海鳴記

歴史一般

続「生麦事件」(45) 海江田信義書簡(10)

2008-11-24 14:28:25 | 歴史
 おそらく、『薩藩海軍史』(中巻)の書き手は、海江田の『実歴史伝』を読んで、生麦事件の項目がほとんど省略されていることに気がついた。だから、当時、その辺の事情に詳しい人物たちに問い合わせたにちがいない。すると、まだ海江田の『直話』や『口演』を聴いている人たちが残っていたのである。
海江田が、『実歴史伝』を出した5年後の明治29年、郷土の先輩である海江田の話を聴いたという春山育次郎という人物が、雑誌『太陽』に、「生麦駅」という題でエッセイを発表している。
 私は、41回目で、海江田は、『実歴史伝』の筆記者に、自分がリチャードソンの介錯をしたことなどは、語ったはずだとやや自信をもって書いた理由は、この春山のエッセイがあるからである。
ここで春山は、海江田が上京している郷土の後輩たちを集めては、『実歴史伝』では語れなかったことを話すのを聴いている。たとえば、喜左衛門が斬ったことを匂わしたり、京都で病気になって亡くなったことを書いているのである。ところが、断末魔のリチャードソンが何かを口走っている前で、海江田は何を言っているのかわからなかった、というところで文章をきり、肝心の止めを刺したことなどどこにも言っていない。そして、春山はそのあと、
 「子爵の此処に来たりし時、喜左衛門の弟にて当時幸五郎といへりし今の沖縄県知事奈良原(繁)男爵、家兄が外人を斬れりしよりききて来たれり、外人はいづこにあるぞと忙しく尋ねいたりしを始めとして、此間子爵の話はなお多かりけれど、憚ることあれば、省きてここにはしるさず」と括弧注を入れているのだ。
一体、何を憚る必要があったのだろうか。まさかこのあと、倒れているリチャードソンのところにやってきた奈良原繁が、海江田に代わってリチャードソンの介錯をしたなどと続くわけではないだろうに。