[2006ドイツへの道]パリを離れる 2006年06月28日 | 旅する。 6月28日、パリを発つ日。 (27日に見つけた、ガートルード・スタインの旧居) CDGではアエロフロートのチェックインで長大な列ができていた。 前に並んでいたおばさんにボールペンを貸せば返ってこない(そのままもらう気らしく、カウンターまで行ったので、返してもらいに出向いた)。 荷物預け入れでは、 「fragileにして」と頼んだら 「できない」と断られた。 なかなか試練である。 そしてモスクワ経由で翌29日に成田空港に着く、はずなんだが。
[2006ドイツへの道]パリを歩く 2006年06月27日 | 旅する。 6月27日、パリ。 定点観測しているルーヴル美術館に行けば、まさかの休館。行き当たりばったりは、こういうこともある。 午後に、モンパルナスのカルティエ財団美術館へ。モダンなガラス張りの建築よりも、自然のままの地面を生かした庭の方が魅力的だ。 ワールドカップをスペイン料理屋で見よう! ということになったが、テレビのある店はあまりの混雑で、結局敬遠する。 カフェでビール、チリワイン専門店でワインの試飲、Chez Mauriceでエスカルゴや鴨を食べて、幸せな気分で夜を過ごす。 フランスはスペインに3-1で勝ったようだ。
[2006ドイツへの道]パリで何もしない 2006年06月26日 | 旅する。 6月26日、パリ。 このところ、まったくカメラを手にとっていない。いまさらパリで忙しくすることもあるまい。 『ParisScope』を買い、ゆらゆらと当てもなく散歩する。 途中、FNACに寄って、本などを買う。 マイクと落ち合い、部屋で休んでからベルヴィルのレストランへ。帰りにワインを2本買い、宿舎の庭でチーズをアテに飲む。6月のヨーロッパは日が長い。
[2006ドイツへの道]パリにて 2006年06月25日 | 旅する。 6月25日、パリ。 引き続きマイクの宿舎にて居候。作家、画家、音楽家などのクリエイターのための施設で、古い建物をリフォームしてあり、時代物の梁や勾配のついた天井や壁がなかなか。 (この写真は27日の朝食の時のもの) 昼からマダム邸に行って、ディナーなど。
【2006ドイツへの道】パリに帰還。 2006年06月24日 | 旅する。 6月24日。 ケルン経由でパリに戻る。 M一家が、ハンブルク中央駅まで見送ってくれた。 Gare du Nordからマイクの宿舎まで歩き、そのまま居候態勢に入る。 夜はレバノン料理のあと、バーでジャズのライブを愉しむ。 土曜日のパリは快晴で、外の冷気が気持ちいい。
【2006ドイツへの道】歓喜のウクライナ。 2006年06月23日 | 旅する。 6月23日。 ベルリンまで日帰りして、ウクライナ対チュニジアを見に出かける。 定価でカテ1を入手し、シェフチェンコのPKをすぐそばで見る。 写真は、そのPKを獲得したチュニジア選手ファウルの瞬間。 ウクライナのサポーターたちの団結というか、一体感はものすごいものがあった。 しかしまあ、その熱狂に一抹の危うさを感じたのも事実ではある。
【2006ドイツへの道】ネドベドの哀愁。 2006年06月22日 | 旅する。 6月22日。 そして、チェコ対イタリアに出撃。 「まあ、無理でしょ」という大方の予想にもめげず、チケット獲得にいどむ。 それがまあ、なんと格安で入手できてしまったのである。 しかし、チェコは0-2の完敗で、敗退決定。 ネドベドの後ろ姿に拍手を送る。
【2006ドイツへの道】フリーダ・カーロ。 2006年06月21日 | 旅する。 6月21日。 ゲルゼンキルヒェンでポルトガル対メキシコ。 当初からマークしていた好試合なのだが、今日もお休みして、ハンブルク散策。 フリーダ・カーロ展を見ていたら、雨が強くなってしまった。
【2006ドイツへの道】ハンブルクで小休止。 2006年06月20日 | 旅する。 6月20日。 ベルリンではドイツ対エクアドル。 ハノーファーではポーランド対コスタリカ。 しかし、今日は休憩して、ハンブルクを歩く。 市内のあちこちに、ワールドカップが顔を見せている。
【2006ドイツへの道】再会。 2006年06月19日 | 旅する。 6月19日。 フランクフルトからハンブルクへと移動する。 18時からのサウジ対ウクライナのゲームに参戦するか迷ったのだが、懐具合と年齢と疲労を考えて自重する。 今日からは、昨年もお世話になったM家にて、ホームステイである。 必死に考えたおみやげは南部鉄の風鈴。 「これと同じような鉄でできた置物を日本で買いました。盛岡?」 と、パパはよくご存知なんである。 もうひとつ、写真家でもあるカイにと持って来た植田正治の写真集は、 「ショージ・ウエダ? 知ってる。ドイツでは手に入らないんだ」 と喜んでもらえたようである。
【2006ドイツへの道】歓喜は、いまだ訪れず。 2006年06月18日 | 旅する。 6月18日。 ニュルンベルクへ出撃。 クロアチアと、日本は結局引き分け。 理論的には、まだ決勝トーナメント進出の可能性は残っているのだが、 奇跡が束になってやって来ない限り、果てしなく不可能に近い。 (ちなみに、ブラジルがカフーらの代わりにシシーニョやジュニーニョ・ベルナンプカーノらを出して来た方が、はるかに怖い。ブラジルでは「控え」とは、実力が劣るわけではなく、実力が広く認知されていない、というだけであって、むしろモチヴェーションが高い分、はるかにいいパフォーマンスを見せる可能性がある) しかし、日本にいて、テレビの前で観戦していた人たちには、お伝えしなければいけないことがある。 現地の、シャレにならない暑さと湿気である。いや、すんごく消耗した。 事実、試合が終わったとき、選手はもとより、応援する方もへたり込んだのである。 足が止まった選手たちを、テレビの前で叱咤するのは簡単だろう。 しかし、自分たちが陽に灼かれ、湿気に蒸されながらも、選手たちに「走れ!」と怒るのは簡単ではない。 でもなあ、暑さは相手も一緒なんだし、言い訳にはならんわなあ。
【2006ドイツへの道】ガーナの夜明け 2006年06月17日 | 旅する。 6月17日。 ケルンへと遠征。 10年前に訪ねた街なのだが、観光するひまはなく、これも10年前に1FCケルン対ボーフム戦を見たスタジアムへと向かう。 今日はチェコ対ガーナ。 ゲームは・・・なんとガーナが2-0で勝ってしまった。 PKをはずし(このPKの判定は妥当だろうが、その前のガーナのチェコに対するファウルが認められなかったのがたぶん問題)、最後のゴールがオフサイドで取り消されても、堂々と2点差の勝利である。 チェコはコレル不在を割り引いても、守備に集中力が切れている時間帯があった。 静かに、拍手しつつ帰るチェコサポたち。おじいさんが眼鏡をはずして涙をぬぐっていた。 ガーナサポの喜び方は、はじけるというよりも、どこか、初々しい。 フランクフルトに帰ってみれば、イタリアとアメリカが1-1。 駅構内のハーゲンダッツでテレビ観戦。 そのまま引き分け。 これで「もうひとつの死の組」グループEでは、すべてのチームに可能性が残ることになった。
【2006ドイツへの道】オレンジ対決。 2006年06月16日 | 旅する。 6月16日。 フランクフルト近郊のオッフェンバッハに投宿。 今回、唯一予約(ネットだけどさ)した宿である。 そしてシュトゥットガルトに出陣。 空前のチケット難。イングランド絡みほどではないが、いままで経験したことがないほど高騰している。 どうにか某国サッカー協会の関係者席を入手。ご協力いただいた日本サポのみなさま、ありがとうございました。 この席は、各国が戦術スカウトを行う席らしく、それらしきノートやボイスメモをお持ちの方々が回りにおりました。 カメラ用充電池の予備を取り上げられた以外は何事もなく(あとで返却してくれた)、観戦に専念する。 で、オランダのカラーはもちろんオレンジなんだが、コートジボワールもオレンジと緑なんである。 ゆえにスタンドはオレンジ一色。 試合は2-1でオランダが勝って、決勝トーナメント進出を決めたが、印象に残ったのはコートジボワールの戦いぶりであった。 「健闘」や「惜敗」は意味がない、「勝利」に飢えている者たちはかくも最後まで「闘う」のだ。 クロスに正確さを欠き、守備で時折集中を切らせるなどなど、欠点はあるものの、正確なトラップ、前に出るスピード、反転や加速の際に見せる敏捷さ、そして何よりも闘う姿勢が素晴らしい。 最後のロスタイム、あきらめずにゴールへ向かい、ボールに寄せて行く「必死」さ、これがワールドカップという舞台がもたらす本気なのだ。 いいものを見せてもらいました。 コートジボワール応援団の明るさと元気もよかったなあ。もちろんオランダも陽気に騒ぐんだけど、オランダには「傍若無人」を感じる時があるけど、コートジボワールには「サービス精神」を感じるのであった。ま、ごく主観的な感想です。
【2006ドイツへの道】パリから 2006年06月15日 | 旅する。 6月15日。 もろもろの事情で、パリ経由でドイツに入る。 東駅で本日の夜行列車を予約。 「ワールドカップ? どの試合? 日本、頑張ってね」 と、窓口で激励される。 98年王者のフランスは、引き分けスタートで前回2002年からいまだに無得点記録がつづいている。 そして、フランクフルト行き夜行のクシェット(簡易寝台)は、各国のサポーターに9割がた占拠されていた。