海鳴記

歴史一般

続「生麦事件」(47) 海江田信義書簡(12)

2008-11-26 11:13:58 | 歴史
 私は、最近、歴史に詳しい人たちにも、
 「あなたはなぜ生麦事件や奈良原繁のことを調べているのですか」と訊かれることが多い。この文脈には、そんなつまらないことや人物を調べていて面白いですか、という意味合いが暗に含まれているような気がするので、やや反発を感じる。
 私が、この事件を調べるようになったのは、直接的には、繁の孫だという奈良原貢氏のインタビュー記事を読んだときからだった。それまでは、綱淵謙錠の歴史エッセイを読むだけで充分だったし、その続きを探す努力をしているだけだった。ところが、事件から百数十年も経っているのに、加害側の子孫が、実は自分の祖父が「犯人」だったという記事を読んで、ふと、仏教用語でいう因果応報という言葉が浮かんだのだ。多少奇妙に聞こえるかもしれないが、つまり、ある事を曖昧にしたため、それが三代にわたって報い、関係者を苦しめたのだ、と。
 私は、たかだか50年ほどしか生きていないのに、それでも些細な事(他人にとってはそうではない)を曖昧にしたせいで、それに悩まされ、場合によってはかなり苦しめられたことなどいくつもある。だから、こういう歴史上の事象でも、そういうことがありうるかもしれない、と感じたのである。そして、私はそれまで鹿児島で古本屋をしながら、これだけ歴史上の人物を輩出した土地柄なのに、西郷周辺の人物しか調べられず、また西郷に敵対した人物たちは未だに無視されている現状に腹が立ち、それでは、ここでは誰も調べる人などいない「生麦事件」と奈良原兄弟を調査しようと考えたのである。
 それゆえ、「生麦事件」や奈良原兄弟を調べ出した契機(きっかけ)は、歴史(学)的興味からではない。あくまで、そういえるとすれば、文学的発想からなのである。ただ、入り込んでいくうちに、歴史学的探求の必要性から、歴史研究者たちのグループに加えてもらったり、古文書読みの勉強をせざるをえなくなったのである。場合によっては、生(なま)の史料を読まざるを得なくなったし、また、歴史家の歴史(生麦事件等)の捉え方も知りたかったので。