迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

コレクション癖

2007年06月28日 | 旅する。
6月某日

とくに収集癖はないと思うのだが、旅にいくと一応、その土地の料理の本は買ってくる。

そういうわけで、台湾料理(中国語と英語の併記)と沖縄料理。

外国語のレシピってのは、まったく知らない言語でも以心伝心わかるときと、単語の意味は調べられても実際の手順がまったく想像できないときがある。この分野の翻訳は、けっこう難物なのかもしれない。

(昔、アリス・B.トクラスの有名な料理本の邦訳が出たとき、あまりにレシピ部分の訳が拙くてamazon.comで原書のペーパーバックを買ってみたことがあったなあ。あの訳文の読みにくさは、誤訳とか以前に「アタマでわかる」と「手が知っている」というレベルの違いへの洞察力があるかどうか、ということに起因するかと思う。こう書いていて、ものすごく伝わりにくい気がするが、いろいろしがらみもあるので)

なにはともあれ、これも台湾で買った高山烏龍茶を飲みつつ、これらの料理本を開いて台湾原住民の音楽などを聴く午後である。


さくらんぼ

2007年06月25日 | 食べる。
6月某日

どこからか、さくらんぼが届く。ちなみに、ウチは農家でもないし、親戚にも知り合いにもさくらんぼ農家はいない。

しかし、この季節にはお裾分けなのか、おつきあいなのか、さくらんぼはやってくる。まるでヒトゴトですみません。

佐藤錦は甘く、かよわく、たおやかな果実で、アメリカンチェリーとはまったく別次元の食べ物なので、高価ですけどみなさんよろしく。

ただ、私は甘さと酸味のバランスが取れていて、やや歯ごたえのあるタイプが好みである。たとえれば勝ち気で芯は強いけれど、心根は優しいというか。

いえ、フルーツの話ですよ。誤解のないように。


慰霊の日

2007年06月23日 | 旅する。
6月23日

今日は沖縄慰霊の日だ。
ウチにある沖縄戦関係の本を並べてみる。

少しずつ読んでいく。

本土に生まれたというだけで、なにか後ろめたい気分がするのは、「沖縄病」の症状のひとつらしい。

しかし、少なくとも歴史を学び、事実を知ることは義務のような気がする。

さもないと、「きれいな海」「エキゾチックな食べ物」「優しい人々」などなどをただ沖縄から貪り消費するだけの存在に成り下がりはしないか、不安になる。

……六〇年経っても沖縄にこれだけ米軍基地を押しつけ、なおかつ自衛隊の強化も進めながら、それを他人事のように眺めている日本人とは何なのか。自分たちがやっている沖縄への差別には目をそむけ、そのくせ沖縄の音楽や芸能、自然、食事を楽しみ、「沖縄大好き」とまで口にする、日本人の神経構造はいったいどうなっているのか。
……
(目取真俊『沖縄/地を読む 時を見る』世織書房)

こうした批判に、おそらく沖縄にとってよき理解者であろうとする者ほど、心穏やかではいられないだろう。

しかしまた、同書ではハンセン病に触れた一編で、こうも書いている。

……自分の内なる差別と偏見を克服するためには、何があったのかを知ることが、まずは大切なのだから。




島尾敏雄一家

2007年06月22日 | 旅する。
6月某日

せっかく奄美大島と加計路麻島に行って来たので、島尾敏雄、ミホ、伸三、マホという方々の本を並べてみた。探せばもっとどこかにあるはずだが、今回の旅に持っていったり、向こうで買ったものだけをとりあえず。

映画「死の棘」も評判はよかったんだが、未見。そのうち、だな。ちなみに、私のかつての上司(というか、ギョーカイでは有名な人だが)も出演されております。

ジャンといえば…

2007年06月21日 | 旅する。
6月某日

ジャンといっても競輪の「ジャン!」ではない。調味料の「醤」、豆板醤の「醤」である。

台湾で買ってきたのは沙茶醤とX.O.醤のニューバージョンのような醤。
それに石垣島のピパーチ(しま胡椒)。

とりあえず、使う前に撮影してみた。


各駅停車の憂鬱

2007年06月20日 | 旅する。
6月20日

本日の旅程(JR乗車券;6090円)

13:56発
横浜(神奈川県)

湘南新宿ライン快速
16:01着
宇都宮(栃木県)
16:10発

17:01着
黒磯(栃木県)
17:05発

19:04着
福島(福島県)
19:08発

19:55着
米沢(山形県)
20:40発

某駅

各駅停車の旅は楽しい。でもしんどい。

今日は半日で短いからまだいいものの、丸1日中ずーっと普通(または快速)列車に乗り続ける元気は、せいぜい2、3日しかもたない。

何が大変かといえば……

1) 座席

山手線や中央線のような対面式シートに座って1日過ごすのは、好きですか?

新幹線や特急列車のようなリクライニングシートでも、3時間をこえると疲れませんか?

ちなみに、今日は横浜から福島まで対面式シートであった。だいたい5時間、これくらいならなんとか腰も痛まない。

それでも座れればましな方で、首都圏や京阪神ではラッシュ時を避けても立つことは多い。座席指定なんかないわけだし。

例外は《ムーンライトながら》や《ムーンライトえちご》などの夜行快速の座席指定(ただし、リクライニングなしの普通席)だが、私は夜はちゃんと横になって寝たいので、最近は使ったことがない。

2) 乗り換え

各駅停車は、長距離を続けて走らない。湘南新宿ラインを大船から宇都宮まで乗っても3時間くらいで、これでも相当長い部類になる。

たいていは始発駅から終点まで1~2時間程度なので、当然頻繁に乗り換える。そのたびに荷物を担ぎ、階段を上って下りて列に並び、席を確保する。

いや、これはそれほど苦にならないんだが、嫌なのは睡眠がきれぎれになること、というか、おちおち寝ていられないことなんである。

普通列車は特急列車や新幹線と違い、遅延や事故があっても、あまり配慮してくれない。自力でなんとかするしかない。

だから、乗り換え駅で切迫した声でアナウンスがあると、緊張して聞いてしまうわけなのである。

3) トイレと飲食

普通列車には、原則的にはトイレはない。もちろん車内販売もない。途中駅の停車時間も、ごく短い。

ゆえに、乗り換え時に計画的にやるべきことをやり、買うべきものを買う。これを怠ると大変なことになる。

通常、列車の乗り継ぎは時刻表に基づいて精密に組み立てられているので、途中下車して次の列車で、などと悠長にやっていると目的地にたどり着けない。

もしも悠長に旅したいなら1日の移動距離を短くしておこう。なお、なぜそれほどまでにして精密に旅程を組むかといえば、1日あたりの移動距離を稼ぎたいからで、それは18キッバーの性癖なんである。

さて、「飲み食いなんて乗りながらでいいじゃん」と思ったあなた。あなたは正しい。しかし、山手線のような対面式シートで駅弁を食べる蛮勇は(まだ)私にはない。

4)……もういいか。

さて、こう長々と書いたのも、どうやら長距離各駅停車の旅がどういうものか、全然イメージが掴めていない方々がいらっしゃるようなので。

JR各駅停車とは、中国あたりで2泊3日列車に乗り続けるのとはまた、まったく違うジャンルなんである。

こんな各駅停車の旅よりも中国で寝台車に乗る方がよほどラクだと思う。硬座ならともかく。




六本木のバベル

2007年06月18日 | 映画や音楽や舞台や本とか。
6月18日

神保町へ。

「タッチダウン」のバックナンバーや自転車旅行の本などを買う。

「バベル」を見にシネマアート六本木へ。月曜日は男性1000円。探せばこういう割引はけっこうある。ちなみにMOVIX本牧は火曜日男性1000円。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の作品は「アモーレス・ペロス」と「21g」を見ているが、いずれもいくつものストーリーが絡む複雑な構成と、いのちのやり取りをするような重い主題が印象的だった。

今回の作品もその路線は同様で、序盤に衝撃的な「事故」が起きるのもまた同じ。

ただ、主題は「いのち」から「家族」あるいは人と人との「絆」へと比重を移しているような気がする。

好みとしては、断然「アモーレス・ペロス」だ。あの凄まじいまでのパワーが、だんだんソフトになり、分かり易くなってきているのは、成長なのか妥協なのか。

まあ、私はもともと完成度よりも勢いのある作品が好きなので。




Die Sonate vom Guten Menschen

2007年06月12日 | 映画や音楽や舞台や本とか。
6月12日

本牧で「善き人のためのソナタ」を見る。

旧東独の秘密警察の監視官がなぜ、ターゲットを庇い、虚偽の報告までするのか?

「転向」、あるいは「転び」はすでにさまざまなところで題材になっている。

しかし、それは「力」を持っている側が、弱い者を痛めつけ、「力」を持たない側が「転ぶ」構図だった。

江戸幕府がキリシタンを、戦前の特高が共産党を、ナチスがレジスタンスを。

しかし、この映画では逆なのだ。権力を持つ者がなぜ?

自殺者への同情?
女優への愛情?
芸術に感動した?
自由と民主主義に目覚めた?
権力の腐敗に嫌気がさした?
気まぐれ?

主人公が徹底的に無口で無趣味で灰色そのもののような生活を送っていること自体が、あるいはその答えであるのかもしれない。

映画では、まったく説明しない。

理由が明示されない無償にして危険な行為に、果たしてリアリティがあるのか? 観客は納得するのか?

私は、映画製作者たちは賭けに勝ったと思う。

そして、それは恐らく、現在のドイツ人が真剣に願っているからではないだろうか。

どこの国でも、いつの時代でも、どんな体制のもとでも、人間らしい気持ちが生きていてほしいと。

この映画が描いたのは、今からたかだか二十数年前から十五年前にかけての、最近の物語なのだ。


キングギドラ(?)と琴

2007年06月08日 | 映画や音楽や舞台や本とか。
6月8日

中野のuna camera liveraというスペースで琴とライブペインティングのイベントがあったので、出かけた。

分かりやすく言えば、月光荘のPちゃん、すどうPゆうじとバチコこと森川浩恵のコラボである。

そういうわけで、懐かしい人やその友だちと楽しい一夜になる。

柱(じ)を飛ばすのもまた愉しからずや。

その後、月光荘風の飲み方を中野でも実践する。

すなわち朝まで飲み、倒れた者から寝る。



竹からウマ

2007年06月08日 | ただの日常。
6月8日

代田橋駅から北へ、甲州街道を越えると、世田谷区から杉並区に入る。

〈沖縄タウン〉は、杉並区和泉商店街の生き残り策らしいが、そこに噂の三線屋がある。

〈とぅるるんてん〉で三線を眺めていたら、強く勧められたので、三線を試し弾く。

お茶や黒糖をご馳走になった上に、買おうと思って尋ねた消音ウマをその場で作ってくれた。

「これ、持っていきなさい」
「おいくらですか?」
「いらないよ」

屋我地島出身の、粋なじいじだった。




余波

2007年06月07日 | 食べる。
6月7日

横浜居候生活なので、時にはリクエストに応じて、まともな料理を作る。

そういうわけでハンバーグを人数分作り置き、空豆入りクリームスープを添える。

姉は某社会情勢の大波をまともに受けて残業と休日出勤の嵐に巻き込まれている。



消えていく過去

2007年06月02日 | ただの日常。
6月2日

西荻窪の馴染みの店が、ビル解体に伴って移転した。

5月に最後の営業日を迎えたのだが、旅行中で行けず、波照間島から絵はがきだけ出した。

新しい店は、前の場所にほど近いところなのだが、しばらく探した。花だらけだろうからと、丈夫そうな観葉植物を知り合いの花屋さんから薦めてもらい、持って行った。

半地下の、前よりは狭いかもしれないがむしろ落ち着く空間に、懐かしい面々が続々と顔を揃えていく。

思えば私にはもはや思い出のよすがとなるような建物がほとんどない。

小学校は改築され、中学校は統合され、高校は郊外に移転し、大学は老朽化で建て替えられた。

自分が育った家は自分で壊したし。

過去は振り返るもんじゃない。

過去は消えていくわけではない。

ただ忘れていくだけだ。