迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

思い出遺産

2013年07月01日 | ただの日常。

7月1日 月曜日 山形県某市

夕方、訃報を知る。沖縄関係の仲間で情報が駆け巡る。

まだ40を越したばっかり、殺しても死なないような頑健なヤツだったのに。

弔電を書くことにする。おこがましい出しゃばりかもしれないが、みんなの代表として書いた。キーボードが濡れると困るので、便箋に手書きで書きなぐった。字数なんか考えなかった。

携帯に転記して何人かにメールを送って意見を乞い、3回めで最終稿にしてあとは例によって若い人たちに丸投げした。

連絡やお花の手配、電報の申し込みなど、面倒臭いことを献身的にやってくれたみなさんに感謝。

 

ひとしきり、あいつのことを思い出す。ガサツで、純粋で、まっすぐで、粗忽で、繊細で、お茶目で、秘密にしたがるくせにバレバレで、友だち思いで義理堅く、自分で自分を「へっぽこ隊長」と呼んでいた。

洞窟、滝、御嶽、ビーチパーリー、カクテル、夜光虫、キラキラと輝く記憶。あれは一瞬の夏だったか。

一瞬だからこそ、忘れない。

合掌。

 

 


広島の小学生の詩

2012年08月06日 | ただの日常。

 

よしこちゃんが

やけどで

ねていて

とまとが

たべたいというので

お母ちゃんが

かい出しに

いっている間に

死んでいた

いもばっかし食べさせて

ころしちゃったねと

お母ちゃんは

ないた

わたしも

ないた

みんなも

ないた

(広島市・小学五年・佐藤智子「無題」/『わたしがちいさかったときに』から)

[斎藤美奈子『戦時下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』から引用]


【さくら便り】06・小学校のさくら

2012年05月13日 | ただの日常。

5月13日 日曜日 山形県某市

みちのくの春は遅いとはいえ、とうに桜の季節は過ぎたのだが。

戯れに散歩して昔通った小学校まで行ってみた。

 

校舎は位置も変わって新しくなり、なんの面影もないなかで、昔の校門と桜並木はそのままだった。なにしろ校歌の冒頭が「歴史を語る老桜の~」というくらいで、古い桜が自慢だったのだ。

ちなみに私が育ったころには小学校と中学校が並んでいたが、中学校は統合で移転していまは小学校だけが建っている。

 


【さくら便り】05・かすみ桜

2012年05月08日 | ただの日常。

5月8日 火曜日 山形県某市

昼過ぎ、散歩に出かける。とりあえず、近所の山へ。10分で着く。今はナントカ自然公園になって、遊歩道とか花壇とかが整備されている。

桜の向こうに雪山がかすむ。

このあたりは実は飯豊山の登山口への入口でもある。万年雪の雪渓があり、上級者向け。

山を巻いて下り、田園のなかに佇む古木を探す。

「かすみ桜」、樹齢450年。小高い盛り土の上に咲く、孤高の桜。とうに満開は過ぎたが、夕日を背にして風情を醸し出す。

遠回りをして帰ることにした。川の上を一両だけのローカル線が渡っていく(あえて線名は伏す)。

産直などで買い物して帰る。所要2時間40分、いい散歩だった。

 

 

 


【さくら便り】04・古典桜の里

2012年05月05日 | ただの日常。

5月5日 土曜日・こどもの日 山形県某市

天気がいい。暦では立夏。明日は雨の予報。行くか。「さくら回廊」を少し巡ってみよう。

ローカル線に乗り、最寄り駅から20分歩いて「釜の越桜」へ。連休だけあって大勢の人がいる。

樹齢800年! だがまだまだ元気、すでに満開を過ぎてなかば葉桜になっていた。後方は二世の勝弥桜、樹齢90年。このへんの古い桜はたいていそうだが、品種はエドヒガン。

こちらはソメイヨシノ、江戸時代に生まれた品種。

遊歩道に沿って歩くと「薬師桜」に着く。

樹齢1200年、その幹回りは8m、品格があると解説されてはいるが、見る人の主観によるだろう。

ここからさらに北に向かうと珍しい「御衣黄桜(ごいこうさくら)」がある。満開はまだ先だが、黄緑色の花が咲いている。葉と花が同じ色なので、わかりにくい。ちなみに個人宅にあり、案内板も設置されていないため、場所もわかりにくい。

白鷹町は「古典桜の里」、地元の人たちの保存活動が盛んで、桜の専門家みたいな人がたくさんいるらしい。

ここから街道沿いに南に歩くと、長井市に入る。

葉山神社にある「白兎のシダレ桜」は、やはり満開を過ぎていた。ここでカメラのバッテリーがきれた。ここからの撮影は携帯のカメラになってしまった。

さらに歩く。散歩をはじめて3時間ほど経過している。ちなみに、他に歩いている人はいない。レンタサイクルかクルマかツアーバスで回るのが常識なんだろうなあ。

「草岡の大明神桜」は日本で最も大きい桜、ということだそうだ。大きいことだけが価値ではないが、樹齢1200年、高さ、周囲とも他を圧する勢いを感じる。この桜の幹の洞に伊達政宗が隠れて一難を逃れた、と伝えられている。

この近くに「古代の丘」がある。なんだそりゃ? と、行ってみた。

キャンプ場に出た。中里堤という池の回りにバンガローが点在している。

一周してみた。

丘に土偶が立っていた。他に環状列石や巨大な石貨が置いてあって、もちろんレプリカではあろうがたしかに「古代の丘」である。

 ここには「長井市古代資料館」があり、縄文時代の遺跡が出土したことからここが「古代の丘」になったらしい。資料館には時間が足りなくて入らなかったが(入場無料!)、長者屋敷遺跡はのぞいてみた。

さて、帰るころに小雨が降り出した。さらに1時間半歩いて市街地に入り、買い物してからローカル線に乗る。トータルすると6時間くらいの小旅行になった。

帰り道、月が大きい。今日は月と地球が最接近した満月、スーパームーンであったか。

 


【さくら便り】03・築150年

2012年05月01日 | ただの日常。

5月1日 火曜日 山形県某市

となり町、総合病院の近くに薬師堂がある。

 

この一帯だけが取り残されたように沈黙の樹林帯になっている。短い参道をのぼると、さくらが満開だった。

 

このお堂は江戸時代末期に建てられたそうで、150年前ということになる。手の込んだ彫刻が施されていて、見事な建築である。

満開のさくらが青空に映える。

 


【さくら便り】02・10年目

2012年04月30日 | ただの日常。

4月30日 月曜日・振替休日 山形県某市

散歩する前に実家の庭を見たら、さくらが少し咲いていた。

このウチも今年で10年目、建てた年に植えたさくらだが、何の世話もしていないせいか、なかなか大きくならない。あるいは、10年くらいは樹木の一生では取るに足らない短さなのか。

 


【さくら便り】01・樹齢1200年

2012年04月29日 | ただの日常。

4月29日 日曜日・昭和の日 山形県某市

いい天気だから、歩いてみた。

近所というにはやや遠いが、実家から1時間半ほど歩くと樹齢1200年のさくらに会える。

国指定の天然記念物で、シーズンには(つまり今だが)県内外から観光客が大型バスを連ねて押し寄せる。この日も大変な賑わいだったが、たくさんの支柱に支えられる姿はなんだか痛々しい気もする。

この周辺にはさくらの古木が多く、「置賜さくら回廊」として喧伝されているのだが、実はほとんど行ったことがない。さくらの季節にはめったに実家にいなかったからなぁ。

今年はチャンスかもしれない。

 


よいお年を。

2011年12月31日 | ただの日常。

12月31日 土曜日 山形県某市

お久しぶりです。

とりあえず、9月から12月まで振り返ってみましょう。

9月10日から京都。

9月13日から那覇。

9月20日から27日まで伊良部島の、いつものゲストハウス。

10月3日に那覇から羽田に戻り、野暮用を済ませて10月6日から山形県某市に引っ込む。

大事な葬式とか、2010年のワールドカップ録画を苦労してBD-Rに落としたりとか、iPhineアプリのtolotで写真集もどきを作ったりとか。

映画を見たり、本を読んだり、蛍光灯を交換したり、ゴミ処理に悩んだり。

このへん、あまりに省略し過ぎな気もするので、そのうちブログにまとめるかもしれません。

12月19日から21日にかけて弾丸のように首都圏を回っていろんな用事を済ませ、また山形県某市にておとなしくしております。

いろいろありました今年、みなさまにはいろいろとありがとうございました。

一年を締めくくるいい言葉が思いつきませんが、何はともあれ、よいお年を。

かくも長き不在

2011年09月06日 | ただの日常。
9月6日 火曜日 山形県某市



というわけで、ご無沙汰しました。

*ご連絡:登録したまま、ほったらかしていたTwitter、facebookに、ようやくログインしました。1年3ヶ月ぶりですか。いくつかリクエストもいただいていたようで、まことにすみません。実はログインIDもパスワードも忘れていて、さっきMacBookを検索してたどりつきました。深謝。



簡単に、近況を。

6月19日から7月8日まで沖縄に行ってました。

その後、横浜を経て7月13日から山形県某市にて蟄居。

一瞬、8月11日、12日に首都圏にてどーっと野暮用を済ませ、また山形県某市にて隠棲。

この間、下町で飲んだり、女子サッカーが盛り上がったり、首相が代わったり、アナログ放送が終わったり、1000円の映画(《デンデラ》、《大鹿村騒動記》)を見たり、ルービックキューブを久しぶりにやったら10分もかかったり(六面完成)、旅の本ばかり読んでいたり、地震で揺れたり、台風が来たり、あれやらこれやら、

(中略)



そういうわけで、9月10日から京都に行きます。

9月13日に神戸から那覇に飛びます。

9月20日から27日までは伊良部島の、いつものゲストハウスに滞在します。

10月3日に那覇から羽田に戻ります。

例によって、予定は未定です。縁があれば、どこかでお会いしましょう。



あ、ちなみに《かくも長き不在》は昔の映画ですね。たしか1959年ころ、映画が娯楽の王様だったころの名画です。

それでは、また。

運がよければ、このブログをもう少し充実させたいものです。

かりそめの日々

2011年03月30日 | ただの日常。
3月30日 水曜日 山形県某市


朝、ものすごく太い鼻毛が抜けた。ちょっと感動してじっと眺めていた。



近所のローソンへ。雪が溶けてきた。ぬかるむ道に春をおもう。

品揃えはやや回復してきたが、私がほしいチキンラーメンとか歌舞伎揚げとかヨーグルトとかメンマとかはまったくない。

それでも実に久しぶりに牛乳があったのが嬉しい。



こんなことが前にもあったなぁ。記憶がさだかではないけど、どっかアジアのはじっこの島だったか、何にもない店でたまに入る飲み物とかお菓子を買っていたような。

電気もきていなくて冷蔵庫はもちろんなく、宿の明かりは自動車から抜いたバッテリーからクリップで直に取っていた。

所詮、人生なんてかりそめの宿の連続である。


BUSINESS AS USUAL

2011年03月26日 | ただの日常。

3月26日 土曜日 山形県某市

バトル・オブ・ブリテンは1940年の夏、ナチスドイツの英国本土上陸作戦の前にその制空権を争った空の戦い。英国はドイツ空軍の激しい爆撃にさらされながら国民がひとつになって戦った。レーダー網が破壊されてもすぐに復旧し、警報が鳴れば地下鉄に避難し、パイロットには義勇兵を募り、工場をフル稼働して戦闘機を生産した。

そんなさなか、ガレキに埋もれ、ガラスも割れた商店でもこんな看板を掲げた。

"BUSINESS AS USUAL"

訳せば「平常通り営業中」。

たとえどんなに被害が甚大でも、いつも通りに店を開ける英国市民ひとりひとりの気概が、ここにはにじみでている。



バトル・オブ・ブリテンでは結局、ドイツは上陸作戦を中止した。

英国をはじめとする連合軍の勝因には、レーダーで敵機を早期に発見できたこと、ポーランド、チェコ、ニュージーランド、カナダからの多くのパイロットの参加、ヒトラーがロンドンへの報復爆撃に固執したこと、ドイツの戦闘機の航続時間が短かったこと、などなどいくつもの要因があげられるが、つまりは「あきらめなかった」ことにつきるのではないだろうか。



BUSINESS AS USUAL.

自分の持ち場で、「平常通り」に、仕事をする。当たり前のことを、当たり前にやる。たとえ、それが困難でも。


2週間

2011年03月25日 | ただの日常。
3月25日 金曜日 山形県某市

2週間がたった。

MacBookで久しぶりにソフトウェアアップデートをしたら、ダウンロードに小一時間。仕事はためちゃいけない、ってことですね。



いかにひどい災害でも、2週間経てば平常の生活に戻れると思っていたが、どうやら今回はしばらく耐乏生活になりそうだ。電力、ガソリン、食料品、鉄道その他ライフラインがほとんど被害のなかった山形県でさえいまだに元に戻っていない。



それでも、生活はつづく。

Life goes on, on and on.


うろたえるな

2011年03月24日 | ただの日常。
3月24日 木曜日 山形県某市

4月にマイレージで行く中国だが、いろいろ考えてやっぱり行くことにする。

しかし、例によって何にも準備していない。また深夜に空港に着くのだが(午前中のフライトを避けているため、朝は一度乗り遅れたことがありまして)、泊るところも未定。まあ、なんとかなるでしょ。



午後、近所のローソンへ。開店はしていたが、何にもない。

電池、水、お茶、ラーメンなどの麺類、牛乳、ヨーグルト、あらゆるお菓子やスナック、その他いろいろない。棚が空なので本来何があったのか思い出せないくらい、何にもない。

結局、これだけはなぜかあったおにぎりとパンを買う。避難所への配給みたいなメニューだな、と思ったら本当にそうだった。テレビで何気なく見た被災者に配られた食事とまったく同じ。メーカーが品種をしぼって大量生産しているためと思われる。



「うろたえるな!」というのは、昔いた会社で習った緊急事態での心がけその1だが、いまだに有効な格言だな。みなさん、そんなにあせって買わなくても、死にません。買い物できる環境にあるなら。



宅配便は佐川急便、ヤマト運輸などが戸別配達を山形県でもやっと再開して、各ネットショップでも配送ができるようになってきた。当面、とくに買い物はないのだが、物資調達の手段ができてひと安心。


14時間?

2011年03月21日 | ただの日常。

3月21日 月曜日、祝日 山形県某市

米坂線が動いたので、新潟経由で首都圏に行くルートを検討する。

(米沢~福島間は4月上旬に再開予定だが、福島~黒磯間は未定、新幹線はもともと使う気がないので)

例によって青春18きっぷ、いつもなら余裕だがなにしろこんな状況で果たしてローカル線は接続するのか?

ネットで運行状況を調べ、臨時ダイヤやら運休やら平常通りやら、情報を組み合わせた結果。



行けます。しかし、新潟県までは東北電力管内なのでダイヤがある程度読めるが、東京電力管内が怪しい。とくに長岡~水上~高崎間がボトルネックになりそう。



高崎から先は、停電次第で成り行きまかせ。夕方から夜の時間帯は通勤時間帯だし避けたいのだが、どう頑張っても最善の連絡で高崎到着は18時33分以降。ここまでで、すでにほぼ10時間。計14時間くらいですかね。



メールや電話で安否を確認してくれる友もあり、たぶん通信環境が落ち着いたころを見計らったてのことかと思う。

ご配慮、かたじけない。