迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

[各駅停車で南へ]その50・名瀬の夜

2007年04月14日 | 旅する。
4月14日

商店街の土曜市をのぞき、もろみ酢を試飲し、キムチを試食する。

セントラル楽器で奄美三線用のバチと弦1セットを買い求める。

疲れたので、買い物の後、宿に戻って休憩する。

連夜の黒糖焼酎パーティーのお礼にワインを差し入れたら、「一緒に開けましょう」と誘われた。

他の泊まり客には「奄美にお住まいですか?」と尋ねられるくらい馴染んでしまい、まるで牢名主になったような気さえする。

そして今夜も、たつやのオーナーは矢沢永吉を熱唱する。

私は4時間後には港へ向かうというのに。




[各駅停車で南へ]その49・シマ唄についての補遺

2007年04月14日 | 旅する。
THE BOOMの「島唄」が大ヒットして、島唄といえば沖縄を連想する人が多くなってしまったが、「しまうた」は、元々は奄美の言葉である。

このことは、「島唄」という言葉を沖縄に広めた仕掛け人の上原直彦氏が、いくつかの媒体で証言している。

上原氏は、奄美で「しまうた」という言葉を知って、その語感に魅せられてしまったのだ。

奄美で「しま」という場合は、「島」ではなく、「集落」を指すことが多い。三方を峻険な山に囲まれた集落間の交通手段を主に船に頼っていたことを考えると、ひとつの「集落(しま)」はひとつの宇宙にも匹敵する独自の世界を形成していたのであろう。

「シマ」ごとに微妙にあるいは大きく異なる言葉、風習、うた、つまり文化の全体は、そのまま豊穣な実りにつながる。

奄美のシマ唄の多様性や洗練は、そうした背景も含めて理解されなければならない。

ここまで書いておいてナンだが、要するに奄美のシマ唄の世界に分け入るのは容易なことではない、のである。

とりあえず、世上に流布されている沖縄島唄と区別するために、奄美では「シマ唄」という表記を採用していることを了解しておいていただきたい。

また、島尾敏雄の用語概念を借りれば「琉球弧」あるいは「ヤボネシア」というより広い視野も持っていないと、たとえば律音階や呂音階との関連が見えてこない。

三線の弦が高く調弦される、男声でも女声でも裏声を使う、男女で交互に歌う掛け唄が主流など、わかりやすい相違点だけでは、奄美シマ唄の深層にはたどり着けないだろう。

ただ、直感的には、かなり古い時代の音楽の古層をよく残しながら、独自の発展を遂げたものかな、と思う。

沖縄では、古くは中国、大和、今やアメリカン・ポップスからレゲエ、ブルースにいたるまであらゆる音楽を取り込んでチャンブルー状態を呈しているのに対し、奄美ではより純粋に、洗練していこうとするベクトルが強いような気がする。

と、ぼんやり妄想を楽しんでいる。



[各駅停車で南へ]その48・立神(たちがみ)

2007年04月14日 | 旅する。
4月14日

どうしても立神が見たくて、防波堤に上った。

奄美の集落の多くは、三方を山に囲まれ、残る一方が海に面した僅かな平地に立地している。

そして、海には「立神」と呼ばれる岩がそそり立ち、神がやってくる際のよりしろのような役割を果たすらしい。

しかし、防波堤などによって、集落から立神が見えなくなってしまったところも多い。

名瀬の立神も、防波堤に遮られ、消波ブロックの向こうに立っている。




[各駅停車で南へ]その47・海亀の産卵

2007年04月14日 | 旅する。
4月14日

新港から、さらに北へ。奄美博物館に入ってみる。

島尾敏雄の奄美時代、『南島雑話』、奄美復帰運動の歴史、そして奄美の豊かな生物相。

300円で、なかなか楽しめた。

「愚かな者は教えたがり、賢い者は学びたがる」そうなので、私も謙虚に学び続けよう。

と、ブログには書いておこう。




[各駅停車で南へ]その46・海の各駅停車

2007年04月14日 | 旅する。
4月14日

昨晩はたつや旅館でディアマンテスや矢沢永吉のライブを見て盛り上がってしまった。

激しい二日酔いだが、買った本とCDを郵便局から自分宛てに発送する。

名瀬新港まで歩き、明日の那覇行きの船を確認する。

そういえば、もはや列車には乗らないのに、[各駅停車で南へ]という通しタイトルを訝っている向きもあろうかと思う。私としては、船でも高速船や寄港地の少ない便でなく、「各島停船」とでもいうのか、つまりは海の各駅停車を選んで乗っているつもりなのだが。

今度の例でいえば、那覇までノンストップの琉球エキスプレスではなく、徳之島(亀徳)、沖永良部島(和泊)、与論島、本部に寄港するクイーンコーラルを選ぶことになる。

琉球エキスプレスの方が1泊分浮くし、昼の時間を有効に使えるわけだが、旅に「効率」を求めるようなことはもうしたくない。