変更はしなくてすみそうだと思ったのだが。

宮古島に上陸し、情報収集したところ、21日に乗る予定の石垣行きの船がなくなっていた。

ちょっと慌てつつ、船会社に電話して確認し、とりあえず24日の石垣行きに予約を入れる。

滞在が4泊から7泊に延びたので、トライアスロン大会の応援も出来ることになった。

珍しく早めに予約していた波照間島の宿には、日程をずらしてもらうべく、電話したらラッキーにもオーケーであった。

ふう。

さて、もともとあまり予定のなかっ宮古島で一週間。何をしようかな?



[各駅停車で南へ]その56・ドブロギター

2007年04月16日 | 旅する。
4月16日

月光荘でウダウダとゆんたくしていたら、セッションが始まった。

ブルースギターとドブロギター(ボトルネックでスライドギター)の饗宴。

こういう場面にちょくちょく出会えるから、ここは楽しい。

荷物を整理し、ちんだみ工芸に行って三線の指導を受け、大東そばの店で焼肉定食を食べたら、もう18時過ぎだった。

なぜか4人に膨れ上がったメンバーで那覇新港に向かい、宮古・石垣行きの飛龍に乗船する。




[各駅停車で南へ]その55・シュガーローフ

2007年04月16日 | 旅する。
4月16日

できなかった買い物のために、おもろ町までゆいレールに乗る。

首里の西に当たる、この辺りの丘は沖縄戦でも有数の激戦地である。

買い物の後、いまは貯水タンクが載っている丘に登ってみた。

米軍がシュガーローフと呼び、中隊まるまる2個分の人員を消耗した地には、その面影は、まったくない。

ただ、プレートがひとつ、僅かに当時の事情を伝えている。




[各駅停車で南へ]その54・楽園でも癒やしでもなく

2007年04月16日 | 旅する。
4月16日

近くの公園で三線の朝練習。

嫌がられることも、注目されることもなく、自然に集中できるのは、沖縄ならでは。

スーツケースを転がして歩く若い女性が立ち止まった。

「これが、三線ですか?」
「はい」
「はじめて聞きました。ありがとうございました」

もう、帰るところだという。はじめて聞いた三線が、私の弾く三線とは、光栄というか、気の毒というか。

いったん月光荘に戻り、起き出してきた人たちと話をし、いつものソーキそば350円を食べに行く。

買い物の用事があってパレットくもじまで歩く。しかし、買ったのは結局、予定にはなかった本3冊だけだった。

今回は、硬派で攻めてみた。沖縄は、私にとって「癒やされる」場所ではなく、忘れてはいけないことを「刻む」場所である。




[各駅停車で南へ]その53・朝の月光荘

2007年04月16日 | 旅する。
4月15-16日

船が那覇に着き、月光荘に投宿。「こんばんは」というよりも「ただいま」という感じ。

そして当然のようにコトブキに行き、ビールとご飯を頼み、店長イチに入籍した日の写真を渡す。屋久杉の写真立てつき。

呑んでいる面子に知った顔はいなかったのだが、自然に会話はつながり、乾杯し、笑い、歌って夜は更けていく。

気がつけば朝になっていた。