海鳴記

歴史一般

続「生麦事件」(31) 奈良原繁書簡(21)

2008-11-08 11:16:53 | 歴史
 さて、今回の手紙は、日付のわかる一番最初のものであるが、これはいろいろと問題があるので、躊躇したところだ。一つは、私一人では解読できない文字が多すぎること。もう一つは、内容がはっきりしないのは勿論であるが、明治3年というのは、繁が失職中であるはずなのに、「小官」などという言葉が使われ、官職に就いて仕事をしているような内容であること、などの理由からである。何度も書いた記憶があるが、明治2年2月、戊辰戦争より帰国してきた下級兵士らによる藩政改革要求で、討幕軍の出兵に反対した門閥守旧派が藩政から退けられることになった。その中に奈良原繁も入っていたのである。そして、明治4年10月、県庁に出仕を命じられるまで、鹿児島で浪人の身だったのである。少なくとも、私の繁年表では。
 ところが、この明治3年の大隈宛繁書簡では、そんなことは全く関係ないような仕事の話なのだ。明治3年という年代特定は、明治44年の書簡(奈良原繁書簡18)と同様、疑問というほかないが、今のところそれを否定する自信もない。とにかく、読めない文字、自信のない文字が多すぎるが、解読を進めたい。読者の方で、解読に自信のある方は、ぜひ「大隈重信宛奈良原繁書簡」を検索して、早稲田大学図書館が提供する繁書簡を読み、ご教示戴ければこの上もなく有難い。

益御機嫌能被為渉恐悦御儀奉存候 
小官碌々奉職乍恐御放慮奉仰候 
然者兼月奉拝願置候 旧知事金正資本金拝借之儀
過日御許可被成下候由 早速旧知事ヨリ申来
おのつから御礼ニ茂参楼可仕候得共小官ヨリ
幾重ニも可然御礼申上候 申付候間左様
御含置被下度小生ニも当山之儀者初ヨリ
旧知事江も相進め着手ニ取付候未之事ニ而
誠ニ困難ニ存候処此節之拝借金ニ而大ニ
勢を得近々国益を生シ今日之報御恩を度
所存ニ而当山関係之者共江も厳敷意見申遣
置候間当世懇非常之大金拝借決而無用ニ属
候様之儀者為致不申候間御安堵被成下度
 (次回へ続く)