海鳴記

歴史一般

続「生麦事件」(28) 奈良原繁書簡(18)

2008-11-05 11:14:11 | 歴史
 次に掲げる繁書簡は、明治44年に書かれたとされるものだが、内容を読む限り、年代特定がどうも違うような気がするのである。沖縄(県知事として)にいて、沖縄から出しているような内容なのだから。繁は明治41年4月には、沖縄県知事を辞めているし、その年の7月ごろまでは沖縄にいたことはわかっているが、その後、鹿児島帰ったとばかり思っていたのである。
 とにかく、解読を試みてみよう。

山村殿御来球ニ付尊翰御恵贈被下洗手致拝読候処(山村殿ご来球につき尊翰ご恵贈下さり手を洗い拝読いたしそうろうところ) 益御清適被為渉奉拝慶候(ますますご清適わたらせられ拝慶たてまつりそうろう) 小生ニも依旧碌々罷過候間(小生にも旧よりろくろくまかり過ぎそうろうあいだ) 乍余事御放慮被成下度候(余事ながらご放慮なし下されたくそうろう) 扨今般移民一条ニ付(さて今般移民一条につき) 山村殿ニも適御来球相成候処(山村殿にもたまたまご来球あいなりそうろうところ) 急速之事ニ而充分之御世話も届き兼候得共(急速のことにて充分のお世話も届きかねそうらえども) ヘルー(ペルー)出稼之手初として 可也応募之者も有之(かなり応募のものもこれあり) 今日之船ニ而御帰之事ニ相成候間(今日の船にてお帰りのことにあいなりそうろうあいだ)
 爰元之形勢者御直ニ御請取被下度(ここもとの形勢はおんすぐにお請取り下されたく) まつは尊書之御礼申上度(まづは尊書のお礼申し上げたく) 一筆如斯御座候(一筆かくのごとくござそうろう) 以上

 十二月十五日              奈良原繁
 
大隈重信殿