いつもツグミを追いかけるフィールドですが、今回は少し焦点の当て方を変えて・・・。
右手に丸山塚古墳が見えています。中央左のずっと向こうに銚子塚古墳が見えています。
それから、手前は岩清水遺跡。
ここは、古代のお墓の集合地です。
銚子塚古墳。全長約170m。18mmの広角でも右端が切れてしまいます。
一口に古代のお墓といったって、半端ではありませんよ。
それが成立した背景には、それを必然とした社会がありました。
丸山塚古墳。銚子塚古墳に続くものと考えられますが、
形も大きさも異なり、やや小さめに。それでも本県最大の円墳ではありますが。
銚子塚古墳から丸山塚古墳へ、その移ろいの背景には何が・・・。
樹木に囲まれ見られる かんかん塚古墳(茶塚古墳ともいいます)。
丸山塚古墳からまた少し時間が流れ、一段と小さく。
その向こうに見えるのは、中世の塚。杯塚(つきづか)と呼ばれています。
単に古墳時代だけではないのですね。
丸山塚古墳やかんかん塚古墳とそんなに変わらない時期の、
岩清水遺跡の中の低墳丘墓群。
近接した時代でも、幅があるんですね。
古代からずっと、人は生まれ、生き、そして生涯の終焉を迎え、そして墓に入ります。
maibunCでは、年に一度、「埋文シンポジウム」を開催しています。
これは、学術的に難しいテーマをいかにやさしく語り、
遺跡調査の成果を地域の歴史の学習、文化財保護の考えの深化につなげていけるか、
そうしたことをねらいとして行っているものです。
今年のテーマは、『遺跡から探る墓制の変遷』 いよいよ今度の日曜日(2月6日)。
午後1時から、会場は山梨男女共同参画推進センター、通称で「ぴゅあ総合」
申し込みは不要です。どうぞご参加ください。
それから、ウメの花が咲き始めている丸山塚古墳周辺、風土記の丘、
それに考古博物館にもお運びください。
(撮影:2011.2.4)