迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

[オキナワを歩く]その50・飛ぶ(c177)

2007年05月31日 | 旅する。
5月31日

JR各駅停車だけを乗り継ぐことから始まったこの旅も、最後の日は飛行機で飛んでしまう。いやなに、予算の関係で仕方なかったんです。

ひばり屋から月光荘に戻る。

差し入れのフルーツケーキが振る舞われた。ブランデーの香りたっぷりで、二日酔いの諸氏は見るのも嫌そうだ。それなら、と大ぶり2切れをいただいた。

荷物を担ぎ三線ケースを持つ。

「今度はどこ行くんですか?帰る?違うでしょ、帰るのはココでしょ」

結局、みんなに「行ってらっしゃーい」と見送られて月光荘を後にする。

那覇空港で行き交う人々を見るともなしに見ているうちに、旅で何か変わったのか考えはじめた。

搭乗手続き、手荷物預け入れ、保安検査、搭乗と指示に従っていれば飛行機は自分を運んでくれる。

流れに乗っていけば「フツーに」生きていけるのかもしれない。

やっぱり私は私で理屈っぽいままだ。



[オキナワを歩く]その49・屋台のコーヒー(c176)

2007年05月31日 | 旅する。
5月31日

午後から〈ちんだみ工芸〉に行って三線を比嘉さんに聞いてもらう。

「歌わないんですか?もったいない」

そうなんです、歌の方が難しいんです、しかもシャイなんです。

「月末の支払いで外出するからちょっと店を閉めるんで、よかったらここでコーヒー飲んでてよ」

と紹介というか送り込まれたのは〈ひばり屋〉。

説明を一度聞いただけではたぶんたどり着けない路地のなか(しかも空き地!)にある屋台のコーヒー屋さん。

正真正銘のオープンカフェである。

ここでアイスカフェラテを飲みつつ、三線をつま弾く。

「オープンキッチンやで。味見して首を傾げてどないすんねん。まずかったら捨てる、うまかったらうなずいたらええんや。料理人が自信なさげにしとったら客は不安になるやろ」

威勢のいい関西弁のニイニイは居酒屋で働いている。

「ちんだみ、閉めてる。せっかく来たのに」という比嘉さんのお友だちには「30分くらいって言ってましたよー」と伝えておく。

やがて比嘉さんもやってきて、「いいねえ。選曲も音量もバッチリですよー」(住宅街なので)。

自転車を盗まれ仕事も見つからない女の子に「涙そうそう」の三線を教えているうちに、飛行機の時間が迫ってきた。



[オキナワを歩く]その48・最後のオキナワめし(c175)

2007年05月31日 | 旅する。
5月31日

昨日というよりは今朝、何時に寝たのか覚えていないが、意外にすっきり目が覚めた。

いよいよ帰ってしまう日なんだが、とくに何の感慨も湧かない。たぶん、遠くないいつかに、またきっと来るだろう。

それは予感よりは決意に近い。

本やCDを箱に詰めて郵便局から発送し、〈パンダ餃子〉に向かったらもう開店していて、「焼き餃子定食」525円を食す。

ぷりぷりの丸い餃子に、卵スープ、小皿の麻婆豆腐、昆布煮がついてこの値段なんだよ!

と心の中で叫ぶ。

今日も暑い日になりそうだ。



[オキナワを歩く]その47・「この島に着いたのは偶然なんかじゃありません」(c174)

2007年05月31日 | 旅する。
5月30-31日

ヨシが長野に帰る。

去年、見事な喉と三線で度肝を抜いてくれたひとだ。

コトブキで開かれた送別会では、ひとが続々と集まり、泡盛がボウルで回り、次々と歌が溢れ、踊り出し、熱気でみんな裸になりだし、要するにお祭り騒ぎだった。

漢詩には友だちを送る惜別の辞に名作が数多いが、それに劣らぬ数々の言葉が心に沁みた。

まことにいい酒、いい歌、いい夜であった。



[オキナワを歩く]その46・チビチリガマ(c173)

2007年05月30日 | 旅する。
5月30日

チビチリガマへと、再び歩き始める。


62年前、米軍が上陸した時にこの自然壕にこもった人々は、「集団自決」で大半の方々が亡くなった。

若者が老人を、親が子を、手にかけた場所だ。

読谷の人々はいったんは忘れようとし、しかし忘れてはいけないと戦後数十年たってから語りはじめた。

写真集を佐喜真美術館で見た。家族が殺し合った様子を証言する老女の喉には今もなお真一文字の傷が走っていた。

幾度か迷った末にたどり着いたガマの前では、修学旅行の中学生たちがガイドの話を聞いていた。

ここにある慰霊の彫刻は一度破壊された。地面には日の丸をつけたモリが刺さっていた。

明らかに右翼の仕業だった。死者たちは二度殺されたのだ。

「集団自決」が命令されたものでなく、民衆がもし「自発的に」やったものだとしたら、そのような精神構造を作り出したのは何なのか?

沖縄の人々は、いまでも「愛国心」という言葉を聞くと鳥肌が立つという。美名のもとに凄惨な殺し合いを強制された記憶は、今も消えない。



[オキナワを歩く]その45・象の檻が見える城(c172)

2007年05月30日 | 旅する。
5月30日

残波岬から座喜味城跡まで2時間ほど歩く。

熱帯の真昼、このピーカンの天気で外を長時間歩くのは自殺行為である。

なんてバカなんだろう。

それはともかく、順調に東南方向へ向かい、城跡へと上っていく。

琉球のグスク関連で世界遺産に指定された遺跡は本島各地に分散しているが、私はこの座喜味城跡でそのすべてを訪ねたことになるようだ。

ここに来て、プレートの説明を読んで、やっと気づいた。

城跡はアーチ門の上部中央の楔石などに特徴があるそうだが、私の注目は別のところにあった。

海側を眺めたときにイヤでも目に入る巨大な檻だ。

米軍の楚辺通信施設、通称「象のオリ」。

大型ヘリ、戦闘機、輸送機などなどがひっきりなしに飛び交う。嘉手納基地はここからすぐだ。




[オキナワを歩く]その44・「11管区の方ですか?」(c171)

2007年05月30日 | 旅する。
5月30日

MTDさんの車に乗せてもらって、残波岬で落っことしてもらう。

今日もいい天気である。

歩きと自転車ばっかりなので、どうやら顔と腕が黒々と焼けているらしい(本人は自覚していない)。

灯台に上ろうと窓口に行ったら「11管区の方ですか?」と聞かれた。

オレのどこが海上保安庁なのだ?

日焼けしてサングラスをかけているだけではないか?

いずれにせよ、灯台の上からはいい景色が見えた。



[オキナワを歩く]その43・またまたコトブキ(c170)

2007年05月29日 | 旅する。
5月29日

夜はいつものコトブキへ。

「初めて沖縄に来ました」
「初めてゲストハウスに泊まります」
「初めてのひとり旅です」
「噂(?)の月光荘に初めて来ました」
などなどの若者を引率することが最近は多いのだが、ほとんどお世話することはなく、店まで一緒に来てあとは放っておく。

私は私で500円のご飯セットを食べて泡盛水割り200円の杯を重ねていくだけである。

今晩はチベットに行ってきたばかりだという某大手航空会社CAふたりに声をかけられて、写真を見ながら盛り上がる。





[オキナワを歩く]その42・忘れかけていたが今は梅雨(c169)

2007年05月29日 | 旅する。
5月29日

西へ西へと歩いて結局、48号線が尽きた外間(ほかま)で、ちょうどバスがやってきた。

ほぼ2時間半歩いて、奥武島から那覇への道のりの過半か三分の一は来た訳か。

朝7時に月光荘に着いて、昼まで泥のように眠る。

やがて奥武島キャンプに参加した面々が帰ってきた。

宿に生息するみんなが、二日酔いと寝不足と疲労で何もやる気がおきない状態になっているのに加えて、まさにバケツをひっくり返したようなスコールに見舞われた。

路地は小川になり、屋根と地面を乱れ打つ巨大な水滴は大音響を立てる。

今日はつまり、何もしない日だ。



[オキナワを歩く]その41・朝のウォーキング(c168)

2007年05月29日 | 旅する。
5月29日

キャンプは、海に突き出た小さな半島部に建設途中だったリゾート施設の廃墟に設営されたのだが、湿気がものすごく、紙や布はあっという間に湿り気を含み始める。

さらに蚊の来襲が半端ではなく、さあ寝ようかと思った4時過ぎに思案した挙げ句、「歩いて帰ろう!」と歩き始めた。

那覇へ行くバスの始発が6時41分だから、おそらく3時間くらい歩いたらバスに乗れる。

橋を渡り、山を越え、やがて空が明るくなり始めた。




[オキナワを歩く]その40・奥武島の廃墟で(c167)

2007年05月29日 | 旅する。
5月28-29日

久高島から那覇へ。

月光荘に着いた途端に「ねえねえ、バーベキューに行く?」と誘われた。

奥武島でテントを張ってキャンプする、すでにみんなは車で出発していて釣りやシュノーケルで遊んでからビーチパーリー(beach partyの沖縄式発音)に突入する、という次第なんだそうだが、それなら、さっき電話した時に言ってくれれば直行できたのになあ。

結局、バスで奥武島に向かった。

釣りの成果はまったくなく、奥武島といえばこれ! もずく天ぷらを手始めに宴は延々と真夜中過ぎまで続いたのであった。



[オキナワを歩く]その38・聖なる島(c165)

2007年05月28日 | 旅する。
5月28日

宿を出るとき、おばあちゃんに「これから久高島に行く」と言うと、「それなら港まで車で送らせますよ」ということで、(たぶん長男の嫁の)おばちゃんに送ってもらう。

久高島は神さま関係がやたら絡むところで、古代史や民族学に興味があるから行きたいんだけど、今までの人生では「バチが当たった」ような経験しかないので、少しビビる。

しかし、高速船で着いてみれば、霊感が降りてくるわけでも体が痺れるわけでもなく、船着き場の待合室に荷物を置かせてもらって島内探索を開始する。

集落内の拝所を回っていたら、道を掃除していたおばさんから「観光なら集落内だけ、大事な儀式が始まっているので島の北には行かないでください」と、止められた。

そうなると、すでに集落内の見どころはほとんど回っているので、上陸して15分にして早くも「終了~」となりかねない。

次の船までは2時間ある。

しかたがないので漁港から海を見ていた。



[オキナワを歩く]その37・コンビニで工工四(c164)

2007年05月27日 | 旅する。
5月27日

飲み物でも買うつもりでファミリーマートに寄ったら、新しい工工四集が置いてあって、ついつい買ってしまう。

ちなみに工工四(通常「くんくんしー」と読む)とは三線用の楽譜です。

「海の見える展望台」が裏手にあって、小休止する。

コンビニに民謡の楽譜を売っていて、すぐ裏手から海が見られるとは、まさにオキナワである。



[オキナワを歩く]その36・その先には久高島(c163)

2007年05月27日 | 旅する。
5月27日

安座真ビーチから先は地獄の上り坂だった。借りた自転車は古いタイプのママチャリでハンドルが高く、サドルを上げても前傾姿勢を取れないので、非常に疲れる。

斎場御嶽(せーふぁーうたき)はすぐ近くのはずなんだがなあ。

まあ、どーにかこーにかたどり着いて御嶽を巡る。

汗をかいたせいか、礼を尽くすのが不十分だったせいか、大量の蚊に刺されてしまう。

なっちゃんにもらったポケムヒを塗りつつ、海の向こうの聖なる島、久高島を眺める。