迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

そして北へ。

2009年12月29日 | 旅する。
12月29日 火曜日 横浜→山形県某市



………というわけで、北上中です。

ただいま黒磯。



インド・ネパール旅行から帰国後、姪が新型インフルエンザを発症してしまい、看病というか外出しないように監視する係りをしておりました。



多方面で不義理を重ねておりますが、年内はもう田舎に引っ込みますので、失礼ながらここでご挨拶を。



みなさま、よいお年を。

インド・ネパール第39日~第41日 アフマダーバード、ムンバイ

2009年12月16日 | 旅する。
DAY39
12月14日 月曜日 アフマダーバード(→ムンバイ)

朝食、のちチェックアウト。

リクショーで駅まで行き、ミナレットが2本立っているシディーバシールモスクへ。英語も場所も知らないドライバーに道を教えながら。

少し散歩して、今日のメインの階段井戸のためのリクショーを交渉。最近は観光よりもこの交渉の方が真剣勝負でやりがいがある。

本末転倒か。

いやまあ、これも旅の醍醐味。

しかし、英語はともかく、ツーリストが少ないのか、観光ポイントを知らない。どーにかダーダーハリ、アダーラジ、ジャイナ教寺院の3つを回って300ルピーで出発。

なぜか最初にジャイナ教寺院。聞けば、ドライバーはジャイナ教徒だった。

ダーダーハリでは、ヒンドゥーの井戸に着き、ここではない、と言うと近所で聞き込みを始めた。

来たことがなかったらしい。

無事に目的の階段井戸に着けば降りて一緒に見て回る。ガイドではなくて、ただの一緒に観光である。

さらに遠くのアダーラジでは、もちろん場所を知らなくて、しかしまあ小さな村でそうそう迷うわけもなく、あっさり見つかってまた一緒に見て回る。





支払いの段になって500ルピーのお釣りに150ルピーだけくれて、にやっと笑う。ジャイナ教徒は商売上手なのである。

細かいお金の持ち合わせのなかった私の完敗。しかし、気持ちのいいドライバーではあった。350ルピーはちいと高いとは思うが。

昨日のレストランの隣で、同様にターリーを食べる。

散歩してネット屋を探す。ウェイティングまでしたが日本語は読めもしない。

少し近所を歩いてみたが、あきらめてホテルへ。

ホテルにはビジネスセンターがあり、半時間30ルピーと高いが背に腹は変えられない。ホテル内なので環境はいいし、結局4時間もネット。

しかし、日本語は読めるが書けず、迷ったがブログも英語でエントリーしておく。

駅にはホテルの車で送ってもらうサービスを利用。大名気分、いやマハラジャ気分というべきか。

ムンバイ行きの夜行はアフマダーバード始発なので遅れることもなく、静かに出発。



DAY40
12月15日 火曜日 (アフマダーバード→)ムンバイ

ムンバイには50分遅れで着いた。

ホテル難のムンバイで、またホテル探し。セントラル駅近くのYMCAを狙っていたのだが、例によって道を聞いてもほとんど間違っているインド人に翻弄され、結局じいさんの運転するタクシーを拾うがYMCAは満室。

タクシーのじいさんに任せて、グラントロード駅近くのホテルに700ルピーで部屋を確保。他都市ならこの値段でかなりいい部屋を取れるが、ムンバイでは裏町の安宿でしかない。まあ、取れただけでめっけもん。





近所でランチ、あまりにも塩気の多いチョウメン(中華炒麺)に辟易。

ドクターバウダージラッド博物館、旧名ビクトリア&アルバートミュージアムにタクシーで行く。ムンバイは移民が多く、タクシードライバーは英語も地名も場所もわからない。仕方ないので、バイキュラ駅の北東と説明し、通りを走っていたらそれらしき建物が見えたので止める。料金交渉はメーターから換算表があり、相場がわかればそうそう困らない。

ムンバイはヒンドゥー保守の州政権下で改名が多く、それも名前が長いので困る。

博物館のあとはバイキュラ駅から4ルピーでCST駅へ、また一周して撮影する。

戯れに歩く。本屋を見つけ、料理本を買う。プラオとブリヤーニの作り方。

さらに歩くが、あまりの暑さに疲れ果て、手近のカフェへ。ピザなんて食べるが、水1Lが60ルピー、しかもメニューに載せていないという策謀にひっかかり、かなりショック。インドをこれだけ旅しても、こんな高級そうな店でも、油断ならない。

日没が迫ってきた。

フォート地区の古い建物に目を奪われながら、マリーンドライブまで歩く。

きれいな夕日が海へと落ちていく。

なんだが、水平線近くはガスがかかっていて靄のなかに夕日が消えてしまう。

チャーチゲート駅近くからタクシーを拾うが、ホテルのアドレスでも地図でも場所がわからず、たまらずに途中で降りて歩く。

なんだかオリエンテーリングみたいで、少し楽しい。それらしき一帯をジグザグに探索してホテルに到着。



DAY41
12月16日 水曜日 ムンバイ(→成田)

インド最後の朝。

観光の予定は何もない。

朝食はグラントロード駅の近くで、マトンキーマフライとチャイ、32ルピー。

帰国用に荷物をまとめ、ホテルに預けて、グラントロード駅からチャーチゲート駅へ。もう節約する必要はあまりないのだが、気持ちいいので歩く。ここからコラバまでは旅行の最初に歩いた道で、なんだかセンチメンタルジャーニーみたいだ。

あの美術館、あのカフェ、あの銀行、あのジュース屋台。

見覚えがある。当たり前だが。

スーパーでガラムマサラなど数種のミックススパイスを購入。

通りを歩いて、時々冷房の効いた高級ショップで涼む。

カフェモンデガーでカプチーノ。





インド門、タージマハルホテルまで歩いて回る。

物売り、靴磨き、物乞い、自称ガイド。

最初のインドと最後のインドがムンバイだったのは、気まぐれというより必然だったような気もする。

さまざまな宗教、言語、ファッション、フード、文化、民族がフュージョンされて昇華した都市。



半時間で40ルピーと記録的に高いが日本語が打てるネット屋から、とりあえずまもなく旅は終わる、というご報告です。



ちなみに17日朝に成田空港に着く予定。


インド・ネパール第36日~第38日 ウダイプル、アフマダーバード

2009年12月13日 | 旅する。
DAY36
12月11日 金曜日 (ジョードプル→)ウダイプル

arrived Udaipur in the early morning, took a small and good room at Old City for 650RPs.

in the Old City, which is a mess of complicated routes, I almost got lost, but suddenly found the city palace.

museum, garden, boat ride and looking floating palace on the lake.







and back to the maze of hotels and shops, enjoyed wondering around lake, then sun goes down every tourist gazed sunset on the lake.

Udaipur, was a city of Maharaja, now is a city attached to the lake.



DAY37
12月12日 土曜日 ウダイプル(→アフマダーバード)

a roof-top restaurant, walking through a maze, and a roof-top restaurant again.

bought a small miniature at a painters workshop, went a Folk Art Meseum and saw a puppet show there, and emjoyed a small garden with many fountains.





sightseeing is somehow coming in vain, maybe my personal feelings, anyway there's nothing to do except internet, beofre departure of the night train to Ahmadabad.





DAY38
12月13日 日曜日 (ウダイプル→)アフマダーバード

in Ahmadabad, every hotel is full.

after walking search for a room, I hired rickshaw, but failed to find a room, only one room.


after more than 20 hotels, finally found a room with incredibly high price 2500RPs.

but no choice except here, discounted price gonna be 2275RPs including tax, I made a decision to stay.

large and well-equiped room with free breakfast and airport pick-up/drop-off service.

sleeping is my first priority, a few places to visit, stay slow and relax here.

after free breakfast, walked to Old City and paid visits to some mosques, tasted cheap and nice thali, exhausted by heat and too much walking, came back to hotel in early afternoon.





stay easy, don't waste my power.

then, took a rest and made notes of my journey.

tommorow night, I will go to Mumbai, that means an end of my journey, so sad.


インド・ネパール第33日~第35日 プシュカル、ジョードプル

2009年12月10日 | 旅する。
DAY33
12月8日 火曜日 プシュカル

朝の散歩でブラフマー寺院へ。

靴預けで、どーしても店で預けろとうるさいオヤジが、応じないと(ちゃんと別に靴置き場がある)今度はカメラを預けろ、と言ってきた。本当に撮影禁止かはわからなかったが、めんどくさいので預けて引き渡し証を作らせた。

寺院自体は小さいが眺めのいいところで、さて帰ろうとカメラを引き取ったらデポジットのチャージをよこせ、その時計がいい、とわけのわからない事を言い出した。

レベルの低いぼったくりで、あほらしいので1ルピーコインを渡してサヨナラしたら、しばらく後に野犬の群れに襲われた。

野犬とはいえ、何もしないのに襲うことはないので、くだんのぼったくりオヤジがけしかけたのだろう。まあ、素人のやることで襲うとはいっても噛み付かずに囲んでじゃれるようにするだけなので、慌てずに
「ステイ!」
と気合を込めて落ち着かせる。

こんなことでパニックになってアイツらを喜ばせてはいけない。それにしてもやることがガキ以下で、かえって情けなくなる。

戯れに湖を一周。干上がっているので、本当は湖底とおぼしきところにも道が通っている。

アジメールバススタンドに出た。





気まぐれに北側の街道へ。湖を離れるにしたがって、ところどころに砂丘があらわれ、まるでバグダッドカフェのような荒涼とした世界が広がる。ここになぜか、ピンクフロイド・ホテル&カフェがある。

道端で揚げていたパーコーラーがおいしそうだったので、アールー(じゃがいも)2つと何かわからないが豆っぽいい小さなものを500g。

34ルピーも請求されたが、それはないだろう、と結局25ルピー払う。

チャイ屋で朝飯、アールーはサモサの中身のようにスパイシーで、小さな豆と思ったのはししとうと唐辛子だった。

かなり辛くてチャイを2杯、こちらは1杯5ルピーの明朗会計で10ルピー。

これからはここのチャイ屋をひいきにしよう。

いったん宿に帰って休憩、明るいうちからインターネット。なにしろ、夜は込むのだ、スカイプで電話する連中が時差の関係で夕方から夜に集中するので。

しかし、ネット接続がダウン(またあのチャイ屋で休憩)、停電(1時間書いていたブログが消えた)、と災難続き。3時間以上かかってしまった。

明日朝のジョードプル行きのローカルバスのチケットを購入、5時間走って150ルピー。

念のために、ひまだし、バス乗り場まで散歩。宿から歩いて5分だった。

遅いランチはルーフトップレストランでプラオとラッシー。

そして今日のメイン、サヴィートリ寺院への登山を開始。夕暮れが絶景らしいのだが。

登り口で降りてきたインド人カップルに聞けば
「最低でも45分はかかる」
と言われた。

ほう。とにかく歩き出す。距離はともかく、頂上を見ると萎えるほど傾斜がきつい。

10分後、西洋人カップルに聞くと
「あと20分くらいかな」

けっこういいペースか。

さらに15分歩く。

インド人のおじさんに
「ここまでどれくらいかかった?」
と聞かれたので
「25分」
と答えると、
「not bad.」
とほめられた。

結局32分で頂上につき、寺院はともかくその裏のさらに高いピークに登頂して岩の上に仰向けに寝る。汗ばんだ体に風が涼しい。







宿に戻って昨日頼んだランドリーを返してもらおうとしたら、明日に、と軽く言われ、いや、朝6時に発つから今晩に、と強く言う。

ボスが店に電話して、使いの少年が走る。

が、この使いが「店が閉まってた」と、手ぶらで帰ってきた。

文字通りガキの使いじゃないか。しかも、マネージャーまで「明日じゃだめ?」と言ってきた。

アホか。朝が早いからいま、と頼んでいるのだ。なんとかせんかい。まずはボスに電話しなさい。

そういうわけで、結局ボスが自分で店にランドリーを取りに行き、事態は解決したのだが、問題の仕事ができない少年が「20ルピー」とチップをせびる。

状況をわかっているのかいないのか。

とにかく、お前のせいでボスの仕事が増え、客が困り、キミもボスに怒られただろう。お金がほしかったら、まじめに働きなさい。

If you want money, work hard.

そんなこんなで、今夜は説教で終わった。



DAY34
12月9日 水曜日 プシュカル→ジョードプル

朝6時、薄闇の中をバススタンドへ。ちょうどジョードプル行きのバスが来て、チャイで一息ついたあと、そのバスに乗り込む。

荷物ひとつ10ルピー、とまた根拠のない金をバス手伝いのガキにせびられるが、いいや15kg以下の荷物は無料だと払わず。チケット裏の注意書きを読んでおいてよかった。

バスは通学やら荷物運びやら近距離でも乗る本当のローカルバス。しかし、本当に5時間半でジョードプルに着いた。

例によってリクシャに囲まれるが、値段がどんどん下がっていく。最初から20ルピー、さらに10ルピー、5ルピー、2ルピーまで。

明らかにホテルからのコミッション狙いなので、値段関係なしに適当に乗る。

適当に降りて、最初に入ったところがやたら豪華で広く、それでいて550ルピー、600ルピー。400ルピーの部屋があって、そこに決める。しかし、もっと探せば150ルピーや200ルピーでいいゲストハウスがあったみたいだが。

ホテルの屋上レストランでランチを取り、少し休んで、ますはメヘラーンガル砦にのぼる。なかなか見ごたえのある要塞にして宮殿。さらにブルーシティを見下ろす景色もなかなかなのだが、空気が霞んでいる。たぶん、埃と排気ガスのせい。







明日ウダイプルに行く夜行のバスを探す。たまたま入った旅行社でスリーパーが240ルピー、それに決める。これで今回の移動はすべて確定、つまりどの街に何泊するかも確定。



どうやら今夜は結婚式があるらしい。

夕食は坂道を登って砦に近いヒルビューゲストハウス&レストランへ。たまたまおかみさんに会い、なんでウチに泊まらなかったの? と聞かれる。

すみません、手近ですませちゃいました。

たしかに、眺めはすばらしいところで、スタッフもフレンドリーだ。

旅行社からバスチケットを受け取ろうと歩いていたら、結婚式の行列に出会った。

楽隊、踊り、馬に乗った花婿、燭台の列、スピーカーと燭台に電気を供給する発電機、と行列はつづく。

花嫁は近くのヒンドゥーの祠で待っていて、セレモニーは花婿の首に花嫁が花輪をかけるところで記念撮影に。ちゃっかり便乗させていただいた。



DAY35
12月10日 木曜日 ジョードプル(→ウダイプル)

朝はジャスワントタダという墓廟へと歩く。

道を聞いたら、5kmと言われたが、近道の階段ではなく自動車用の傾斜のゆるい大回りの道で30分で着いたから、たぶん2kmというところか。

開門10分前の一番乗り。

周囲は赤茶けた岩だらけの広漠とした乾いた世界で、そこに白大理石で覆われた壮大なパレスのような墓と、噴水と緑の庭園が浮かぶ。なんだか別の次元がペーストされたような違和感。ちなみに、景色はすごくいいです。

下山して迷宮の街をさまよってホテルに帰り、チェックアウト。

朝ごはんは時計塔北門脇にあるウワサのチョウハンオムレツへ。

チーズオムレツ25ルピー、チャイ5ルピー、ヴィッキー特製のソースはなかなかうまい。彼はウワサ通り日本が大好きのようで、話がとまらない。

たぶん、いいヤツだと思う。

さて、夜行バスまでどう時間を過ごそうか。

マンドールまでローカルバスで行こうかとトライするが、満員のせいか乗れず、リクシャを拾う。

遺跡公園に入ったとたんに楽師につかまり、民族楽器で歌を聞かされる。で、その楽器を弾かせてもらう。

金属弦は10本ほど、西洋音階に調弦されている。弓で弾く弦はたぶんナイロン紐で、弓は馬のしっぽ、小さな共鳴胴はココナッツの殻にヤギの皮を張っている。

金属弦はたまに爪で順にはじくか共鳴させるだけで、主に短いナイロン弦を弓でこするのだが、フレットもなく弦をネックにつけることもなく、胡弓のように弦を指で強く押さえて弓で弾く場所を微調整して弾く。

弓には鈴がついていて、リズムを取ることができる。調性は限られるが、なかなか味な楽器で、案の定「買わないか?」と迫られるが、授業料として20ルピーでなんとかよろしく。





マンドールのあとはウメイド宮殿へ。ほとんどが高級ホテルになっていて、ガイドブックによれば1泊7万円ほどから、らしい。

ヴィンテージカーに虎狩り、エドワード朝様式の建築にアールデコの器。

時計塔に戻り、今度はサンライズゲストハウス&レストランのルーフトップレストランへ。

プシュカル以来、プラオやビリヤーニなどのライス系を食べ続けているのだが、ここはターメリックライスだった。他の例では、トマト味にほとんどドライカレーとか、けっこういろんなバリエーションがある。

ここも評判のいいゲストハウスらしく、またもや、どうしてウチに泊まらなかったのか? と聞かれた。



残りの容量が不安なSDカードを買い増しし、夕景を撮影するかとまた坂道を登る。

ヒルビューゲストハウスのおかみさんに、それならウチの屋上へと言われ、お言葉に甘えてみる。

刻々と変わる空の色。





チャイを頼み、することもなくぼんやりしていたら、結局たまたまここに滞在している日本人客と話し込む。毎日、子どもと遊んだりしている、という。

そんな余裕がほしいものだ。

さあ、9時だ。バスは10時15分に出る予定だ。ホテルで預けた荷物を請け出し、担いで歩き出したら、また別の結婚式に出会った。







インド・ネパール第30日~第32日 アグラ、ジャイプール、プシュカル

2009年12月07日 | 旅する。
DAY30
12月5日 土曜日 アグラ(→ジャイプール)

早朝、日の出前にタージマハルに行ったら、すでにチケット売り場に長い行列ができていた。「並ばずに入れるよ」とささやく自称ガイド、列に割り込むインド人、写真を撮るためにどけどけと言わんばかりの観光客。





たしかにすばらしい建築だが、この人間模様の方がある意味、勉強になる。

個人的には、左右対称に固執し過ぎて破綻がないのは、趣味ではない。

庭でぼーっとするのは気持ちがいいのだが、すぐに撮影の邪魔なのでどいてください、といわれるのが鬱陶しい。ちなみに、そんなに邪魔なポジションに座っているわけでは、ない、もちろん。

朝食を食べてホテルをチェックアウトし、荷物を預ける。

昨日ファテープルスィークリーにオートリクシャーを飛ばしてくれたラヒューと、アグラ城、スィーカンドラーと回る。おいしいサモサ屋、チンカーラウザー(タージマハル設計者とその兄弟の首相の墓、らしい)、イティマドウッダラー廟(ミニタージマハル)、最後にタージマハルを対岸から眺めるポイントで観光は終了。







ラヒューが懇願するのでショッピングに3軒回るが、宝石、サリー、銀細工にはまったく興味がないので30秒ともたない。

あとはネットとディナー、バススタンドまで送る、という予定なのだが、ここで終わり、とラヒューが言い出した。

それなら、500ルピーしか払えない。ショッピングに3軒つきあったんだし、バススタンドまで50ルピー余計にかかる。

ということで、ラヒューには納得してもらう。

しかし、約束の時間に来るはずのラヒューのいとこは来ず、別のリクシャと交渉する。

また80ルピーからはじめて50ルピーに値切り、バススタンドに着いたらちょうどジャイプール行きのバスが入ってきた。

22時過ぎ、ほぼ定時にバスは出た。予定通りなら、5時間でジャイプールに着いてしまうのだが。



DAY31
12月6日 日曜日 (アグラ→)ジャイプール

朝3時20分、本当に5時間余でジャイプールに着いてしまった。

客引きを振り払ってチャイを一杯。

歩いてホテルを探すがガイドブックの地図がデタラメでなかなかたどりつかない。15分で地図が間違っているのはわかったが、結局目当ての1軒目が見つかったのが1時間半後、しかも満室、2軒目を発見したのがその30分後、ここで650ルピーでなかなかいい部屋を確保。

ちなみに後で地図を検証したが、間違いというより創作に近いくらい、実際の道とかけ離れていた。

さて、部屋は見つかったがクリーニングするボーイが起きてくるのをロビーで待ち、部屋に入れたのは6時半過ぎ、とにかく横になって休む。

10時半過ぎに復活し、ホテルを出たとたんにつきまとうリクシャのドライバーに朝飯のレストランを聞く。

朝食の後、時間もないのでリクシャと交渉し、ジャイガル要塞をのぞいて300ルピーで妥結。ドライバーの名前はラジャ、軽いノリのヤツで、フワイノット? が口癖だった。

まずビルラー寺院、つづいて中央博物館。風の宮殿、水の宮殿は通り過ぎてアンベール城へ。

歩いてのぼり、わかりにくい順路を迷いつつ、なんとかハーレムまでたどりつく。

戻って水の宮殿を眺めるスポットへ。工房やアトリエのショッピングはカットしてシティパレスまでまっすぐ行かせる。

案の定、ここで終わるから300ルピー、と言い出した。旧市街からホテルまでは50から60ルピーが相場、とホテルで確認している。差し引き250ルピーだけ支払う。ラジャは30ルピーで拾えるとか言っていたが、まあその倍額が相場なわけだ。

急いでシティパレスに入るが、全然面白くない。入場料が300ルピーもするのに。100ルピーのジャンタルマンタルの方がずっと楽しい。

入場時間が過ぎたので、風の宮殿は外観だけ。





近くのLMBというドアマンがいる高級レストランへ。ラジャスターン・ターリーという特別料理を頼むが、333ルピーだから、まあ許される贅沢か。ミネラルウォーターに税金を加えても420ルピー。





さて、問題の帰りのリクショーだが、100ルピーとか吹いてきた。当然値切り交渉に入り、50ルピーで行ってもらう。帰りの道はドライバーに指示できるくらい、完璧に把握できた。さすがに早朝2時間歩き回っただけのことはある。自慢することじゃないか。

その後、念のためにホテルからジャイプール駅までの道を歩いて検証、徒歩13分だが交通量が多くて排気ガスもひどく、明朝はどうしたものやら。



DAY32
12月7日 月曜日 ジャイプール→アジメール→プシュカル

朝の散歩。シティバンクで現金を引き出し。有名な映画館のそばの有名なラッシーワーラーを探すが、なんと3軒も並んでいる。

とりあえず真ん中の店でサモサ6ルピー、スイートラッシーの大24ルピー。かなり濃厚なラッシーで、けっこう満足して歩いて帰る。





ホテルをチェックアウトして出たとたん、リクシャに囲まれる。駅まで60ルピーとか、それはぼり過ぎ。戯れに10ルピー! と言ったら、5ルピーとか言う。もはや冗談の領域らしい。何も言わないのに30ルピーまで下がったが、この客を客と思わない価格交渉が気に入らない。

荷物をかついで歩く。

ジャイプール駅の2番ホームで待つが、やはり遅延。さらにプラットフォーム3番に変更。15分遅れで着いた列車はデリー発アジメール行きで、ほとんどの客はジャイプールまでで降りるらしく、客車内はガラガラで、しかも汚い。インド人はゴミ箱にゴミを捨てる習慣がないらしい。

実はけっこう高級車両で、サービスでミネラルウォーターが1リットル、チャイにビスケット、新聞がもらえる。

さらに遅れて結局30分遅れでアジメールに着いた。駅からプシュカル行きバススタンドまではガイドブックによれば150mだが、実際には1500m以上あった。

オートリクシャに「歩く」と言ったら、首を振るか笑うかするのもうなずける。

まあ、2km以内は歩く主義なので、道を聞きつつ歩く。ジャイプールのバススタンドに来るツーリストのほとんどはプシュカルをめざすので、難なくプシュカル行きローカルバスに拾われ、席も確保し、9ルピー、35分でプシュカルへ。

プシュカルに着き、ホテルの客引きを振り払って湖めざして歩く。

プシュカルパレスという高級ホテル近くで湖を眺めるが、なんと干上がっていた。

ううむ。

バザールに戻り、150ルピーの部屋を見つけて即決。プシュカルには長期滞在の客が多いようだ。

さっそく散歩してみる。

愛想がいいのか、思惑があるのか、やたら声をかけられる。また、金くれとすごむ子ども、握手を求めてからバクシーシを求める女、ただまとわりつく子ども、各種の物乞い、客引き。





ヒンドゥーの聖地には物乞いが多い。また、巡礼の観光地だけにツーリスト狙いのいろんな手口があるようだ。

ガートに降りれば花の押し売り。

なかなかプシュカルも静かとはいえ、一筋縄ではいかない。

よさげなガーデンレストランでベジブリヤーニとスイートラッシー。勘定は85ルピーのはずだが105ルピーを請求したり、100ルピー札でOK? っておつりをよこさないし、もちろんちゃんと15ルピーのおつりはもらったのだが、ちっとも油断ができない。

ただ、ガートから眺める湖の向こうに見える夕日はものすごくきれいだ。これで湖水がきれいに張っていたら。








インド・ネパール第27日~第29日 デリー、アグラ

2009年12月04日 | 旅する。
DAY27
12月2日 水曜日 デリー

ニューデリー駅へ。どんなにすごい人ごみに客引きに詐欺師かと身構えていたら肩透かしのように、いつものインド。

普通に毅然とNO! と断っていればいいだけだ。

駅構内の本屋でインド鉄道の時刻表が買えたのが収穫。





いつもの癖で、どんどん歩く。駅からコンノートプレイスへ、結局一周してジャンタルマンタルへ。

例によってガイドが寄ってくるが、ノーサンキュー! 一言でもう来ない。なんだか張り合いがない。

シティバンクで少し現金を引き出し、コンノートプレイス内の地下鉄の駅でトラベルカードを買う。

バハールガンジに戻ってランチを食べて少し宿で休憩。

午後は地下鉄を使いラールキラーへ、歩いて南下してジャマーマスジットへ。ちょうど礼拝時間と重なって30分待つ。

おかげで夕日のきれいな時間をモスクで過ごす。





さらに歩いて帰ろうとしたら夕方のラッシュに巻き込まれ、道路を横断するのもままならない。

危うく遭難しかけたが、野性の勘で回り道することなく宿に戻った。

夕食を食べてから、時刻表を研究する。



DAY28
12月3日 木曜日 デリー

朝はニューデリー駅で列車を予約する。計4本の列車がなんとほぼ希望通りに取れた。あと7回の移動のうち4回分はこれで確定。

旅行の予定が固まると、安心するというよりも、なんだか自由が少なくなっていくような寂しさがある。





クトゥブミナールへ、バスに乗る。ローカルバスの505番、運転手に聞いたら行くというので、とにかく乗ってみたら、ほぼ終点だった。

デリー中心部からはかなり遠い、空港の近くの遺跡だが、実によかった。





ここからオートリクショーでフマユーン廟へ。

おなかが空いたので近くのモスク裏の路地へ。物乞いに追いかけられて逃げるように飛び込んだレストランが、ガイドブックに出ていたレストランだった。

物乞いにも職業的矜持があるらしく、食事が終わってレストランを出たら再び同じ物乞いに追いかけられた。ポリシーとしてバクシーシには応じないので、とにかく逃げる。

歩いてプラーナーキラーへ。

さらに歩いてインド門へ。

すでに夕暮れ。さらに地下鉄駅まで30分で着くはずが、まったく見つからない。例によって地図と勘でようやく探し当てる。今日も危うく遭難するところだった。





DAY29
12月4日 金曜日 デリー→アグラ

朝の仕事は、地下鉄トラベルカードのリファンド、駅に行ったら100ルピーから使用分を差し引いて75ルピーが返ってきた。

うれしくて、近所を散歩し、朝ごはんは12ルピーの立ち食いカレー。

わざわざ遅めの時間にしたアグラ行きの列車だが、その代わり3時間半かかる。早朝のいい列車なら2時間なんだが。

そして当然のように遅れ、同席のツーリストは山のような巨大スーツケース2つにバッグやら袋やらを持ち歩くカップルで、せっかくの指定席が難民キャンプのように荷物に埋もれる。後から来たインド人青年が不満たらたらになったぐらいである。

とりあえず遅れは1時間でアグラに着き、ツーリストインフォメーションで地図や情報をゲットして、リクシャワーラーに囲まれながらプリペイドの52ルピーでタージマハル南側の安宿街に向かう。

600ルピーで宿を決め、リクシャでファテープルスィークリーへ行く交渉をするが、うまくいかない。結局違うリクショーで向かう。

実は1時間は優にかかる遠さの上に日没まで時間がなく、かなり急ぐんである。

このときすでに午後3時25分、4時半に駐車場に着き、水牛車を拾って10分。モスク地区は無料だが、それゆえにガイド、ガイドとしつこく、ゆっくりできない。





宮殿地区へは歩いて行く。ここはかなり広大で、すでに5時過ぎ、日没まで30分を切っている。





で、どーにかこーにか見て、さらに遠い遺跡まで行ったら暗くなった。行きは水牛車できた道を歩いて戻る。街灯はなく、道には土砂や穴が突然現れ、車はハイビームで目潰ししながら通り過ぎる。

危なくてしょうがないが、幸いライトを持ち歩いているのでなんとか駐車場まで20分で戻る。リクショーが心配して待っていた。

ちなみに、タージマハルは金曜日は休みなんだな、これが。



インド・ネパール第25日~第26日 ネパールからインドへ。

2009年12月01日 | 旅する。
DAY25
11月30日 月曜日 ポカラ

今朝もいい天気だが、少し雲が多い。

ホテルから徒歩で日本山妙法寺、ワールドピースパゴタをめざす。





約2時間で頂上へ。しかし、ちょうど雲がかかって眺望がきかない。

とりあえずパゴタを見て休憩したら、雲が晴れてきた。

よしよし、と撮影していたら、今度はメモリーカードの容量がなくなった。ちょうど旅は半分、宿に帰ったらもうひとつのカードに交換しよう。





ゆっくりと違う道を降りていく。民家に出て、道を聞く。急ぐことは、何もない。



DAY26
12月1日 火曜日 ポカラ→カトマンドゥ→デリー

飛行機を乗り継いでいく移動日。





さっそくポカラ→カトマンドゥ便が遅延、カトマンドゥ空港の霧のため。

このヒマラヤの南側を横断する小型飛行機は自由席である。つまり、乗った順番にヒマラヤ側つまりポカラ→カトマンドゥなら左側から埋まっていく。タッチの差で左側を逃したが、結局99パーセントがツーリストなので、いろいろ融通しあってフライト中は撮影大会がつづく。





カトマンドゥで乗り換え、国内線からいったん空港外に出て改めて国際便出発ターミナルへ。延々と公道をカートを押して歩いていくという稀有な体験をする。

なんとかネパールルピーをほぼ使い切り、突然始まったデリー行きの搭乗開始を奇跡的に察知し、厳重なセキュリティチェックをすり抜けて飛行機は無事デリー空港に着いた。

1時間に1本あるというバスの気配がまったくなく、例によって聞いてもみんな言うことが違うのでプリペイドタクシーでバハールガンジに向かう。

もう暗い時間だったが、どーにかかなりよさげなホテルにチェックインして食事して寝る。

みんなが言うほどデリーは怖い街ではない気がする。