海鳴記

歴史一般

続「生麦事件」(29) 奈良原繁書簡(19)

2008-11-06 10:12:03 | 歴史
 最初の文の「御来球ニ付・・・」という表現は、繁が沖縄にいるからと受け取れるが、知事を辞めてから3年後にも沖縄に滞在していたのだろうか。まあ、仮に鹿児島にいる繁のところへ大隈から手紙があり、山村が沖縄に行くから宜しく頼むというのに対して、鹿児島は沖縄に近いし、こちらのほうに来るという意味であれば、そういう言い方も出来るかもしれない。しかしながら、「急速之事ニ而・・・」以下、「・・・応募之者も有之」までを読む限り、沖縄にいて、知事の職にあり、山村殿か政府側がもってきたペルーへの移民問題の仕事をしているようにとれるのだ。すでに鹿児島で退隠している人間がそんなことに思い煩う必要はないはずなのに。それに、次の文の唐突な話題転換以下、ずっと沖縄にいなければ、「爰元之形勢者」などとは言えないだろう。
 ともかく、この書簡の年代特定の理由を知りたいが、もし、このころ繁が沖縄にいたとなれば、私の『繁年表』を訂正し、付け加えければなるまい。

 さて、年月日のわかる繁書簡の後期のものは、解読できない文字も多く、内容的にもまだよくわからないのを除けば、大体これまで見てきた通りだが、初期の年月日のわかる手紙は、まだよく解読できていない。ここしばらくは、知り合いの西ヶ谷氏が解読してくれている年月日のはっきりしない短い手紙を掲載してみたい。私自身が繁の文体に慣れる意味でも。

御母堂様御事御病気之処(ご母堂さまおん事ご病気のところ) 御養生不被為叶(ご養生叶わせられず) 御遠行之由(ご遠行のよし) 誠ニ御残念之御仕合御愁腸如何計と奉恐察候(誠にご?残念の仕合<しあわせ>ご愁腸いかばかりと恐れ察し奉りそうろう) 右ハ悔申上候験迄土産之麁菓子一箱進上仕候間(右は悔やみ申し上げそうろうしるしまで土産のそ菓子一箱進上つかまつりそうろうあいだ) 御序ニ御神前江御具え被下度奉拝顔候(おついでにご神前へおそなえ下されたく拝願たてまつりそうろう) 以上

 一月二十九日               奈良原繁

大隈重信様