4月30日 月曜日・振替休日 山形県某市
散歩する前に実家の庭を見たら、さくらが少し咲いていた。
このウチも今年で10年目、建てた年に植えたさくらだが、何の世話もしていないせいか、なかなか大きくならない。あるいは、10年くらいは樹木の一生では取るに足らない短さなのか。
4月30日 月曜日・振替休日 山形県某市
散歩する前に実家の庭を見たら、さくらが少し咲いていた。
このウチも今年で10年目、建てた年に植えたさくらだが、何の世話もしていないせいか、なかなか大きくならない。あるいは、10年くらいは樹木の一生では取るに足らない短さなのか。
4月29日 日曜日・昭和の日 山形県某市
いい天気だから、歩いてみた。
近所というにはやや遠いが、実家から1時間半ほど歩くと樹齢1200年のさくらに会える。
国指定の天然記念物で、シーズンには(つまり今だが)県内外から観光客が大型バスを連ねて押し寄せる。この日も大変な賑わいだったが、たくさんの支柱に支えられる姿はなんだか痛々しい気もする。
この周辺にはさくらの古木が多く、「置賜さくら回廊」として喧伝されているのだが、実はほとんど行ったことがない。さくらの季節にはめったに実家にいなかったからなぁ。
今年はチャンスかもしれない。
4月10日 火曜日 横浜→山形県某市
横浜駅の手前、帷子川にかかる桜がきれいだ。
18きっぷの5日目、横浜から湘南新宿ラインの宇都宮行きに乗るが、しょっぱなから遅れた。今回は宇都宮駅で昼食休憩の時間をとっているのでどーにでもなるが。
宇都宮駅で今日も吉野家の270円牛丼、そして黒磯、郡山、福島と乗り換えていくが、この時間帯だとロングシートに座らなくていいし、朝の横浜~渋谷間以外は混雑しないので、非常に好都合である。
峠にはまだ雪が残っていた。
米沢を過ぎると、日が暮れて夜になった。そして旅がいったん終わる。
4月9日 月曜日 京都→横浜
朝から〈コトブキ〉のポン酢つけめんが振る舞われ、イチくんは徹夜で飲んだ〈村屋〉から直送されてきていた。
泥酔のまま、空港に行けるのか? そんな心配にだめ押しするかのようにテキーラを3杯も飲まされてから出発したのだが。
結局バス停にもたどり着けずに路上に倒れてしまい、救出隊によって月光荘に凱旋。飛行機は翌日の便になったとか。
さらに鞍馬口通りの名店〈茶洛〉のわらびもちとあんみつをごちそうになる。口福なり。
帰路も18きっぷだが、今日は普通に横浜まで。出かけようとしたその時にはるちゃんが沖縄の大ちゃんとfecetimeをはじめたものだから、ついでに顔を出してみる。
市バスで二条駅へ、ここで日付スタンプを押してもらい、京都、米原、大垣と順調に乗り換えていく。豊橋駅からロングシートの車両になり、浜松で途中下車して吉野家の270円牛丼で遅い昼食にする。沼津からはクロスシートのある車両に乗って横浜まで。
4月8日 日曜日 京都
祭囃子が聞こえてきた。やすらい祭り、昨日行った玄武神社の例祭がこのあたりを回っている。
近所だというので、少し追っかけてみた。
狂乱の花見のあと、みんなやや放心している。なんだかお腹がすいた。で、平野神社の桜を見に行って、〈ガネーシャ〉でカレーとナンを食べようという企画が持ち上がる。
男4人で歩いて行く。
平野神社はしだれ桜が多いこともあってもう満開に近く、有料の桟敷も賑わっていた。
なぜか、鹿や猪やパンダがいる。
〈ガネーシャ〉ではいつものBセット(900円)にナンをお代わり(300円)。チャイで仕上げて満足。
ついでに北野天満宮に行くが、さすがに梅は見頃を過ぎていた。
赤ちゃんと記念撮影するご家族から、少し幸せをおすそ分けしてもらう。
ここには「御土居」が残っていて、豊臣秀吉が築いたお堀を見下ろして土堤の上を歩ける。
マーキンが京都駅に向かい、タッキーは月光荘に戻る。いしいちゃんと私は梅小路へ。私はともかく、いしいちゃんは由緒正しい鉄ちゃんなのである。
市バス50系統に乗って六条西洞院で下車、西本願寺に寄り道し、ついこの間開館した京都水族館を横目に見つつ、ひたすら蒸気機関車をめざす。貨物列車の引き込み線跡を推定したりしていたら、ちょうどチンチン電車がやってきた。
もちろん乗る。なんと明治時代に走っていた京都電気鉄道初代のモデルで、終端ではポールを回すタイプである。わずか250m乗って、駅員さんに話を聞く。「駅舎」には社紋入りの飾りまで再現されていた。
さて、われわれの目的地は梅小路蒸気機関車館なのだが、実はチンチン電車に乗ったためにわざわざ遠回りしていたようだ。こんなこともある。
この蒸気機関車館は旧JR二条駅を移築したもので、実は学生時代に見ているはずなんだが、記憶がない。
いしいちゃんの解説を聞きつつ、館内を回っていたら、ちょうどSLスチーム号の運転時間になり、もちろん乗る。
短い距離を往復し、さらに転車台に乗って回転し(サービスなのか1回転半してくれた)、石炭を補給し、また転車台に乗り、車庫に入るまで。こんな近い距離で動く蒸気機関車をたんのうできるのがすごい。「生きている」し、さらにみんなに「愛されている」。
扇形車庫で機関車を見ていたら、閉館時刻が近づいていた。
ゆっくり京都駅まで歩く。途中も橋脚やらトンネルやらに昔の痕跡を探して楽しむ。
そして京都駅からわざわざJR嵯峨野山陰線で二条駅まで行く。新旧の二条駅を歩く、という趣向なんだが。駅前の〈コメダ〉でミニシロノワールとアイスコーヒー。
バスで月光荘に戻れば、当然のように宴会になっていた。
これから京都月光荘を担うヒロシくんから卒業する(一部は中退?)カモちゃん、大ちゃん、愛一朗へと卒業証書が手渡され、伝統は受け継がれていくのであった。
そして本日も船岡温泉であたたまってから寝る。
4月7日 土曜日 京都
そういうわけで、京都月光荘大花見大会の当日になった。この日をもって愛一朗が月光荘を卒業する、というので全国から数百人が集まるらしい。何だか決戦の日みたいだ。
そういう日なんだが、私は今日は別にやることがあり、午後3時に病院にお見舞いに行く予定になっている。酒を飲んでいくわけにはいかないので、それまでは単独行動で。
まず郵便局へ行って野暮用をすませ、その近くの玄武神社や紫式部の墓を回る。
(ここが紫式部のお墓だそうです)
そのまま堀川通りを下がっていく。一週間前に咲いていなかった桜が、そろそろ咲き始めている。
水火天満宮で、しだれ桜を愛でる。
戯れに御所へと歩く。いろいろな桜が咲いている。
なんだか人出が多いと思ったら、春の一般公開をやっていた。ほう。行ってみるか。
ちょうど春興殿の前では舞が披露されていた。
出町柳まで歩き、〈ふたば〉の豆餅は列が長いのであきらめ、〈餃子の王将〉出町店でお昼を食べ、餃子をおみやげにして賀茂川沿いを北上する。
出雲路橋南のいつもの場所には、なんとコタツが20台も並べられていた。各種屋台にビール、泡盛、餅つき。移動する祭りを極めたらこんなカタチになるんだろうな。
いろいろ挨拶しつつ、そそくさと抜けて、病院へ。大学時代の先輩を、かつての同級生と見舞う。その後、木屋町の変貌に驚きながらお好み焼きで一献かわす。
夜も更けたが、賀茂川の月光荘大花見に顔を出す。花冷えというにはあまりにも凍える天気だが、泡盛満タンプランで飲む。というか、飲まないと寒くてやってられない。アルコールはそのまま体を温めるエネルギーに変わるみたいで、まったく酔わない。
暗いこともあり、知っている人も知らない人も関係なく、明るく騒ぐ。「キミの心のダイナモは熱く動いているか?」なんて、しらふでは言えない台詞を口走ってみたり。
やがて履物は行方不明になり、コタツもいくつか破壊され、何人かは倒れて眠り、何人かはエンジンがかかっていく。空気は澄み渡り、賀茂川の向こうに、満月に照らされて東山の稜線が浮かび上がっている。
歌がはじまった。
と、宴は夜を徹してつづくのだが、ひとり帰って船岡温泉へ。すぐにはお湯に触れないほどカラダが冷えきっていた。いやはや。
4月6日 金曜日 那覇→関空→堺→京都
沖縄を出る前に『錯乱のニューヨーク』を読み終えてしまおうと、スパートをかける。そうしているうちにまたキロ弁をもらいに並ぶことになる。話題のキロ弁は20個か30個ほど用意されているが、いつも最初になくなるので、早めに行って35分前から並ぶ。その間、私は『錯乱のニューヨーク』を読みふける。
で、前に並んだ家族が残り少ないキロ弁をさらえるように人数分をもらっていき、最後に残ったひとつは執念を燃やしていた師匠に渡った。結構タフな勝負だった。そういうわけで、今回の那覇滞在では朝食をすべて無料弁当でまかなう。それもまた乙。
(これが噂の「キロ弁」、おかずとご飯は別包装)
荷物をまとめ、本を読み、気まぐれに撮影し、また本を読む。
〈MOON BOW〉に行ってチャイをいただく。森クン、まぁさと話をしたり、本を読んだり。
月光荘に戻って、爪を切ったり、ギターを弾いたり。
さて、実は堺で今晩ライブに出演するみなさんと、どうやら同じ便の飛行機らしい。奇遇なり。私は例によって「780円」だから那覇-関空便を押さえたんだが、偶然とは恐ろしいものである。
あとは、さぁやに借りた『錯乱のニューヨーク』を返してtolot写真集のバンコク編を返してもらえば出発できる段取りなんだが、さぁやが起きてこない。
ううむ。淑女の部屋には入れないし。
飛行機の時間もあるので、大ちゃんにお願いして起こしてきてもらう。しかし、やはりまだ寝ている。
ううむ。お仕事でお疲れか。
結局また大ちゃんの手をわずらわせて、寝ているさぁやの横から本を交換してもらう。
ようやく、空港へ出発。
(16:07離陸、17:32着陸)
関空で、ライブ出演メンバーと一緒に行動していたら(手荷物を預けていないので、さっさと京都に行くこともできたんだけど)、なんとお出迎えのクルマになりゆきで同乗させてもらい、堺のライブ会場へ。僥倖というべきか。
西に夕日、東に満月という素晴らしいタイミングで橋を渡り、夕暮れの工業地帯が美しい影絵になり、生き物のように煙をはくさまに「工場萌え」を体感する。
堺のライブでは懐かしい面々とも会えて、なんだか同窓会のようだった。パーティはまだまだつづくが、私は21時過ぎに抜けて京都へ。
今度は南海から天下茶屋で地下鉄に、淡路で阪急に乗り換えて大宮駅下車、〈餃子の王将〉大宮店で夕食にする。ここが実は第一号店で、昔ながらのメニューもあるんだが、私がこの店をよく使うのはバス停が目の前だからなんである。
金曜日深夜の206系統はけっこう混んでいた。
京都の月光荘は明日の花見に向けて超満員になっていて、「高いところですが」と案内されたのは、通常はスタッフが使うらしい階段上ロフトのような位置にあるベッドだった。もうすぐ日付が変わる時刻だ。船岡温泉に行ってから寝る。
4月5日 木曜日 今帰仁→那覇
朝食に牛肉ともやしのトマト煮を作る。肉のうまみとトマトのさっぱりした酸味に、出汁しょうゆのコク。さらに昨夜もらったパンの耳を軽く焼いて塩胡椒、マヨネーズ、サルサソースで食べる。たまたま同席したゲストの方々に振る舞うと、けっこう喜んでもらえた。
例によって、とくにやることはないが、行きがかりで借りているレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』を読み続ける。『聖☆お兄さん』も読みたいが、今回も途中でお預け。
那覇まで帰るため、バス時刻表をチェックしておく。13時ころ、昼食にキャベツの味噌炒めなどを作って軽く食べる。そしてまた読書。
例の外国人3人組が起き出してきた。「lazy day.」ということで、どうやら私以上に予定がない。で、遅いランチに行くから一緒にどうか? と誘われ、同行する。
沖縄ローカルなものを食べたいということで、〈紀ノ川食堂〉をめざす。しかし、15時を過ぎていて中休み。つづいて〈いちばキッチン〉に行くが、やはりclosed。〈みちくさ〉のさおりさんに相談し、みんなで協議して、〈みなと食堂〉へ。ここは確実に開いているが、なにしろ大盛りで有名なので、その辺を警告しておく。
なのに、ダリウスは「ソーキそばと焼き飯」を注文する。おばさんが「わかってるの?無理」という表情なので、改めて警告するが、「シェアすればいい」と、強行。結果、沖縄そば(小)の私と沖縄そば(大)のサミーは完食。オムライスのオリバーは半分ほど残し、ダリウスが残した焼き飯と合わせて大量の持ち帰りに。沖縄食堂の大盛りは世界で勝てるな。
ここから名護バスターミナルまで送ってもらい、時間的にはあまりに微妙過ぎたのでとくに急ぐこともなく走ったのだが、奇跡的に16時45分の那覇行きに間に合う。
バスに乗った途端に睡魔に襲われ、旭橋の那覇バスターミナルで降りて月光荘まで雨の中を歩く。いつもと同じベッドだった。
そういえば、〈コトブキ〉が今だけ味噌ラーメン専門店になっているので、さぁやと食べにいく。
月光荘にアルベルト隊長が遊びに来てくれて、しばし飲む。その後、クーラーボックスを下げて夜の街へ消えていった。
そのあと、久々に再会した師匠と外へ飲みにいく。あっちゃん、たけくんも一緒に。結局〈ぼんじりや〉でさんざん飲み、最後は〈つきのわ〉に行ったがほとんど寝ていたようで、沈没寸前で歯磨きしてベッドで寝る。
(前半もとぶ篇からつづく)
4月4日 水曜日 今帰仁篇 (後半)
〈haru〉から歩いて505号線へと降りていく。道の向こうに青い海が見える。
505を少し東へ行くと、もう本部町から今帰仁村に入る。いい天気だ。
海の香りがする方へ、テキトーに曲がる。親泊海岸に出た。
浜辺を歩いてみる。
今泊集落に入った。ここもフクギが密集する古い風情を残した地区である。
505よりひとつ海沿いをいく道を歩く。いくつか橋を渡る。赤墓の標識を過ぎた。
そうこうするうちに結家に着いた。およそ1時間強、たぶん6kmくらいだと思う。ウォーキングには気持ちよい距離だが、沖縄ではこんな距離を歩くと変人扱いされる。
いつものようにベッドを決めて、安楽椅子に座って海を眺めていたら、ヘルパーのにゃおちゃんが「買い物大丈夫ですか?」と聞いてくれた。
ちょうど休憩時間でクルマを出すから、ということでもとぶの〈かねひで〉まで行く。にゃおちゃんは隣で給油。JAのSSは水曜日が安いのだ。
せっかくなので、この近くの天然記念物である「塩川」に行ってみる。標識は目にするし、けっこう有名だが行ったことのある人はあまりいない名所? である。
しかし行き過ぎてしまい、戻ってクルマを停め、探索。道路のすぐそばに説明板があり、小さなわき水らしきところと細い川がある。
「これだけ?」と思わず叫んだくらい、地味である。
「塩水の流れる川は世界でもこことプエルトリコの2箇所しかない」「長さ約300m、日本でもっとも短い川」「なぜ塩水が湧き出るのか不明」と、文章で書くとちょっと惹かれるが、実際のところはただの小川にしか見えない。
渡久地のもとぶ町営市場に行き、〈コーヒー みちくさ〉でにゃおちゃんにおごる。
「さあ、何でも好きなものを頼みなさい」と見得を切ったら、さおりさんに「まあ、300円と200円しかないけどね」と笑われた。そんなに安いけど、実においしい自家焙煎のコーヒーをいただく。私はタンザニア、にゃおちゃんはマンデリン。
ちなみに、〈みちくさ〉は朝コーヒー200円! をはじめたので、早起きのコーヒー好きはどうぞ。7時からやってるそうです。
結家に戻って、早めに夕食の支度にかかる。沖縄そばの焼きそば(最近こればっかり作っているような気がする)を今回は乾麺の首里そばでやってみようと思う。フリー食材にニンニクとサルサソースがあったので、それも活用する。
牛バラ肉ともやしをニンニク炒めにし、麺と絡めてトッピングにはカイワレの緑とサルサソースの赤でキメてみた。
余った時間でタッパーウェアを整理したり、ギターを調弦したり、ボクシングを見たり、キッチンで「ゆし豆腐」に悩む人たちを手伝ったり。
そしていつもの感じで夕食会。某小学校に赴任したての先生、日本を旅して7か月、明日から宮古島へ行く旅人、これから沖縄24日間の旅をするかつてリストラされた人、歯医者の卵、などなど本日も多士済々。
さらに外国人3人組がやってきた。近所の居酒屋へ行く「道を説明して!」というSOSに応えて出動したが、iPhoneでマップにピンをドロップして「near Kaneshi Elemenntary School」ですんでしまった。
その後、似顔絵描き大会で意外な才能が発見されたり、キッチンで件の外国人3人組と泡盛を飲んだり、国籍も民族も出身も居住地もアメリカ、台湾、イラン、イタリア、英国、茨城県とぐちゃぐちゃであったり、なかなか面白い夜になった。
4月4日 水曜日 もとぶ篇 (前半)
朝、フリーの食材で和風ミネストローネを作る。スパゲティにうどんスープ、ワカメなど。意外というか当然というか、なかなかうまい。
最近のマイブームで『深夜食堂』を読む。
古宇利島に行くクルマに便乗して海洋博公園の北ゲート近くでおろしてもらう。すでに気温が上がっていて、子どもたちがミストと戯れていた。
ニクちゃんが絶賛するメガマウスサメを見に行く。「総合休憩所(美ら海プラザ)」という位置づけだが、実はマニアにはたまらない標本がズラリと並んでいる(そうだ)。目的のメガマウスサメをはじめ、リュウグウノツカイやら何やらの液浸標本、マッコウクジラの骨格標本、その他いろいろ。
そしていつものようにウミガメの子どもをチェック。さすがに8か月となるとけっこう大きくなっている。
ちょうど11時にオキちゃん劇場の初回が始まるので見に行く。春休みで満員である。いったん座ったが、おじいちゃんに席を譲る。当方は何回も見てるしね。
今回はジャンプ写真を撮ることに集中してみる。カメラの癖をつかめば、連写しなくてもこんな感じで撮れる。
イルカのショーの後は海沿いの遊歩道を歩く。浜辺の上にかけられた桟道を気持ちよく海風を受けて散歩。陸側には池に蓮の花、小さな滝、熱帯の植物群と自然に包まれていく。ここは美ら海水族館だけで帰ってしまうのはもったいない「公園」でもある。
〈natural cafe haru〉に行くニクちゃんに中央ゲートに寄ってもらってピックアップしてもらい、〈haru〉でソーキカレー。
この日はお父さんと、その友人の方と沖縄美術界談義。おふたりとも沖展会員で、抽象画の大家なのだ。昨日見にいった田中一村展の図録にはお父さんの文章も収録されている。
さて、ここから歩いて今帰仁へと向かう。
(後半今帰仁篇につづく)
4月3日 火曜日 那覇→もとぶ
屋根を叩く雨音で目が覚めた。
例によって何にも決めていないが北部には行きたい。シャワーを浴びて、ニクちゃんに電話し、結ねぇに電話して「もとぶゲストハウス1泊、結家1泊」を決める。
荷物を片付けていたら「キロ弁に行く?」と誘われたので、今日も並ぶ。豪雨と強風のために、傘がひとつおしゃかになる。沖縄の雨に傘で抵抗しようとするのが無謀なのかもしれない。
今日は生姜焼き弁当で、ご飯が炒飯であった。いろりの回りでみんなに見せびらかしながら食べる。今回の旅行は「タダ」が多い。
紅芋パウダーを探しているこうじ氏をマックスバリュに案内しがてら、沖縄県立美術館に行く。田中一村展と常設展のコンバインチケットで1040円。
田中一村は「死ぬ前に作品を作る覚悟と計画」を持って奄美にやって来た。なんと凄絶な意志であることか。
常設展では森山大道の写真を久しぶりに体系的に見る。「たしかな世界を捨てる」「写真よさようなら」あの時代の気分を思い出す。
月光荘に戻る。爆弾低気圧で飛行機が欠航しているそうだ。本土では電車が止まっている。まるで台風のような強烈な低気圧だが、沖縄ではこの程度の風速は日常的なのか、交通機関は乱れていない。那覇バスターミナルまで歩いて高速バスに乗る。
名護から65番に乗り換えてバス停山川から徒歩でもとぶゲストハウスへ。今回は初心に戻って、普通の交通手段でたどりついてみた。
そして夕食はいつものところへ。
もずく、煮魚、三枚肉をたんのうする。
4月2日 月曜日 那覇
「キロ弁」に並ぶ。
えー、説明しましょう。重量が1kgある弁当を売る弁当屋さんが新規開店するらしく、朝11時から「先着100名に弁当を無料配布する」というチラシが出回っていて、暇な5人が「沖縄で、並ぶなんて滅多にないでしょ」と楽観しながらも出かけてみたら。10時50分ですでに50人近くが並んでいた。
噂のキロ弁はとっくになく、普通の(といってもかなり大盛りの)チキン照り焼き弁当などをタダでもらって帰る。このサービスは、これから4月6日まで毎朝つづくそうである。
月光荘でこの弁当を食べる。かなりのボリュームで、昼前にして満腹になるとやる気が相当失せる。傍らではビールを飲む人たち。
こんな時はやはり、コーヒーである。
〈ひばり屋〉に行って「二日酔いに効くカプチーノ」を所望する。女の子ふたりが実に楽しそうに遊んでいる。だらしないオトナ(私のことである)と元気な子ども、何かの縮図みたいだが、心和むいい風景だった。
さあ桜坂劇場に行くか、と思ったら肝心の会員証がない。泡食って月光荘に戻れば、別のところにしまってあり、ほっとひと安心する。いやはや。
さて、少しは新しいところを開拓しようと何かでチラッと見た「楚辺に軽便鉄道の枕木が残っている」という情報を確認しようと思い立つ。
おきえい通りの那覇市観光案内所に立ち寄り、那覇の地図を入手する。係の人がちょうど手持ち無沙汰のようだったので、思い切って「楚辺の枕木」について聞いてみたが「変なマニア」に思われたか、舌打ちの後、テキトーに説明してくれた。
軽便鉄道の路線はだいたいわかっていたので、ゆいレール壷川駅から東北のあたりとわかれば探せる。やる気のない係のおじさんに礼を言って歩き始めた。
県庁前を過ぎ、那覇バスターミナルで「仲島の大石」をキチンと見る。いつも急いで通り過ぎるが、今見ても実に巨大で、風格がある。
壷川通りを東へ、壷川の交差点を過ぎ、さらに次の交差点で左を見たら道の奥に公園が見えた。線路や枕木が保存されているとしたら公園か大規模マンションあたりかと見当をつけていたので、見に行く。東壷川公園。なんと線路の上にトロッコが乗っていて、子どもたちが遊んでいた。
プレートによれば、工事中に線路が出土したので公園内に保存し、トロッコと台車は南大東島で使われていたものをのせている。
城岳公園を経て那覇高校前へ、平和通りを抜けて桜坂劇場に着いたのは17時32分だった。ちょうど17時40分から《アニマル・キングダム》の上映がはじまるところだったので、見ることにした。これで無料招待券を使い切る。
いかにもタランティーノが好きそうなストーリー展開ではあるが、テイストはかなり異なる。ブラックユーモアというよりもシニカル、喜劇的ではなく悲劇的。設定自体が破滅の種をはらみ、必然的に坂を転げ落ちていく作劇の妙、主人公の「成長」、ねじ曲がっていても家族の愛情が至上であったりする独特の価値観、そして苦い結末。
映像のざらつき感が人生の残酷さを暗示するようであったり、冒頭のシークェンスの奇妙な浮遊感、キャラクターの性格を戯画にならない程度に描き分けているあたり、佳作かと思う。
月光荘ではマッキーによるタイ料理パーティだった。生春巻き、ソムタム、チャプチェ、グリーンカレー、生姜ライスなどなどで400円!
4月1日 日曜日 京都→関空→那覇
7時45分に月光荘を出て、市バスで四条大宮へ、阪急で梅田まで。御堂筋線の切符販売機で「ちかトクなんば乗り換え関空行き」980円という連絡切符を発見し、即購入。(実は阪急から淡路、天下茶屋乗り換え関空行き連絡切符もあったらしい)
で、なんばで南海電鉄に乗り換えようと歩いているうちに思い出した。「南海だけ、むちゃくちゃ遠かった」ことを。
9時40分発の関空行き急行を目の前で逃し、10時発ラピートにしようかとも思ったが、結局9時45分発の和歌山市行き急行に乗って泉佐野市で乗り換える。
関空には10時28分着、スカイマークの自動チェックイン機に携帯をかざして手続きは終了。今回は預け入れ手荷物がないので、あとは自由である。
広い関空を周遊して買い物やら昼食やら沖縄月光荘へ電話やらmixiに書き込みやら。保安検査を抜けて搭乗ゲートに着いてしばらくしてからスカイマーク機が着陸してきた。今ごろかよ! と思ったが離陸は約30分の遅延ですんだ。
(12:58離陸、14:50着陸)
那覇空港からゆいレール、月光荘にチェックイン。宿泊代を前払いしてベッドを決めるだけだが。いま、県立美術館で田中一村展が開かれているそうだ。
日曜日なので〈コトブキ〉は中休みなしの営業をしている。しょうゆラーメンに無料トッピングパスで味つき卵をつけてもらう。
さっちゃんは「沖縄揚力発電所」に行きたいらしい。それは穴場というより「マニアック」ですな。
桜坂劇場で上映スケジュールを調べ、〈プラヌラ〉でウパ、ミルクティーで。
そして桜坂劇場で映画を見る。今回の沖縄行きは4月4日で期限が切れる無料招待券2枚を使うのが主な目的なんだが、なかなか見る映画が決まらない。
音楽担当がレディオヘッド、というのが決め手で見たのは《灼熱の魂》。
描かれている背景はあきらかにレバノン内戦だが、映画ではあえて舞台をレバノンに特定しない。あまりに悲劇的だからこそ、特定の場所ではなく普遍化したかったということだろうか。
「出生の秘密」をめぐる謎解き、あり得ないくらい残酷な運命、最後の手紙の余韻。予期せずいい映画にめぐりあう。
月光荘に戻ったら、大ちゃんの天ぷらパーティーだった。だいさく氏に久しぶりに会う。
ジュンク堂地下のA-COOPが3月31日で閉店していた。ユニオンに行って、もはや定番となりつつあるブラックニッカを買って戻る。
その後、だいさく、大地、ミキティの諸氏に「ナイスミドルの魅力」について講義してもらう。ほう、そういうこともあるのか。
例によって〈つきのわ〉で2杯ほど。