迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

インド・ネパール第21日~第24日 ポカラ

2009年11月29日 | 旅する。
DAY21
11月26日 木曜日 カトマンドゥ→ポカラ





7時発のツーリストバスでポカラへ。今度はデラックスバスで、満席でもなく、7時間余でポカラへ。





客引きを振り切ってダムサイドの宿を取るが、予想以上に静かというか、寂しい。

少し散歩する。カトマンドゥよりは暖かいので、ここで療養する予定。





DAY22
11月27日 金曜日 ポカラ

ダムサイドの宿を引き払ってレイクサイドへ引越し。宿自体は安かったし、居心地も悪くなかったのだが、いかんせん街に活気がない。

午前中はレイクサイドのホテルで同宿の日本人と雑談し、午後は滝や洞窟や山岳博物館を歩いて巡る。





DAY23
11月28日 土曜日 ポカラ

あいにくの雲がかかって、ヒマラヤを見るには条件が悪い。

レイクサイドのレストランやショップが並ぶ通りを延々歩いててみる。





お金をおろしたり、寺院を見たり、タイ料理を食べたり、クルタ(シャツ)を買ったり、昼寝をしたり。





夜、久しぶりにインターネット。

DAY24
11月29日 日曜日 ポカラ

朝、とてもきれいにヒマラヤが見えた。サランコットに行くなら、今だ。

歩こうと思ったらタクシーが往復800ルピーで行ってくれるというので、乗る。

7時、サランコット駐車場そばの展望台。ここからでも十分きれいだが、さらに近くへと、展望台まで徒歩40分。


信じられないくらい近く、鮮やかにアンナプルナやダウラギリやマチャプチャレが見える。みんなが、今日はとってもラッキーだと言い合うすばらしい眺望だった。






タクシーをオールドバザールで下ろしてもらい、ツーリストのあまりこない街を散策する。

ポカラはとても居心地のいい街で、だいぶ体力も回復してきた。ネパールはいずれきちんと準備してちゃんとトレッキングをしにこよう。





今回は体調を整え、またあのインドに立ち向かわなければならない。

ポカラ滞在は明日30日を残すだけ、12月1日には飛行機でデリーに入る。


インド・ネパール第17日~第20日 カトマンドゥ

2009年11月25日 | 旅する。
DAY17
11月22日 日曜日 カトマンドゥ

ほぼ24時間寝たあと、リハビリ代わりにダルバール広場まで出かけた。





食欲もないので、日本食レストランへ行く。

カトマンドゥの日本食はうわさにたがわずレベルが高い。

それも、長い旅行で食べたくなる日本食が揃っている。

DAY18
11月23日 月曜日 カトマンドゥ

いままでトリプルの部屋をひとりで占拠していたので、部屋を移る。

ランドリーで今度は取り違いが起きて、パンツが1枚行方不明。今回のたびでは洗濯が鬼門あらしい。

旅行会社で飛行機便を探す。国境を陸路越えるのにこりたので、次は飛ぼうかと思う。

昨年まで国王が住んでいた王宮を見たり、郊外のスワンヤブナート寺院へ。





久しぶりの上り坂は、なかなかきつい。







DAY19
11月24日 火曜日 カトマンドゥ

結局、泊まっている宿で手配するほうが安かったので、ここでポカラ→カトマンドゥ、カトマンドゥ→デリーの飛行機を手配する。

午後からはマイクロバスとバスを使ってパタンへ往復。とくに博物館の展示が垢抜けていてびっくり。







ときどきカトマンドゥの排気ガスから逃れるとほっとする。

DAY20
11月25日 水曜日 カトマンドゥ

ボダナートとパシュパティナートを回る。







チベットレストランでモモ(ぎょうざ)とチョウメン(焼きそば)を食べるが、全部を食べきれない。いまだに胃が小さくなったままらしい。


インド・ネパール第16日 インドからネパールへ。 

2009年11月21日 | 旅する。
DAY16
11月21日 土曜日

ラクソウル手前でバスが止まった。そのうち動くだろ、という期待は甘く、朝の5時半に路上に放り出された。

どうやらあとは自力でなんとかしろ、ということらしく、たまたま止まった乗り合いジープに拾われる。

このジープがすさまじく、ドアははずしてあって前部座席に5人、ドライバーの左に3人、右に2人乗る。左右の端は半身が吹きさらし、お尻はハンケツ。

ちなみに後部には約10人、ルーフに荷物と3,4人。

途中乗車の自分は前部左端で自分の荷物を抱え、車から振り落とされないようにしつつ、凍える手足を時々動かして、生き延びることを願う。

さらにこのジープ、外国人旅行者の足元を見やがって50ルピーもぼりやがった。





とりあえずラクソウルに着き、サイクルリクシャに案内させてインドのイミグレへ。なぜか踏切が15分も閉鎖され、これでビールガンジを朝7時に出るはずのカトマンドゥ行きバスに間に合う望みはほぼ断たれた。

インドのイミグレではネパールからインドに入国するタイ国籍のチベット僧侶たちが意地悪な管理官に待たされていた。

まことにインド国境はぼったくりロードである。





これに対し、ネパールのイミグレではドルのお釣りを5ドルごまかそうとした若者を叱り、丁寧にビザを発行してくれて

OFFICIALLY WELCOME TO NEPAL.

と歓迎してくれた。



インドからネパールに入るとほっとする、というのは本当である。

ビールガンジまでサイクルリクシャで行き、結局バスはないが乗り合いタクシーが
あるというのでそれに乗る。

リクシャには20ルピーをあげておいた。そのへんが普通の相場だが、国境ではたぶん数倍ぼるのであろう、泣きついてきたが、インドで学習したのは相場を知るものが勝つ、ということである。

9時ちょうどに車は動き出し、風に吹かれることもなく、途中で降ろされることもなく、14時45分にはカトマンドゥに着いた。





まだネパールルピーに両替していないんだが、インドルピーが使えるはずだ。

タクシーが300ネパールルピーというのを、150インドルピーつまり250ネパールルピーに値切ってタメル地区に向かう。

とにかく宿を決め、そのまま倒れこんで寝た。


この国境越えで体調は最悪で、寒気、のどと鼻の痛み、疲労、体中が不自然な姿勢を長く続けたゆがみで痛いのか痛くないのかわからなくなっている。



インド・ネパール第13日~第15日 ヴァラナシ、ブッダガヤ、パトナー

2009年11月20日 | 旅する。
DAY13
11月18日 水曜日

ガンガーにボートを出し、朝日を見る。





ひとりではなかなかできない贅沢で、旅の友に感謝。





ヴァラナシ駅で明日のブッダガヤ行きとネパールからインド再入国したときのデリー行きを予約しておく。





DAY14
11月19日 木曜日









ブッダガヤヘ。

着いたとたんに日本語のうまいゲストハウスオーナーにつきまとわれる。

別のゲストハウスにチェックインし、明日のパトナー行きのバスを予約する間、ずーっと勝手に指示を出しつづける。

丁重に、ひとりで行動したいので、とお引取り願ったのだが、今度はマハーボディ寺院でドライバーつきで現れて郊外へのツアーを売り込み始めた。

一度はまいたのだが、再度つきまとわれて今度はおみやげ物やを見ていけという。どうやらあんなに親切にしたんだから、というつもりらしいが、大きなお世話でしかない。

なんとか帰ってくれたが、なんだかトラウマになりそうだ。






DAY15
11月20日 金曜日

パトナーにはお昼に着き、国境のラクソウルまでのバスを探した。サイクルリクシャが昼のバスを知ってるというから行ってみたらそこは近距離バスターミナルでツーリストバスはなく、ローカル夜行の22時発しかない。

これだからリクシャは信用ならない。改めて長距離バスターミナルに行ってもらおうとしたら怒って拒否した。自分の知ってる範囲が狭い上に情報は間違いだらけ。





しょうがないので、この夜行バスを買い、しばらくホテルで休憩しようかと思ったら、見事に全てのホテルが満室だった。たぶん20軒は当たったと思う。結婚式シーズンの週末ということか。

そういうわけで、この決断が不幸を招くことになったんだが。



インド・ネパール第10日~第12日 カジュラホ、ヴァラナシ

2009年11月17日 | 旅する。
DAY10
11月15日 日曜日 

カジュラホ





DAY11
11月16日 月曜日





サトナーまでバス、そこから鉄道でヴァラナシへ。ちゃんと寝台を予約したので、快適。ただし、ウェイティングリストでしかも3時間ほど遅延したので一筋縄ではいかなかったのだが。





DAY12
11月17日 火曜日





ヴァラナシで宿を決めたら、続々と日本人旅行者に会う。

これも縁かと、一緒にご飯を食べ、サールナートまでご一緒する。




インド・ネパール第7日~第9日 サーンチー、カジュラホ

2009年11月14日 | 旅する。
DAY07
11月12日 木曜日

インドールに向かうバスが大幅に遅れ、8時間の予定が15時間、朝のはずが昼過ぎに着いた。





すぐにボーパールへのバスを探して乗り継ぐがボーパール到着は夜になり、客引きに連れてこられた宿は最悪で、一晩で引き払い、翌日サーンチーへ。


DAY08
11月13日 金曜日

サーンチーでアショーカ王のストゥーパを見る。





そこからはヴィデシャまで乗り合いタクシー、駅を雨の中探し、ジャンスィーまで切符を買って乗ったが指定席じゃなかったので、インド人民のなかを4時間。





ちなみに日本人なのに指定席を買わないなんて?ネパール?中国?と不思議がられた。

夜になったのでジャンスィーに泊まる。

DAy09
11月14日 土曜日

バスでカジュラホヘ。

久しぶりに自分以外のツーリストに会う。今までは移動のバスや鉄道でツーリストは自分だけだったので、かえって違和感がある。

宿を決めて、しばらくゆっくりする。








インド・ネパール第4日~第6日 アウランガーバート

2009年11月11日 | 旅する。
DAY04

11月9日 月曜日 ムンバイ→アウランガーバート

バスは6時過ぎにアウランガーバートに着いた。

ACはないが、寝台なので楽ではあった。

しつこい客引きにはまずチャイ屋を教えてもらう。

あせることはない。

とりあえず鉄道駅まで行き、そこで客引きを断り、自力でホテルを探すが、どうも地図がよくなくて探しきれない。

元の場所に戻ったところで正直そうなリキショードライバーが5ルピーで行くというので案内してもらう。

さて、しかしとてつもなく広いダブルしか空いてなくて、845ルピーで2泊することに。

シャワー浴びて休んで階下に下りたら、さっきのリキショーがまだいた。

エローラまで400ルピーで往復、燃料込みというので行ってもらうことにする。バスツアーでも200ルピーだから、ま、いいか。



まずは朝食、つづいてダウラターバートという砦へ。

これが半端ではないクライミングで、上るだけで1時間、それもからくり屋敷のように隠し階段や落とし穴があり、頂上かと思えばまだ先がある。

たっぷり汗をかいて、ようやく頂上へ。



つづいてクルタバード、そしてエローラ。

まずは少し離れた30~34窟、つづいて29窟から17窟まで岩壁を歩く。





そして1~15窟、最後にメーンイベントの16窟。





詳しくは後日。確かに全部の洞窟を回ると疲れ果てる。



他の見所をキャンセルして、ランチ、そしてホテルへ戻ってもらう。途中の屋台で買ったよく熟したシャカトウが美味だった。



DAY05

11月10日 火曜日 アウランガーバート

フロントでランドリーを頼み、アジャンタまでのバスツアーへ。

バス1台とミニタクシー1台でツアー、ミニタクシーの荷台席を割り当てられて出発。同じ車に乗ったカップルがアイルランド人で、なかなか話が盛り上がる。



アジャンタではガイドにくっついて行儀よく行動する。





が、途中で同じツアーのインド人の客たちが、もういい、戻ってランチを食べたいと主張し、ツアーの半分以上がいくつかの石窟を残して去る。残りはガイド無しで回れることになり、この方がじっくり見られて好都合だった。





インド人の足の悪いおじさんたち一行とつきあってゆっくり帰ったら、ランチを10分で食べるはめになったが、日本人は時間を守るのである。どんな場合でも。

帰りは車の中で寝たかったが、不自由な荷台席ではそうもいかなかった。



着いてから、明日の夜行バスをアレンジする。まずは夜8時発のインドール行きを買い、そこからは出たとこ勝負。



DAY06

11月11日 水曜日 アウランガーバート→インドール

実は昨日頼んだランドリーがまだできていない。物干し場まで同行して探したが、ない。

ロストだ。

で、実は間違って別の客にデリバリーしていて、朝からその部屋をたたき起こして自分の洗濯物を無事回収する。

ま、これもインドか。



チェックアウトしたらやることがないので、一昨日エローラに行ったリキショーを電話で呼び、半日市内観光ってやつをやってみる。

まず朝食、ATM、パーンチャッキー、ミニ・タージマハル、博物館、ショップ、絹織物の工房、ランチ、そしてネットカフェ。

これでどーにか3時半までは暇をつぶしたんだが。




インド・ネパール第1日~第3日 ムンバイ

2009年11月08日 | 旅する。
DAY01

11月6日 金曜日 成田空港→ムンバイ

夜8時にムンバイ空港に着き、1万円だけルピーに両替し、プリペイドタクシーでコラバ地区へ。

目星をつけていた宿がことごとく満室で、うわさどおりムンバイは宿が多くはないようだ。

4軒目でどうにかダブルの部屋を1040ルピーで確保し、ちらっと街を散歩しておとなしく寝る。

インド門では映画の撮影らしく、ライトアップして群集のエキストラがリハーサルしていた。





DAY02

11月7日 土曜日 ムンバイ

朝から宿替えを試みて何軒か回るが、昨夜よりも込んでいて、結局また同じ部屋にもう1泊することに。

エレファンタ島に船で渡る。約1時間。船内でインド人に質問攻めにあう。

島に着いてから、かなり歩き、さらに長い坂道をのぼる。汗だく。

洞窟を彫った寺院というか僧院というか。




あまりに疲れたので、いったん宿に戻って休憩。

出直して近所の美術館へ。



DAY03

11月8日 日曜日 ムンバイ→アウランガーバート

宿をチェックアウトして、チャーチゲート駅まで歩き、ムンバイセントラルまで列車、4ルピー。



駅近くのバススタンドで、アウランガーバート行きの夜行バスをアレンジしてもらう。500ルピーに手数料50ルピー。高いのか、安いのか、まだよくわからないが、どうも安くはないような気がする。


散歩してみるが、あまりに暑いので、判断力が鈍る。

とりあえず日陰で休憩し、タクシーでCST駅まで行く事にする。

CST駅は世界遺産なのだが、修復中のようで全部は見られなかった。


あまりにひまなので、また歩く。

<カイバル>という高級レストランに入ってみる。別世界のように涼しい。値段も別世界だが。



ジャーハンギール美術館、無料のギャラリーだが地元のアーティストを支援するところらしい。

さらに西へ歩き、マリーンドライブで夕日を眺める。

地元の家族連れが多い。




ここからセントラル駅までタクシーを飛ばし、バススタンドで荷物をピックアップし、さらにタクシーをつかまえてバスが出るところまで送ってもらう。

簡単にいうとそういうことだが、実はなかなか。詳細は後日。

とにもかくにも夜行バスは、わずか1時間遅れで発車したので、よしとしよう。



行ってきます。

2009年11月06日 | 旅する。
11月6日 金曜日 成田空港→ムンバイ



というわけで、成田空港に来ています。



いろいろやり残しはありますが、これから12時10分発ANA943便ムンバイ行きに搭乗します。



とりあえずインド、できればネパールまで足を延ばしたいと思っています。



旅先からできるだけブログ更新を心掛けますが、写真がなかったり英語だったりするかもしれません。



そういえば沖縄ブログも10月28日29日の那覇編がまだです。



わー、時間切れだい。



それではみなさん、よいお年を。



帰国は12月17日の予定です。

もうすぐ出発。

2009年11月04日 | 旅する。
11月4日 水曜日 横浜



旅行の準備。

海外引き出し用に持っていくシティバンクのカードのために口座の確認。

円の現金を出金。

ちなみにクレジットカードはVISAとMASTERの2枚を持っていく。他に少額紙幣中心にUSドルの現金。トラベラーズチェックは現金化が難しいケースがあるので持たず。



横浜に出かけ、ヨドバシカメラ近くのダイソーでタオルハンカチと密封袋B5×13枚を購入。

東急HANDSでダコタの時計2700円、折り畳み軽量傘1050円。

腕時計は持たないので、腰にぶら下げるタイプ。携帯があればいい、と思っていたが飛行機の中で使えないのと、充電の問題もあり、まあ持っておくかと。



ちなみに長年使ってきた3WAYボストンも世代交代しようかと思案中。

もともと、担ぐ「こともできる」というタイプなので、バックパックよりも肩に負担がかかるのと、意外に厚みがあってバスの荷物入れになかなか入らないことがある、ってのが最近困る。

かつてはヨーロッパで中級ホテルに泊まる旅の形態だったのが、最近はアジアの安宿がメインなので、旅のしかたの変換に伴い持ち物も変えてみようかと。

30Lくらいで丈夫で背負いやすいのがいいなぁ。

今日も探したが、まだ本気でない分、巡り会えず。

澄み渡る夕方の空に

2009年11月03日 | 旅する。
11月3日 火曜日 横浜→茗荷谷→西荻窪→横浜



東京駅に向かう列車の窓から富士山がきれいに見えた。

丸の内線で茗荷谷へ、インドVISAの受け取り。

規定時間の17時30分前に開いたらしく、とりあえずDカウンターに並び、サインして受領、VISAに記入された名前とパスポート番号を確認して終了。



西荻窪に寄って某所と某所を回る。

長年住んだ街だが、年に数回しか来れないので、浦島太郎以上に事情に疎い。

それはともかく、みなさんにご無沙汰ばかりで、最低限の義理も欠き、まことに申し訳ない。

空気人形

2009年11月01日 | 映画や音楽や舞台や本とか。
11月1日 日曜日 横浜



ANAから5日後に出発だよ、と親切なのかお節介なのか、メールが届く。



さて、映画の日なのでお気に入りのチネチッタ川崎へ。

切符売り場に行列、エスカレーターに行列、もぎり入口に行列。

日曜日、ファーストデイ、マイケル・ジャクソン、のせいか。いつも空いている平日しか映画館に行かないので、人の波に溺れかける。



まずは《カムイ外伝》。

非情とセンティメントと、寡黙と過剰と。

徒労感と閉塞感に時代を感じるが、それは60年代に感じたものとは共通しつつ、異質なんだろうな。



2本目、《空気人形》。

湯豆腐や いのちの果ての うす明かり

久保田万太郎の句を思い出した。



代用品の人生。

このくだらない世界が美しく見える一瞬。

ろくでもない日常がたまらなく愛おしい。



「みんな、カラッポ」なんだ。