迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

フィリピン・台湾 DAY 05

2010年10月28日 | 旅する。
DAY 05

10月28日 水曜日 プエルトプリンセサ

世界遺産の地下河川を見に行く。



楽をしようとツアーにしたが、サバンに着いたら高波で船が出ない、という。地下河川の入り口にはバンカーボートで15分だそうだが、陸路をトレッキングで行くと2時間半、往復5時間。

返金はないし、ジャングルで猿も見られるし、とピクニック気分で歩き出す一行だったが。




やがて雨が激しくなり、泥だらけの道は滑る、滑る。ピークをひとつ越え、もうひとつ越え、息も絶え絶えになりながら、ようやく地下河川入り口に到達。

ここで、まずはランチ。





ミズオオトカゲが何気なく歩いている。






そして、これが目的の地下河川。





帰りは、さらに悲惨な道程になった。やまない雨で坂道(というか崖)は危険なほどスリップするため、よりフラットな、しかし距離の長いルートをとる。しかし、そこはあまり使われていないようで、道標もないほとんどケモノ道。さらに、他のツアーやツアーでない客も含め、子どもや年配の人まで集めてみんなで帰ることになり、隊列は非常に長く伸びてしまった。

まあ、ひとりで歩いた私なんか、前にも後ろにも人がいなくて「遭難」かと思ったが、どーにか先頭グループに追いついて最初に帰還した。もはやたそがれどころか夕闇の時間で、ガイドたちは「レスキュー!」と叫びながらジャングルに迎えに走っていた。

その後のことは、あらためて。



(以降は写真のみで)


フィリピン・台湾 DAY 04

2010年10月27日 | 旅する。
DAY 04

10月27日 水曜日 マニラ→プエルトプリンセサ

近所の屋台みたいな店で朝食を頼んでみる。豚の三枚肉に野菜炒め、ライスで80ペソ。それがいいのだが、100ペソで払うとおつりが10ペソしか返ってこない。マニラでは、どうもおつりを少なく払うのがひとつの流儀なのか?



海遊び用に、安いサンダル(つまり、クロックスもどき)を買う。これが、なかなか活躍してくれた。



昼に宿をチェックアウトして、タクシーで空港(domestic)へ。宿のオヤジが拾って交渉してくれたのだが、150ペソ(約300円)。このへんが相場か。

さすがに昼は渋滞していて45分かかった。空港ではおせっかいというかフレンドリーというか、「セブか?」「奥さんはフィリッピーナ?」「初めて?」「ひとり?」と詮索がやかましい。

チェックインでは「medical history?」を尋ねられたが、それはついに300箇所以上になった虫刺され(たぶんダニ)痕のせいだろう。



セブパシフィックよりも安かったゼストに乗ること1時間、パラワン島へ。






空港からトライシクルと交渉して市街地に入り、プエルトペンションでシングル945ペソ、最後の一部屋を確保。





夕日を見ようと西へ歩く。が、港はどうも立ち入り禁止のようだ。ダメもとで、警備員に「サンセットを撮影したい」と訴えたら、なんとOKになった。





夕暮れの街を歩き、こじゃれたレストランを避けて安食堂にはいってみる。






フィリピン・台湾 DAY 03

2010年10月26日 | 旅する。
DAY 03

10月26日 火曜日 マニラ

宿替えをしようと思い、散歩がてら訪ねるが、ぞんざいな対応だったり、値上がりしていたり、時間が早過ぎたりでうまくいかない。

マラテ教会に入ってみる。とくに観光スポットでもなんでもないのだが、平日の朝から真摯な祈りを捧げる人たちがたくさんいて、心清まる思いがした。



今日は南へと歩く。公園、動物園を見ながら、屋台が多くなったなあ、と思ったら市場だった。



今日の宿はマビニ・ペンションに決めた。1200ペソと安くはないのだが、日当りのよさと清潔さが決めて。虫刺されの痕は腕から両足、首筋に広がって100箇所以上になってきた。ダニ刺されはアレルギー反応でもあるらしく、触ったり、暑かったりすると不意に痒くなる。



宿のオヤジと話したり、街を偵察して、結局小さなカウンターの旅行社でパラワン島への往復を確保する。明日27日にプエルトプリンセサin、11月2日にブスアンガout。

パラワン島では両替レートがあまりよくなさそうなので、昨日と同じ両替屋でまた2万円をペソに換える。



マビニ・ペンションでは無線LANが使える、ということなのでiPadでつなげてみる。速くはないが、使える。長期滞在らしいアメリカ人のおじいちゃんもiPad使いらしく、ちょっと話をする。



午後はランチのあと、またリサール公園、イントラムロスを抜けてサンチャゴ城塞へ。

独立運動の英雄、リサールが収監されていた独房などを見学する。





城塞の上からは、パッシグ川ごしに高層ビルが立ち並ぶチャイナタウンが見えた。

さらに歩いて、そのチャイナタウンへ。

そしてキアポ教会前は上野のアメ横のように賑わっていた。

高架鉄道で帰るが、とんでもない混雑で、しかも降りる人のために道をあけるとかのマナーがないので、さらに混乱していた。アジア的混沌は、ここにも。


フィリピン・台湾 DAY 02

2010年10月25日 | 旅する。
DAY 02

10月25日 月曜日 マニラ

宿を出た途端に、物乞いの少年ふたりに襲われた。

とびきりの笑顔と、哀願する目と、つかまえて離さない構えの手。

道の向かい側にいた警備員が追い払ってくれたが、なかなか油断がならない。



いつものように、路地を探索。なぜか、店が休みのところが多い。実は旅行代理店をさがしているんだが、ほとんどがクローズド。

両替、マッサージ、タバコ、時計、バイアグラ、さまざまな客引きが待ち構えている。



通りの向こうに海が見えた。



ロハス大通りを横切ると、海沿いの遊歩道になっていた。

カレッサ(馬車)の客引きが、「50ペソ、20分だけでも」としつこいが、相手にしないでいたら、「写真だけ、サービス」というので、ついつい乗ってみた。すると、頼んでもいないのに走り出し、止めろといっても止めない。

仕方がないので、自分で御者の肩越しに手を伸ばして手綱を引き、馬をなだめて止めて降りた。



こんなときにかつての馬経験が役に立つとは。後で客引きが「50ペソ!」と図々しく請求にきたが、「サービスって言ったろ。20秒も乗ってないし」と、はねつけておいた。



北へ行き、リサール公園を抜け、イントラムロスに入る。





カサ・マニラ博物館、マニラ大聖堂とマニラがメキシコ・中国貿易で栄えた時代をしのぶ。





世界遺産のサン・アウグスチン教会。





ランチ。両手、両腕に虫さされのような痕が多数できていた。かゆみはそれほどなく、蚊に刺されたにしては痕が小さく突起していて、お椀状に腫れてはいない。直感的に(ダニ?)と疑ったが、旅行に支障をきたすようなかゆみも痛みもないので、放っておく。

レートのいい両替屋を見つけて2万円を両替。



宿で休んで、有名なマニラ湾の夕日を見に出かける。





馴れ馴れしく
「ホテルボーイ!」
と声をかけてくる輩がいる。

どうしてオレがホテルのボーイなんだ? と不審だったが、どうやら
「(I'm a) hotel boy!」
ということらしい。

例の知り合いを装って金を巻き上げたり、ぼったくりの店に連れていったり、はなはだしくは睡眠薬をのませて身ぐるみをはぐ詐欺のたぐいだ。
「ほら、キミの泊ってるホテルにいたボクだよ、今日は休みなんだ、マニラを案内するよ、……」
「日本に妹がいるんだ、いろいろ教えてくれよ、……」
「おいしいシーフードの店に行こう、おごるよ、そうだポーカーでもうけないか? ……」
などと、流れるはずなんだが、あいにくボクはホテルに泊まっていないし、今のところ会ったスタッフは女性だけ、第一、その英語は間違っている。

この「ホテルボーイ!」男には、同じ日にもう1回、声をかけられたが、その第一声では、相当鈍いやつしかひっかからないと思われる。

遊歩道にはデートのカップルや、犬の散歩や、朝に比べれば普通のマニラ市民もけっこういたが、観光客も当然多く、つきまとう物乞いの子どもも多かった。



マラテ界隈まで歩き、どうやら今日はバランガイ選挙の投票日で公休日であったらしいことがわかってくる。ううむ、それは予定外だ。しかも、アルコール類は販売禁止。



夕食に適当なところをさがしているうちに豪雨になり、雨宿りに入った中華料理店で食べてみる。イカのフライに鴛鴦炒飯のそれぞれSサイズを頼んだのだが、SというよりはXLサイズのボリュームだった。





到底食べきれず、残りは持ち帰って明日の朝食になったのであった。


フィリピン・台湾 DAY 01

2010年10月24日 | 旅する。
DAY 01

10月24日 日曜日 横浜→羽田→関空→マニラ



羽田からスターフライヤーとANAの共同運航便で関空へ、関空でセブパシフィックに乗り換えてマニラへ。



時差が1時間ある、ということを機内で知る。ほんとうに何も調べず、何も準備していない、このていたらく。

機内でガイドブックを読んで、おおよその旅程を組み立ててみる。



マニラには22時半ごろに着き、バカ高いのを承知でクーポンタクシーなるものに乗ってみる。530ペソ、約1000円。わずか15分でエルミタ。ほとんど公認ぼったくりのような価格設定である。

サントスペンションハウスでシャワートイレ付き個室734ペソ、ACありに即決。これが実は苦難の始まりだった。

セブンイレブンでTVディナーのような冷凍弁当や水を買う。マニラ初日は、手探りのまま。



近況

2010年10月24日 | 旅する。
10月24日 日曜日 横浜

さて、最近は。



21日 木曜日
渋谷のライブへ。

時間があったので、アップルストアに寄ったら、入荷したばかりのMacAirがあって、触ってきた。軽い。まだディスプレイもしていない、出したてに物欲が全開しかかる。



10月22日 金曜日
大塚で飲む。

沖縄つながりで、芝居の後の飲み会に参加。芝居は古代ローマのマルクス・アウレリウス・アントニウス帝とその息子の愚帝の時代、つまりリドリー・スコット《グラディエーター》とかなり重なるらしい。(ちなみに、観ていない)

まるっきりコメディだとばかり思い込んでいた。

深謝。



10月23日 土曜日
西荻窪で飲み会。

この日も沖縄つながりで飲む。いつもの某所で懐かしい顔にいくつか会えた。多謝。

知友の写真集に、継続とか蓄積とか年輪とか変わらぬ芯のようなものを思う。

尊敬できる仕事、それを成し遂げる畏友をもつ幸せ。



10月24日 日曜日
横浜→羽田→関空→マニラ

そういうわけで、関空までANAで飛び、関空からマニラまでセブ・パシフィックで飛ぶ予定。

今回もいろいろ義理を欠きまして、失礼いたしました。



ちなみに帰国は11月16日、京都に寄って首都圏には11月18日か19日ごろから、11月20日は知人の結婚式に出席予定です。



11月下旬には久しぶりに南伊豆、下田方面に遊びに行きたいものですが、関係各方面のみなさま、ご都合はいかがでしょうか?



さらに12月は11日に沖縄で結婚式に出席するため、12月9日から12月23日まで沖縄に滞在する予定です。



来年は……?

カメラがやってきた。

2010年10月21日 | ただの日常。
10月21日 木曜日 横浜

実は先週10月13日水曜日に沖縄を離れ、本土に来てました。

報告が遅れてすみません。

この間、17日(日曜日)には上野に行って旧岩崎邸を見たり、水上音楽堂でジャワ舞踊に浸ったり、思いがけない再会をしたりしておりました。

関係者のみなさまに多謝。

さて、10月24日(日曜日)からフィリピン、台湾へと出かける予定ですが、なかなか準備が始動せず。

とりあえず、いま常用のデジカメRicoh GR digitalがADJボタンに触るとフリーズするようになり、ついにレンズ内に無視できないゴミが二つ以上確認されてしまい、こりゃあまずい、と新しいカメラを物色しておりました。

GR digitalはたぶんインドで、その前に使っていたRicoh Caplio GXはブルガリアあたりで同じようにレンズ内にゴミが入ったらしく、やはり旅カメラはどんなにタフでも寿命が短いと思い定めて、実売2万円程度で使えるカメラを探すことにしました。

で、いろいろ検討して同じRicohのCX3に狙いを定め、ネットや量販店を回り、ネットのソフマップ中古でブラックを18300円で見つけ、3年保証1000円を付けて購入。

本日、届きました。



と、とりあえず報告です。